団地の内見 体験記【KAC2024 2回目】
ほのなえ
序章:引っ越しの経緯
二月上旬のある日。前触れもなく突然、平穏だったはずの我が家が安らげる場所ではなくなってしまった。
私、安田健斗と妻の美保はお互い在宅ワークをしており、一日家にいる機会が多かった。そのためお互いの仕事場所を確保するため、昨年の秋に、念願の2LDKの物件に引っ越してきたばかりだった。
少し奮発しながらも手に入れた新築の綺麗なアパートの物件。駅にも近く、古い建物の並ぶ雰囲気の良い通りに面しているところもお互い気に入って、三ヶ月ほどの間は何の問題もなく、快適に暮らしていたのだが――――。
前述した二月のある日。突如隣の部屋――201号室から重低音が鳴りだした。ステレオ機器でも買ったのだろうか、うるさいなあ迷惑だなと思いながらも、少しすれば止むだろうか、と我慢してみていたが、それは朝から夕方まで鳴りやむことなく――――そして夜の六時ごろ、隣の201号室の車が駐車場に戻ると同時に、ようやく音がぴたりと止まる。それが平日の間、毎日繰り返された。
どうやらあえて留守中に鳴らしているようだ。なぜ留守中に鳴らすのか、意味が分からずにいたが、とにかく在宅の仕事にも差し障るため、ステレオか何かの音を流し続けることをやめてほしい、と伝えてもらうようアパートの管理会社に連絡することにした。
管理会社の対応が遅く、一週間ほどその状況のまま我慢する羽目になったものの、「朝から夕方まで重低音が鳴り響いているとの声が寄せられている」「心当たりのある方は配慮するように」といった内容のビラを全世帯に配ってもらった。
それでまともな人ならば多少なりとも何とかしてくれるだろう、と思いきや、翌日一日だけ静かになったものの、その後はまた同じことが繰り返され――むしろ音量も前より大きくなり、201号室に直接接している洋室二部屋にとどまらずリビングまでも大きく鳴り響く事態となり、避難場所も確保できないといった有様になってしまった。
しかもその音、音楽という訳でもラジオという訳でもなく、ひたすら重低音が繰り返される謎に一定のリズムを鳴らしているのだ。ステレオらしきものも、どうやらうちの部屋に一番近い壁際に置いているようだ。
これは嫌がらせの一種なのだろうか。そう気づき始めた私たちは、管理会社は対応が遅かったので、代わりに警察に家に来てもらって実際に音を聞いてもらいつつ、相談することにした。証拠もないため嫌がらせされている、とまでは言わなかったが、警察はひどい音だというのは確認してくれ、隣の家に注意しに行ってくれたものの、その時隣人は留守だった(やはり留守中にあえて鳴らしているというのは確信をもってよいだろう)。
その後警察はアパートの管理会社に201号室に誰が住んでいるかを確認し、隣人に電話で直接注意してくれた。癪に障ることに「知りません」としらばっくれられたようだが、それでも一旦音は止み、やれやれこれからは静寂に暮らせるか、と思いきや――――。
ドカッ!
その日の夜、ものすごく大きな音が向こうの部屋、201号室側から聞こえてきた。私は隣の201号室から一番遠いリビングにいたので「何だ何だ? 暴れてるのか?」と思った程度だったのだが、201号室と接している寝室のベッドでゴロゴロしていた妻が怯えた様子でやってきて、「向こうから思いっきり壁を蹴られた」と言っていた。
こっちが通報したこと察したんだろうな、恨んでるんだなと思っていると、どうやらそれが当たりのようで、その後もバンバンと何度も壁を叩かれたりした。ただの物音か?気のせいか?とも思おうとしたが、どうやら私たちが隣の部屋に来た時など、こちらの物音や気配がするときに多く叩かれるように感じた。
そんな中暮らしていると、私たちはいちいち些細な物音にもびくつくようになってしまい、こりゃたまらんと、せめて唯一201号室に直接接していないリビングでのみ、生活する日々を送ることになった(ベッドのマットレスもリビングに持ってきて、そこで眠っていた)。
せっかく部屋を増やしたくて引っ越したのに、201号室に接する二部屋はまともに使えない生活になるなんて。もう一度警察に相談してもいいけれど、叩く音だけでは「してません」「ただの物音ですけど」みたいな感じでいくらでもしらばっくれられるだろうし――私たちはそんな悲しい思いをしつつ、一体どうすれば平穏な日々が戻ってくるのだろう、こないだ引っ越ししたばかりなのに、もう逃げるように引っ越すしかないのだろうか――と途方に暮れていた。
そんな騒音問題は、意外なかたちで幕を閉じた。突然私の勤めていた会社から、プライバシーポリシーの変更により、来年度から在宅制度を廃止するという事実を言い渡されたのだ。つまり結局、私たちは仕事の都合で、会社に通える範囲へと引っ越しをせねばならなくなった。
そして同時期に、我が家の車の周りを201号室の住人がぐるぐる回っている現場を目撃したという事件があってから私たちは危機感を覚え、車を別の場所に移動してからというもの、騒音や壁を叩く音もピタリとなくなった。理由はよく分からないが、我々の車がなくなったことから、我々が留守もしくは出て行ったとでも思ったのだろうか。
そんなわけで、今でも車は念の為別の場所に置きつつ、部屋ではなるべく物音をたてないようにと気を付け少しの緊張感は未だありながらも、引っ越しまでの辛抱だと言い聞かせながら、なんとか今は音に悩まされることはなく、暮らしている現状である。
結局この一連の騒音騒動、何が引き金となったのかはわからないが、考えられるのは新築の誰もいなかった部屋に私たちが越してきたものだから、隣に人の気配を感じるのが突然煩わしく感じて嫌がらせを始めたのだろうか。特にうるさくしていたつもりはないが、隣との壁がこんなにも薄いとは知らずに普通に過ごしていたものだから、普通にドアを開け閉めしたり、201号室と隣接している部屋で喋ったりはしていたかもしれない。
そんな経緯があった私たちは、会社に通える範囲の中から「騒音のなるべく出ない家」「隣と隣接いている部屋がなるべく少ない物件」といったところを第一優先に、物件探しを開始することにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます