(2)

「……思えば閨も一緒じゃなかったの。これじゃあ子供だってできないわ」


 王宮の敷地内に広がる巨大な庭園の片隅。まるでかくれんぼでもしているかのようにひと気のない場所で、ニニリナはこそこそと内緒話をするかのごとく声を潜めていた。


 香りのよい夏バラが咲き誇る生垣よりも、なお小さな背のニニリナが座り込んでいると、すっかりどこにいるやらわからない。


 そんなニニリナのそばには、色とりどりの光の球がさながらホタルのごとく明滅して、周囲を浮遊していた。


 しかし光球に見えるのは人間の目を通してみた場合のことで、女神の子であるニニリナにはまた別の姿が映っている。


 漂う光球の正体は、女神の力の端くれである妖精たちだった。


 ニニリナの仕事の大半は、この妖精たちとの対話であった。女神の力の端くれとは言えども、妖精は人間よりもずっと強い力を持つ。それらが気まぐれに起こす災厄は、たびたび人類史に悲劇として刻まれてきた。


 ニニリナは、そんな歴史を繰り返さないために妖精たちと対話をする役目を担っているが――「対話」の実情は、他愛のないおしゃべりであった。


「ニニリナ様は女神の子。子供なんて望めばいくらでもおつくりできるでしょう」


 妖精の一体がニニリナの嘆きに不思議そうな顔をして返す。


「わたしはそうだけど、人間はそうじゃないの。人間は男性と女性がいっしょになって子供をつくるの。人間には人間の摂理があるのよ」


 ニニリナはそう説くが、妖精たちにはぴんときていないようだ。


 妖精は、生殖活動によってふえるわけではない。女神の力の端くれとして、ほとんど無尽蔵に生まれてくる。人間の繁殖の仕組みについてを知識として持つ妖精もいるが、根本から理解できていない妖精のほうが多かった。


 しかし知ったかぶってそう説いたニニリナも、人間が繁殖する方法についてはよく理解していない。


 かろうじて、大好きなロマンス小説を読み解いて「男性と女性が閨を共にすれば子供ができる」という知識を得ているのみだ。


 つまり、ニニリナも妖精たちも人間に関する知識の差はどっこいどっこいということである。


「――アルトリウスがわたしと閨を一緒にしないのは、やっぱりわたしのことを愛していないからだと思うの」


 ため息まじりにニニリナが嘆けば、妖精たちは温度の感じられない声で「じゃあ雷を落として宮殿を燃やす?」「いいや、川を氾濫させよう」などと物騒な提案を繰り出す。


 ニニリナはそれを聞いてもあわてることなく「そんなことをしたいわけじゃないの」と、ため息と共に吐き出した。


「お母様の前で誓い合った婚姻を今さらなかったことにはできない……それなら、アルトリウスにはわたしに惚れてもらうしかないと思うの」


 ニニリナは一転してキラリと金色のまなこを輝かせ、意気揚々と宣言する。


 しかし握りしめた拳は突き上げられることはなく、静かに力なくほどかれた。


「……でも、どうすれば惚れてもらえるのかわからないのよ」


 ニニリナはアルトリウスのことが大好きだ。けれども、これまでアルトリウスに惚れてもらう努力をしたことがない自分に気づいて、歯噛みしたくなった。


 ニニリナは、アルトリウスの愛を受け取るばかりの受け身な姿勢をまず投げ捨てねばならないと思った。


「女神様の前で永遠の愛を誓い合った嘘つきアルトリウスなんて、投げ捨てればいいのでは?」

「それはイヤ。……だって、アルトリウスのこと、好きなんだもの」


 アルトリウスは、女神の子を伴侶に欲していたのであれば、それはニニリナでなくてもよかったのだろう。


 けれども、ニニリナはそうではない。アルトリウスがいいのだ。ほかでもないアルトリウスただひとりに心を奪われているのだ。


「――さあ、『アルトリウスに惚れてもらおう大作戦』の作戦会議をするわよ!」


 ニニリナは今度こそ力強く握った拳を空へと向けて突き上げた。


 その勢いに、周囲を浮遊する妖精たちは「おおー」と完全にノリだけの威勢のいい声を出す。


 妖精たちからすれば、ニニリナ曰く神前で偽証したアルトリウスなど投げ捨ててしまえばいいという感想であったが、ほかでもない女神の子であるニニリナがそうはしたくないと言うのであれば、妖精たちは力を貸す所存であった。


 ……問題は、この「アルトリウスに惚れてもらおう大作戦」の作戦会議に、人間がひとりもいないことであった。


 かくして、「アルトリウスに惚れてもらおう大作戦」という大船は、船頭がひとりであるにもかかわらず、早々に山を登ることになったのであった。

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