幼稚園~中等部一年


 私のまわりには常に男女半々の仲間がいた。

 小学校時代、クラスには男子だけのグループ、女子だけのグループが普通に存在していて、その中にあって私のグループだけ、なぜか当たり前のように男女がじっていた。

 その方が健全だと私は思うが、成長するに伴い、それが何かと面倒なことを引き起こすのだと知るようになる。はじめはそのことに気づかなかった。


 幼稚園の頃、私は好きな子たちと遊んだ。そこに男女の差はない。遊び相手は好きな友だちなのであって、その子が男子か女子かなど関係ないのだ。

 おそらくそれは母の影響があるのだと今なら思える。母は男と友だちになれる女だった。

 男女の間で友情というものが成立するのかという問いは未だに論点になっているだろう。

 母の場合、男友達と仲良くやっていると思っていたら、突然その彼と恋人同士になり、しばらくしてまた友人関係に戻る、という、まわりからすればおかしなことを繰り返していたらしい。

 その延長なのか、母は男友達と結婚し、別れてまた男友達として付き合う、というのを繰り返した。

 今回の二度目の離婚は、弟妹たちの父親が別の恋人をつくってしまったことに起因するが、母はさっぱりしていて、慰謝料を手にできるとなるとあっさりマンションの購入を決め、元夫とも友人関係を解消しないことにしたようだ。私には理解できないが。

 それはさておき、私の話だが、幼稚園の頃私は何人かの友だちと園内で遊んでいるうち、とても好きだったひとりの男の子とをするという過ちをしでかしてしまった。

 その時の心理状態は今でもよくわからない。覚えているのは、そっとチュッ、ではなく、かなり濃密にブチュウッとやって、周囲にいた子たちに「うわッ、こいつらキスしてやがる!」とはやし立てられたことだ。

 まわりの子たちは、びっくりしたのもあるが、かなり面白がっていた。

 今思い出すとかなり恥ずかしい。それってファーストキスにはならないよね。実の父としたキスがファーストキスにならないのだから、友だちとしたキスもならないだろう、うん。若気の至りだ。


 さすがに小学校に入ると、そういう過ちをおかさなくなったが、男女が入り雑じったグループの中心にいたのは間違いなかった。

 男女に関係なく好きな友だちと遊ぶ、一緒にいる。それが私には当たり前だった。しかしグループ外の人間にはそれが友人関係には見えなかったかもしれない。


 小学校高学年になる頃、私には特に親しい男友達がいた。彼がどう思っていたかは知らないが、私は友だちとしてその子が好きだった。

 しかしグループ外のクラスメイトたちは私たちを付き合っている男女とみなした。私のことを「○○の嫁」とか言ってあからさまに冷やかした奴もいる。しばいてやったのは言うまでもない。

 どちらかと言えば私は男みたいな性格だったのだろう。私自身は完璧な女の子のつもりなのだが。

 結局、その親しかった男友達とは、小学校卒業とともに疎遠になった。


 私は御堂藤みどうふじ学園中等部に進学した。かつて女子校だった我が校は、今でも六割以上女子が占め、男子はおとなしい子が多く、女子の存在感が強かった。

 どうしてそんな学校に入ったのか未だに謎だが、それは考えても仕方がない。

 しかし、そんな女子の比率の高い学校に入っても、私はまた男女半々のグループをつくってしまった。それが後に「S組」と呼ばれるカースト最上位のグループになろうとは、その時の私は思いもしなかった。

 しかし間違いなく言えることは、そこで私は東矢泉月とうやいつきと出会ったのだ。

 御堂藤学園中等部一年生になった私は、自分がいる一年A組が入試成績上位三十名からなるエリートのクラスであることを当時初めて担任を受け持った水沢みずさわ先生に教えられた。

 中でも私のいる一班は上位五名で構成されていて、特に優秀だという。

 その時のメンバーで今も成績上位五位以内にいるのは、まだ魔王の片鱗を見せていなかった高原和泉たかはらいずみだけだ。

 和泉と私以外には美鈴みすず雪舞ゆま元気げんきがいたが今は一桁ランカーにすらなれないでいる。中学入試の成績なんてそんなものだろう。東矢泉月とうやいつき神々廻璃乃ししばりのも二班だった。

 それはさておき、他のクラスはどうだったか知らないが、私のクラスは常に班で競わせることが行われた。

 私たち一班は、特別な競争意識などもっていなかった。

 しかし他の班は違った。なまじA組などという優等生のクラスに配置されたがためにさらに上を目指そうと意気込む者がいた。璃乃りのはその代表だろう。

 私たち一班は、一学期こそ中間テストと期末テストで美鈴みすずと私が総合成績一位をとったりしてそれなりに力を見せたが、二学期以降は泉月いつき璃乃りのがいる二班に遅れをとるようになった。

 改めて思い出すと懐かしい。

 泉月いつきもはじめはそれほど目立つ存在ではなかった。背中まである漆黒のストレートヘアをなびかせた神秘的な美少女。ほとんど喋らない。クラスメイトとは距離をおいていた。

 泉月は学園の理事をしている裕福な家庭の娘だと高原和泉たかはらいずみから聞いた。

 和泉いずみは誰彼問わず話ができるコミュニケーションお化けだったから泉月に話しかけて聞き出したようだ。

 毎日黒塗りの送迎車で通ってくる。住む世界が違うのだと当時の私は思った。

 実際、泉月は普通の子ではなかった。冷静で大人びた面と、世間知らずで突拍子もないことをしでかす子供っぽい面が同居する子だった。

 小学校時代は持ち物を隠されたり、汚されたり、という仕打ちを何度も受けたらしい。あからさまないじめではなく、意地悪の類いだったようだ。

 高級車で送り迎えされる子を面と向かっていじめるだけの度胸がある者はいなかったのだろう。それだけ泉月の家は地元では有力者だったらしい。

 ただ、泉月の両親はすでに他界していて、泉月は祖父の養子になり、叔父夫婦の豪邸でたちと暮らしていたらしいから、家であっても彼女の居場所があったのかどうかわからなかった。

 クラスメイトは泉月を複雑な家庭の娘だと思っていた。

 いったい、複雑な家庭とは何なのか。

 説明に困る、あるいは突っ込んではならない家庭という意味なのか。そういう意味なら自分は単純な家にいると思える。説明は簡単だ。母はバツ二で、私は最初のダンナの子、弟妹は二番目のダンナの子、と説明に一分もかからない。

 冗談はさておき、私は中学一年の一学期が終わるまでに高原和泉とつるんでいたこともあるが、男女入り雑じった陽キャグループをつくり終えていた。

 そこには大地だいちやら恭平きょうへいやらがいて、大地は人を笑わせるのが天才的に上手かったし、恭平はあの当時から学年で一、二のイケメンだったから私たちのグループの影響力は絶大だった。

 それは班の枠を越えていて、そのため、ひとりでいることが好きな美鈴みすず雪舞ゆまが離れていったくらいだ。まあ、彼女らは最初から班のメンバーを仲間だと思っていなかったかもしれないが。

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