『もう一度考え直した僕の現代思想』
すけだい
第1話
『もう一度考え直した僕の現代思想』
最近本を読み直したら、解釈違いを犯していた。だから修正する。3つの書物に関してで、1つは指導教官の本、1つはほとんど関連がない教授の本、1つは卒論の本。
1つ目は指導教官の本だ。ハイブリッドモダンとは上流階級からの近代化であり明治維新と似た現象だと以前に述べた。しかし、もっと正確に言えば、モダンを空間軸に移動させた事を言うことに気づいた。
ポストモダンは西欧での時間軸的な――微分的な――変化を見たものである。それに対して、グローバリゼーションによる西欧から非西欧への空間軸的な――代数学的な――変化を見たのだ。それをハイブリッドモダンと名付け、その特性が先の述べたことだった。
2つ目はほとんど関係ない教授の本だ。リスクを確率による数値化した監視社会が人々を生かす権力となると以前に述べた。しかし、もっと正確に言うと、新しい生かす権力は個人を監視して逸脱を偶然のエラーとして扱う規範のないものだと言うことに気づいた。
近代と現代を時間軸的に――微分的に――変化を見たのである。近代では数値で監視して人間の道徳規範を作り上げた。しかし、現代では道徳規範はなく、個人が自分を社会的存在として自己コーディネイトするしかなくなった。
3つ目の卒論の本だが、変化が少ない。中間組織が政治的国家によって弱体化されたから、個人と道徳的な人民主権とが無くなった、と言っている。人間は自律的な存在で無くなったので、絶対的な共同体を求める、または自律的な社会集団への帰属が必要、だ。
1・2・3つ目を修正したい。つまり、以前に述べたこと、――「数値化された人々を上から監視して近代化させる共同体」――を修正したい。これはこれで理論を保持するが、別の話だ。
1つ目と2つ目を見ていく。2つの理論を抱き合わせる。こうなる。
「数値で監視して人間規範を作り上げた近代を、西欧から非西欧へ空間移動させることで、監視して逸脱を偶然のエラーとして扱う人間規範のない生かす権力である現代へとなった。」
野球で例える。データ化によって回転数や打球角度といった理想のスタイルを監視して作り上げる近代化がある。それが非西欧へ伝わる。すると、理想の回転数や打球角度と違うものを偶然のエラーとして扱うだけで理想を作り上げない現代となる。
野球においてアメリカのデータ野球化が進む。データ野球が日本にも伝わっている。それによって、理想のデータでない選手を矯正しない日本野球になる。
これが正しいのかは不明だ。データが全てではなく自分で考えろということかもしれない。シフトの裏を狙えということかもしれないが、不明だ。
そこに3つ目を抱き合わせてみよう。すると、アメリカから輸入するデータ野球に対する日本野球の自立的に頭を使った対応が必要とされるように僕には見えた。次の理論だ。
「人間規範を創造したデータ監視が違う場所に移動した結果として人間規範がなくなった現代では、自律的な社会集団への帰属が必要だ」
『もう一度考え直した僕の現代思想』 すけだい @sukedai
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