第27話 プランA



「もう一度確認します。最小限の情報で相手を見極めなくてはいけませんから」

「うん!」

「わかってます!」


 いつものカフェに集合したチーム・サレ妻は、額を突き合わせてヒソヒソと囁きを交わす。

 

「では怒りでも悲しみでも、協力できそうであれば?」

「有無を言わさず丸め込んで、積極的に引き入れる!」

「プランAですね」

「……暴走して協力も望めない状態で、即行動に移しそうな場合は?」

「宥めすかして取り押さえましょう」

「プランBだね!」

「……二人とも穏便にいきましょうね……連れてきてもらうのは、味方側なんですから……」


 今日は理香子の夫・須藤 隆史と直接会い、協力要請の話し合いをする。やる気に満ちて頷きあうみのりと弥生に、絢子はちょっとだけ不安になった。だいぶ不穏だ。

 ピコンとみのりの携帯が通知を知らせ、チーム・サレ妻は肩を跳ね上げた。慎重に内容を確認するみのりが、絢子と弥生に振り返って頷いて見せる。弥生が深呼吸をして、絢子はグッと拳を握って気合を入れた。

 隆史が最後に残った、一番繋がりにくい矢印を繋げるための鍵になる。そしてチーム・サレ妻側が潜伏したまま介入できる、唯一の窓口でもある。なんとしても協力を取り付けたい。


「もう着くって……!」


 みのりが緊張した声を出したタイミングで、いつものカフェの来客を知らせるベルが鳴った。バッと入口を振り返ると、健人が中年男性を先導している。

 長身を猫背気味に丸めていて、表情には不安と緊張が浮かんでいた。体型に合ってないらしく、痩せ型の体型に少しだぶついて見えるグレーのスーツ。着慣れない様子で、普段はスーツを着ない人だと一目でわかった。


「あ! 弥生さん! お待たせしました!」


 パッと笑みを浮かべて手を上げた健人の後ろで、隆史は視線を泳がせながら絢子達にゆっくりと頭を下げた。表情はひどく疲れて見えた。


「……須藤です。妻の件でお話があると……」

 

 掠れた声で言葉を途切れさせた隆史を、健人が促し自分の隣の席に座らせる。一連の流れを黙って見つめていたみのりと、弥生がちらりと絢子に視線を向けた。


((……プランA!))

(です!)

(だよ!)


 礼儀正しい隆史の様子に、二人の熱視線が明確にそう伝えてくる。気弱そうでもきちんとした態度。こちらに敵意も感じない。絢子も小さく頷き、プランAだと予想した。でも少しだけ隆史の浮かべている表情が気になった。


『奥さんの会社での様子をお伝えしたいとだけ伝えた』


 健人が知らせてきた、隆史を呼び出した内容はそれだけらしい。

 たったそれだけの情報で、隆史はここにきた。面識のないチャラいど金髪についてきた。それだけ理香子の動向に一定の疑いを持っていて、藁にも縋る思いだということだ。絢子はできるだけ淡々と、正確な事実だけを証拠と一緒に隆史に伝えることにした。


「そう、ですか……」


 絞り出すように呟き、隆史は表情を隠すように俯いた。それっきり黙り込んだ隆史に、気遣わしげに弥生は眉尻を下げた。


「……私たちは離婚するつもりです。保養所への旅行の日、現場を押さえて決着をつけるつもりでいます」

「ウチでお互いに協力してさ、裏切り者に思い知らせようよ!!」


 鼓舞するように身を乗り出したみのりに、隆史はゆっくりと顔を上げた。

 

「現場を押さえる、予定……なんですか? そうですか……」


 隆史にチーム・サレ妻が頷いて見せる。三人の顔をゆっくりと見回し、隆史は疲れたように小さく笑った。


「……もう、みなさんのお気持ちは固まってるんですね」

「うん! だから須藤さんも一緒に……!」

「みのりさん」


 プランAを発動しようとしたみのりを、絢子は制してゆっくりと首を振った。

 隆史にプランAの気持ちはない。静かな隆史の表情で絢子にはわかった。何を言っても、心は変わらない。隆史はすでにのだと。


「……すでに穏便に解決する段階ではないことはわかっています。ご迷惑をおかけして、申し訳ない」


 諦観の滲む隆史の声に、戸惑ったように弥生とみのりが顔を見合わせた。


「……奥様のことを伺っても?」


 瞼を伏せた隆史にそっと絢子は問いかけた。少し目を見開いて隆史が小さく頷いた。目の前で冷えていくコーヒーを見つめながら、隆史は顔を伏せたままポツリポツリと話し出した。


「……妻とは大学時代からの付き合いで、恥ずかしながらデキ婚でした」


 懐かしい思い出をなぞる隆史の声は柔らかく、その声音が彼の妻への気持ちを表している気がして、絢子の心が小さく痛んだ。

 隆史と理香子は大学で出会い、急速に惹かれ合ったそうだ。熱烈とも言っていい恋の結果として、卒業目前に妊娠がわかったという。


「理香子は優秀でそれなりの内定をもらえていたんですが、私は卒業間際になんとか小さい会社にやっと内定を貰えたんです。それもあって、お互いの親に結婚は随分反対されました」


 それでも結婚の意思は変わらず、押し切って二人は婚姻を果たした。理香子は就職を取りやめ、卒業後にすぐに入籍。反対を押し切っての結婚でもあったせいで、結婚式も挙げなかった。

 強行した結婚生活は恋人の延長のような、甘い新婚生活とはならなかった。親に頼れないことで精神的にも、金銭的にも厳しい状況が続いた。理想と現実の違いに、この頃から夫婦仲は疲弊し始めたという。

 子供を保育園に預けられるようになると、理香子はすぐにパートで働き始めた。


「昔からあまり人付き合いはうまくはなかったんです。本当なら大手に勤めていたはずというプライドもあったんでしょう。どれも長続きはしなかった」

 

 スーパーのレジ打ち、飲食店、コンビニ。子供は小学生になるまでは体調を頻繁に崩したらしく、居辛くなって転職を繰り返したようだ。

 小学生の高学年になり呼び出しがなくなった頃、理香子はT商事に派遣として勤務を始めた。大手であるT商事勤務というのは、派遣とは言え理香子を満足させるものだったらしい。熱心に仕事をするようになり、最初は時短だった勤務も半年でフルタイムへの切り替えたそうだ。


「妻はT商事で働くのが楽しかったんでしょう。表情が生き生きとしてましたから。でもそれから些細なことでも、喧嘩になることが増えてしまって……」


 理香子は家事をしなくなったらしい。その分を隆史が担ったらしいが、給料は安いのに拘束時間は長い。所謂ブラック企業と言われる会社勤務では、全てを担うことは難しかった。

 行き届かない家事に激昂し、たびたび理香子は隆史を責めた。子供の学校行事にも仕事を理由に行かなくなった。皮肉なことにようやく満足できる職に就けたことが、これまでの生活の価値を失わせたようだ。


「これまで家計に入れてくれていた給与を渡さなくなった頃から、浮気の可能性は疑っていました」


 本来は家計を助けるためだった仕事。でも手にした給与を家計ではなく、自分自身につぎ込み始めた。そして急に年不相応に服装が派手になり、帰宅時間が極端に遅くなった。もう少し家と子供のための時間を持つように話す隆史に、理香子は烈火の如く反抗したらしい。そして決定的なことが起こる。


「妻との言い合いに割って入った息子に、妻はお前が出来たせいでずっと苦労してきた。今ようやく人生をやり直しているんだと怒鳴りつけたんです」

「そんな……」


 衝撃に弥生が絶句し、みのりは唇を噛み締めて膨らんだお腹を抱きしめた。子供に対する暴言のあまりのひどさに、絢子は息を詰まらせ頭を下げた。


「すい、ません……本当に申し訳ありません……」


 震える声に、みのりと弥生が慌てて絢子に向き直る。暴言の原因の一端は、他でもない自分の夫が担っている。哲也にとって遊びだった。「なんだったら須藤さんもどうぞ。俺、もういらないんで」そんな風に放り出す程度の。

 

「絢子さんが悪いわけじゃない!」

「そうだよ! 絢子さんが謝ることじゃない!」


 二人の慰めに溢れ出しそうな涙を必死に堪える。

 辛うじてでも保たれてきた家庭は、その程度の遊びに踏みにじられ、子供に対して致命的な言葉を言わせた。大学時代から今まで紡がれてきた家庭は完全に壊されたのだ。哲也の恐ろしく自分本位な「理由」が発端で。


「……謝らないでください。貴女だって被害者です」

「でも……」


 思わず顔を上げた弥生に、隆史は穏やかに小さく微笑んだ。その笑みは疲れ傷ついていることを伝え、申し訳なさに弥生の唇が震えた。


「もう、とっくに妻の心は私から離れていました。きっと遅かれ早かれ貴女の旦那さんでなくても、いつかはこうなっていたんだろうと思います」

「……協力しよう! みんなで仕返ししよう! 裏切られたままで、黙ってることなんてない!!」


 お腹に手を当てて、グッと唇を噛み締めていたみのりが、立ち上がった。赤くなっている強い眼差しで隆史を見据える。驚いたようにみのりを見返した隆史は、しばらく押し黙りやがてゆっくりと首を振った。


「私は妻を責めるつもりはありません」


 みのり、弥生、健人が驚いたように隆史を振り返る。予想通りの答えに絢子だけが俯いたまま、グスッと鼻を啜った。

 

 

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