チーム・サレ妻

宵の月

第1話 協力要請



 きっかけは一本の電話だった。

 その電話がなければこうして、彼女たちを呼び出すことなどなかったかもしれない。

 人もまばらなカフェ店内の一番奥まった観葉植物の影に隠れる席。上原 絢子うえはら あやこは向かいに座る、人目を引く清楚な美貌の、今井 弥生いまい やよいを見つめた。


「……弥生さん、お久しぶりです。今日は来てくれてありがとうございます」

 

 黒髪をキリッと結い上げてスーツで来た。できるだけ誠実に見えるように意識して。挨拶でもきっちりと丁寧に頭を下げたが、この服装もあまり効果はなかったかもしれない。


「お久しぶりです……あの今日は……」


 緊張に声を震わせている弥生からは、不安と不信を表情は拭えていないから。

 入口から来客を知らせるベルに、絢子は弥生から入口に視線を巡らせた。視界の先には黒いジャージ姿の、金髪の女が険しい顔で店内を見回している。


「……すいません。弥生さん。来られたみたいなので迎えに行ってきます」

「え……! あの……!」


 戸惑う弥生の声を背に絢子は、金髪の女にゆっくりと近づいた。


池澤 みのりいけざわ みのりさんですか?」

「……あんたが上原 絢子?」


 みのりは絢子が思っていたより随分若そうだ。それに。チラリとみのりの腹部に視線を走らせ、内心に浮かんできた感情を笑みで誤魔化す。


「……みのりさん、来てくれてありがとうございます。あちらの席で話しましょう」

「…………」


 弥生よりあからさまに警戒しながら、みのりは絢子を睨みつけてくる。それでも無言のまま後についてくるのは、呼び出し理由が聞き流せないものだったからだろう。

 席にみのりと戻った絢子に、弥生が驚いたように目を丸くして狼狽えた。


「弥生さん、ご主人の後輩・池澤 大地いけざわ だいちさんの奥様、みのりさんです」

「え……あ……は、初めまして……今井 弥生です……」

「みのりさん、ご主人の先輩・今井 直樹いまい なおきさんの奥様、弥生さんです」

「……どうも」


 みのりも美貌の弥生にびくりと肩を跳ね上げたが、すぐに仏頂面になって弥生の隣に座った。弥生は絢子とみのりを交互の見やりながら、助けを求めるように瞳を縋らせてくる。


「あの、絢子さん? 私、電話の件は誰にも知られたく……」

「お二人ともわざわざすいません。お電話でもお話ししたように、について、確認したいことがあって来ていただきました」

「お二人……って……」


 困惑したようにみのりを振り返りながら、語尾を濁らせた弥生に絢子は淡々と言い放った。

 

「弥生さんのご主人、今井直樹さん、みのりさんのご主人、池澤 大地さん。そして私の夫・上原 哲也うえはら てつや。この三人は浮気をしています。そしてその件でどうしても、確認させていただきたいことがあるんです」

「……え、えぇ? 待ってください!? どういうことですか?」


 慌てふためいた弥生のすぐ横で、バンッとテーブルが鳴る。その音にひくりと口を閉じた弥生が、恐る恐るテーブルを叩いたみのりを振り返った。


「あのさー、まずウチのダーリンが浮気って、ありえないんだけど?」

「ダーリン……」


 びっくりしたようにみのりを見つめた弥生は、


「あんたは心当たりあるの?」


 みのりに睨まれてハッとしたように絢子に向き直る。


「あ、あの私も! 夫が浮気してるなんて思えなくて……絢子さんは適当にこんなこと言わない人だとは思ってます。でもどうしても信じられなくて……」

「いや、普通、いきなり電話してきて、旦那が浮気してるって言われて信じる?」


 弥生に強めに言い返したみのりが、絢子を鋭く睨みつける。

 

「証拠あるって言ったよね? まずそれから見せてくんない?」


 不審と敵対心をむき出しに睨んでくるみのりに、絢子は疲れたようにため息を吐き出した。


「……私はお二人の敵ではありません。証拠はあります。ただ……」

「出せないの? あるわけないもんね」


 勝ち誇ったように腕を組んだみのりに、弥生はハラハラしながら様子を伺っている。絢子はチラリとみのりの腹に目をやり、鞄を引き寄せた。

 

「証拠はあります。……でも、みのりさん。あなた妊娠中なんですよね?」

「五ヶ月だけど?」

「あ……」


 弥生が表情を曇らせて、みのりの腹部からそっと視線を逸らす。


「愉快な写真ではないので……」

「あのさ、もうすでにこの状況が愉快じゃなくない? もう安定期入ったし、証拠を確認するためにわざわざここに来てんの! いいから見せて!」


 腕を組んで鼻息を荒くするみのりと、不安そうに様子を伺う弥生に絢子はスマホを取り出した。少し迷いながら画面を操作し、二人の前にそっと差し出す。


「……これが証拠です」

「嘘、でしょ……」


 女と腕を組んでホテル街を歩く直樹の写真に、弥生が呆然と呟き顔色を青ざめさせた。そのまま絢子は指を滑らせて、画像をスライドさせる。


「あいつ……!!」


 居酒屋の席で女と並んで座り、額を寄せ合う大地の写真にみのりが奥歯を軋らせる。呆然と顔を青くする弥生と、怒りに拳を震わせるみのり。絢子は再度画像をスライドさせた。


「……そしてこれが私の夫・哲也の浮気の証拠です」

「……は?」

 

 現れた哲也が女の腰を抱いて肩を寄せ合う写真に、みのりと弥生が問うように顔をあげた。


「……ただの浮気ではないかもしれないんです。だからこそ確認が必要なんです。浮気の口裏合わせ程度の結託ではなく、おそらくもっと深く関わって浮気をしている可能性があります」

「……どういうこと?」


 絢子に顔を向けたみのり。その表情からはもう、不信感も敵対心も消えている。


「……二人をここに呼んだ理由は、その疑惑の確信を得るためです。詳しくお話しする前に、まずは確認させてください」


 挑むような目でみのりが頷き、弥生は先を聞くことを怯えるように目を伏せた。絢子は小さく息を吸い込み、二人を見据える。

 

「お二人は今度のリフレッシュ休暇に、保養所を利用される予定ですか?」

「リフレッシュ休暇……?」


 ポカンとしたみのりの横で、弥生が力なく首を振る。

 

「……し、支社のトラブルで……休暇に出張が重なるから無理そうだって言われて……」

「……みのりさんは?」

「え……リフレッシュ休暇って……?」

「……毎年、この時期にある四日間の休暇ですよ。私は去年それで沖縄に……」


 言いかけた弥生は、みのりの表情に口を閉じた。気まずそうに俯く弥生の代わって、絢子はみのりに向かって説明する。


「……この時期に部署で人数調整しながら取れる、会社独自の休暇があるんです。会社が毎年どこかの施設を借り上げるので、そこを保養所として格安利用できるようになってるんですが……」

「……何、それ……ウチ、そんな話一度も聞いてない……!」


 強張った顔で声を荒げたみのりに、かける言葉を探して弥生が唇を彷徨わせる。弥生が言葉を見つけられないまま落ちた沈黙に、絢子は細く息を吐き出し顔をあげた。


「……やっぱりあいつらは、グルになって不倫をしてやがるようですね」


 怒りを通り越して、思わず笑みを浮かべた絢子に、


「ガチギレじゃん……」

 

 息を飲んでみのりが呟きを漏らした。そんなみのりにくりっと絢子が振り返る。


「みのりさん。私、結婚前までは夫と同じ会社の経理にいたんです。弥生さんとは仕事で、何度か顔を合わせています」


 同意を求めて振り向くと、弥生もみのりに頷いてみせた。


「……私は取引先の受付で働いていました。その時に何度か絢子さんと顔を合わせてます」


 納得したように頷いたみのりに、絢子は説明を続けた。

 

「先日経理にいた時の後輩から電話が来たんです。家族同意書の押印が掠れてるから書き直しが必要だって」


 絢子は冷め切ったコーヒーを一口飲み下し、にっこりと笑みを浮かべた。


「でも私、同意書書いてないんです。だって私も弥生さんと同じく、支社のトラブルで休暇が出張で潰れるって言われてたので」

「それって……」


 小さく声を漏らしたみのりに、絢子が微笑みかけた。せっかく微笑んだのに、ビクッとみのりが肩を跳ね上げる。ずっと笑みを浮かべている絢子から、視線を逸らしたそうな二人に絢子は微笑んだまま先を続けた。

 

「潰れたはずの休暇に、なぜか出されている保養所の使用申請書。おかしいですよね? それでこの頃残業が増えた夫の様子を見に、会社前に行ったんです。残業のはずの夫は定時に、お二人のご主人と連れ立って会社を出てきて居酒屋で飲み始めたんです」

「居酒屋……? でもそれなら……」


 希望を見つけたかのように瞳をあげた弥生に、絢子は静かに首を振った。

 

「私も一旦は考えすぎかと思いました。でも帰りかけたとき、それぞれの不倫相手が合流してきました。そのあとはさっきの写真の通りです」


 弥生は潤んだ瞳を隠すように俯き、みのりは唇を引き結んだまま無言で絢子を見つめた。

 

「……口裏は確実に合わせてるとして、グルで不倫ってどういうこと?」


 みのりの疑問に、弥生も頷く。絢子の笑みを浮かべていた瞳に、怒りが一気に燃え上がる。


「……率直に言うと保養所の利用申請は、家だけではなくお二人のご主人からも出されてます」

「…………っ!!」

「……それって!!」

「多分申請書の利用目的には、家と同じく家族旅行と書かれているでしょうね。それも出発は同日で、期間は休暇めいいっぱいまで」


 弥生が口元を両手で覆い、みのりが瞳を釣り上げる。


「あいつらは合流してしばらく飲んだあとは、それぞれの相手と目的地にいきました。でも口裏合わせの不倫仲間としても、あまりにもお互い気安く見えたんです。それで後輩に探りを入れて、お二人のご主人の出している申請書のことがわかったんです」


 言葉を区切った絢子は、二人の様子を確かめた。

 弥生は色白の顔をさらに白くし華奢な肩を震わせている。歪めた唇を噛み締めるみのりは、溢れ出しそうな罵詈雑言を必死にこらえているように見えた。


「後輩は答えられるギリギリの範囲で教えてくれました。利用目的は家族旅行なので、お二人から問い合わせすれば確実に確認できると思います」


 絢子は二枚のメモを二人に差し出した。

 

「後輩の連絡先です。事情は薄々察してくれているので、問い合わせたことは誰にも漏れません」


 みのりは憤然とメモを握りしめたが、弥生は俯いたまま顔を上げなかった。

 

「……浮気相手の三人は、同じ会社の派遣とアルバイトです。保養所の利用申請が出されてる期間、この三人も有給申請しているようです」

「…………っ!!」


 とうとう弥生が泣き出し、みのりも目を赤くしてテーブルのカップを睨みつける。弥生の押し殺した嗚咽に、絢子は唇を噛んだ。


「こんな話のために呼び出してすいません。でも……三人が深く関わって浮気をしている以上、お二人に言わないままではいられないと判断しました……」


 絢子は伏せていた顔を上げ、二人をまっすぐに見据える。


「……私は……離婚するつもりです。旅行当日までに証拠を集めて、できれば乗り込んで現場を押さえたいと思ってます。でもお二人も同じ気持ちだと限らないと思い直したんです。それぞれの環境も抱えてる事情も違うので……」


 絢子はただ涙をこぼす弥生と、膨らんでいるお腹に手をあて、唇を噛み締めるみのりを見つめる。


「今日は保養所の確認と、お二人と協力できないか相談したかったんです。今すぐ答えを出すのが難しいとわかってます。なので一週間後に今日と同じ時間に、またここに来ていただけますか? その時にお二人の気持ちを聞かせてください」


 みのりが唇を引き結んだまま頷き、弥生もしゃくりあげながら小さく同意をした。絢子はカバンからハンカチを取り出し、弥生の前に置くと静かに席を立つ。

 一週間後の再会を約束して、三人の妻たちは昼下がりのカフェでの会合を終えた。

 

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