第20話 昨日の君さえいればいい

目の前に男子たちの背中がある。げらげらと笑い声をあげて、昨日観たテレビの話に花を咲かせている。


私はそれを俯きがちに眺めて、一人ぽつぽつと放課後の廊下を歩く。


すると、真ん中に立っていた一人の男子が、突然後ろを向いた。


瞬間的にその男子と目が合う。両隣に何かを告げ、ととと、と私の元に駆け寄った。


「一緒に帰ろーぜ、シノ」


そう言ってその男子―先日知りあったばかりの「りっくん」はニカッと笑った。


「杉崎くんたちと、帰らなくていいの?」


「いーよ。あいつらとは、いつも一緒だから」


私の不安や気遣いを、全て吹き飛ばすような笑み。心が軽くなった気がして、私は嬉しくなる。


と、私の手が、温かな熱と柔らかな感触に包まれた。見ると、りっくんが私の手を握っていた。


「俺おなか空いたからさー、今からカフェいこーぜ」


「かふぇ…?」


私は首を傾げる。かふぇ。前にテレビで見たことがある。たしか、大人の行くごはん屋さんだ。


「そう!父さんたちとよく行くんだけどさ、めっちゃうまいサンドイッチが食えるんだよ」


「へえ。どんなの?」


「えっとね。中に肉が入ってるやつ。とにかく、めっちゃうまいんだ!」


りっくんは目を輝かせている。そんなにおいしいなら、私も食べてみたい。


「ほら!おごってやるからさ、シノもいこーぜ!」


「あ、ちょっと!」


私の手を引いて、りっくんは走り出した。揺れるランドセルと、廊下に響く足音。


「あはははは!早いよ、りっくん」


私は、弾けたみたいに笑った。




「………」


見慣れた天井。カーテンの隙間から差し込む光に、さっきまで閉じていた目が痛む。


また、昔の夢を見ていた。


りっくんと馬鹿みたいに笑い合っていた、あの頃の。


私の人生で最も輝かしかった、あの日々の。



キーンコーンカーンコーン。


予鈴が鳴り響く。同時に、担任の先生が教室に入ってきた。


「はいはーい!席座ってー!ホームルーム始めるわよ」


女性らしい甘い声音で先生が言うと、騒がしかった教室に落ち着きが舞い降りる。


私は自分の机の上で、「はあ」と溜息を漏らした。


今日も退屈な一日が始まる。



「であるからして、この問題における重力加速度Gは…」


物理の授業。私は欠伸を嚙み殺すのに必死だった。


予習は済んでるから内容は理解わかるし、何よりおじいちゃん先生のゆったりとした口調が眠気を誘う。しかも授業と関係のない雑談に話が飛ぶこともしばしばだ。


結局数分間に渡る格闘の末、睡魔に屈した。



昼休憩。


私は一人、屋上でお弁当を食べていた。


今時珍しく、私の通う米神東高校は屋上を開放している。だけどこの地域は風が強いし雨も多いので、わざわざ外で昼食を取る生徒は少ない。


そんなわけで、ここは友達のいない私の昼食専用スペースだ。



じーじーじー。


セミの合唱が鼓膜を揺らす。見上げると、雲一つない青空。


りっくんが亡くなってから、十度目の夏だった。


「暑いわね…」


日陰のベンチの上とはいえ、さすがに涼しさは鳴りを潜めている。


首筋を伝う汗を拭い、自分の長い髪に触れた。


「そろそろ切ろうかな」


もうすぐ腰に届きそうなほど伸びた髪を見て、ひとりごちた。小学生から、一度も切っていない。なんとなく、伸ばし続けている。


そっと、横髪を留める髪飾りを撫でた。特に意味もなく、私はそれを外した。



真珠の貝殻の髪飾り。


太陽の光を反射して、淡く光る髪飾りは、とても綺麗だ。


だけど…私はそれを見るたび、泣きそうになる。


「りっくん…」


消え入りそうな声が、青に溶けた。




勝ち気な性格の私は、幼い頃から友達がいなかった。


「ねー、私の消しゴム返してよ」


「やだよーだ。取れるもんなら取ってみろー」


女子の物を取って遊ぶ男子。小学生の頃、毎日のように見ていた光景だ。そして私は、毎日のように男子から物を奪い返していた。


「なにすんだよ東雲」


「どろぼうはダメに決まってるでしょ。なんか文句ある?」


拳をちらつかせると、男子は押し黙る。私は「ふん」と鼻を鳴らして、消しゴムを持ち主の女子に渡した。


「あ…ありがと」


小さくお礼を言うと、その女子は逃げるように去って行った。


私は孤独だった。


男子からは疎まれ、女子からは怖がられていた。


「どうするのが正解なのよ」


私は頭を抱えた。テストの問題はちょっと考えれば正解に辿り着く。だけど人間関係だけは、どれだけ考えても正解がわからなかった。



そんなある日。



「もう…どこいっちゃったの…」


公園でクラスの男子と取っ組み合いの喧嘩になり、その拍子にお気に入りの髪飾りをなくしてしまった。返り討ちにしてやったのに、なんだか負けた気分だ。



カナカナカナカナ。


遠くでひぐらしの鳴き声。辺りはオレンジに染まり、もう家に帰る時間だった。


疲れたし、お腹すいたし、何より心細い。今すぐ走って帰りたかったけど、まだ髪飾りが見つかってない。


「お母さん…お父さん…」


ぽろぽろと、私の目から涙がこぼれる。どうして、こうなっちゃうんだろう。


悪いことをする男子を懲らしめて、困っている女子を助ける。


いいことをしているはずなのに、なぜか誰もが私から離れていく。


おまけに、お気に入りの髪飾りまでなくされた。まさに踏んだり蹴ったりだ。


悔しくて、悲しくて、私はその場で泣き声を上げ続けた。


すると。


「どうしたの?」


急に声をかけられた。顔を上げると、私と同じくらいの年の男子が立っていた。不思議そうに私を見ている。


「見つからないの」


ぶっきらぼうに言葉を返す。どうせ興味本位で近寄ってきただけだろう。心配とか、同情とか、私はそんな感情を向けてもらえるような人間じゃない。


「何かなくしたの?」


ひどく優しげな声音だった。私はちょっとびっくりして、相槌を打つことしか出来なかった。


「一緒に探してあげるよ。…君の名前は?」


「えっ」と一瞬声が出そうになる。まさか、私に手を差し伸べてくれている?

クラスの誰からも好かれない、一人ぼっちのこの私に?


そう思った途端、胸が温かくなって、気づけば大きく口を開けていた。


「私は東雲。東雲凪沙!」


目の前の子は、ちょっとだけ眉根をよせた。


「しののめなぎさ?なんか、難しい名だな。よし、えっと…」


それから少し、考え込むように空を見上げ…


「俺は律。よろしくな、シノ」


「……」


シ、シノ?


私のことだろうか。東雲だから、シノ? 


なんか変な感じ。だけど学校の人は「東雲」か「東雲さん」で、お母さんたちには「凪沙」と呼ばれているから、あだ名で呼ばれるのは初めてだった。


そういえば、前に本で読んだ。あだ名は、友達同士でしか使わないって。つまりこの律って子は、私を友達と思ってくれている?


ともだち。


どれだけ頑張っても手に入らなかったものが、ようやく私の元にも舞い込んだ。


嬉しい。


私は、そのまま宙に浮かんでしまいそうだった。ご飯がおいしいとか、テストで良い点が獲れたとか、今まで感じたことのある「嬉しい」とは、全く違う「嬉しい」だった。


「よろしく、りっくん!」


私は友達の証として、「律くん」ではなく、「りっくん」と呼ぶことにした。


「おう!そんじゃ、探すか!」


りっくんは笑って、どん、と胸を叩いた。さっきまでの涙が嘘みたいに、私の顔には満開の笑顔が咲いていた。




翌日の昼休憩。


同じ学校で別のクラスだったりっくんに、私は呼び出された。


場所は校庭にある大きな木の下。


さわさわと揺れる木の葉と、その上に広がる青空を見上げていると。


「シノー!」


元気な男子の声が、私を呼んだ。


「りっくん!」


テンションが上がって、私は叫んだ。駆けて来たりっくんと、両手でハイタッチを交わす。


「急に呼び出して、どうしたの?」


私が尋ねると、りっくんは半ズボンのポケットに手を突っ込んだ。もぞもぞと何かを取り出して、手の平をぱっと広げた。


「これって…」


私は、開かれた手の上にある物を見て、目を丸くした。


「髪飾り。昨日見つけてやれなかったからさ、代わりにやるよ」


それは、私が失くした物とそっくりの、真珠の貝殻の髪飾りだった。まさか私のために新しく買ってくれたのだろうか。ちらりと顔を見る。りっくんの頬は、微かに赤くなっていた。


「えっと…」


私は、嬉しさと同時に申し訳なさを感じた。りっくんは、わざわざ一緒になって探してくれた。それに、私と友達になってくれた。髪飾りが見つからなくたって、それだけで私は十分だった。


「こんな高そうな物、もらえないよ。…どうして、私なんかのために」


「か、勘違いすんなって。別にシノのためじゃねーって。ただの俺の自己満じこまんだから」


「ええ…」


目を泳がせるりっくん。どうしよう。断るのも申し訳ない気がしてきた。


「これ、俺の全財産はたいて買ったんだぜ。シノが貰ってくれなきゃ、マジで泣いちまうよ」


お…重い。それに、明らかに自分が満足するにしては度が過ぎている。


「わかったわ。…ありがとう」


結局受け取った。髪飾りが私の手に渡った時、「よし!」と小さくガッツポーズしたりっくんの顔が、なぜか頭に強く残った。


淡く光る、髪飾り。


私は、溢れそうになる嬉しさを、全て言葉に乗せることにした。


「りっくんに貰った髪飾り、大切にするね。私、何があっても、この髪飾りを着け続ける。中学生になっても、高校生になっても、大人になっても。ずっとずっと、着け続けるから」


私の言葉に、りっくんはきょとんとした。だけどすぐに、見る者に幸福を与えるような、世界に希望をふりまくような。


そんな笑顔で、「そっか」とだけ呟いた。



それからの日々は、本当に楽しかった。


昼休憩になると、決まってりっくんは私の教室に来てくれた。そして私の手を引き、日の光に照らされた校庭へ駆けていく。


放課後も、りっくんと二人で帰った。小さな駄菓子屋や、私とりっくんが出会った公園に寄り道して遊んだり、川に入って冷たい水をかけあったり。


相変わらずりっくん以外の友達はできなかったけれど、私にはりっくんさえいてくれればそれで良かった。


そうして時間を過ごしていくうち、私の中でりっくんは、「はじめて出来た友達」から「たった一人の大切な人」に変わり始めた。


季節は巡り、小学校に入って二度目の夏が来た。


私とりっくんが出会って、ちょうど一年。


あの日もよく晴れていて、私たちは学校からの帰り道を無邪気に走っていた。途中、石に躓いて転んでしまった私に、りっくんは優しい気遣いをかけてくれた。


「手を繋いで歩くか、シノ!」


りっくんは私の手を強く握った。恥ずかしさと嬉しさで早まる心臓の鼓動を抑えて、私はりっくんと並んで歩き出そうとした。


その時―


ぐらぐらぐらっ!


突然、大地が轟いた。


「うわっ」「きゃっ」


激しい揺れは一瞬で平衡感覚を奪い去る。私とりっくんは、その場にうつ伏せで倒れ込んだ。


「シノ…!」


揺れの間、りっくんは私の手を決して離さなかった。


木々がざわめき、電線が大きく振り回された。


やがて揺れが収まると、本能に危険を訴えるようなサイレンが、辺り一帯に鳴り響いた。そこでようやく、地震が発生したのだと気付く。


「津波が来るかもしれないぞ!」

「高台に逃げろ!」


恐怖に顔を染めた人たちが、一様に走っていく姿が見えた。


私たちも逃げなきゃ駄目だ。


私とりっくんは顔を見合わせ、同時に立ち上がった。


「りっくん」

「シノ」


今すぐここから逃げよう。


そう口にしようとした時。


繋がれていた手が、するりとほどかれた。


「シノ。悪いけど、先に逃げてくれ」


「え……」


私は一瞬、凍りついたように固まってしまう。


「妹と母さんが風邪引いててさ。二人とも熱があるんだ。心配だから、家に二人を迎えに行く」


きっぱりと言い放つりっくん。その言葉には、有無を言わせない強い意思が感じられた。


「で、でも…!今戻るのは、さすがに危ないよ!」


「大丈夫だ。絶対、生きて帰ってくるから。シノの方こそ、急いで逃げたほうがいいよ」


りっくんが私の後ろに視線を飛ばす。振り向くと、大勢の人が走っていた。悲鳴や戸惑う声も聞こえてくる。


「りっくん…無事に、帰ってきてよ?」


「おう!約束な!」


りっくんが立てた小指を差し出す。私も同じようにして、二人で指切りげんまんをした。


「じゃ!また後で!」


家がある方向に駆け出したりっくん。一人残された私は、徐々に小さくなっていく背中を、ただ眺めることしか出来なかった。そして、ほんのさっきまで繋がれていた私の手にはうっすらと、りっくんの体温の温かみが残っていた。





そして私の手には今、一枚の紙が広げられていた。


「今みんなに配った進路調査表の回答をもとに、今度の保護者懇談やりますからねー。まだ進路が決まってない人は、これを機にちゃんと考えてくださいねー」


教壇に立つ担任の先生が言った。それを皮切りに、教室に話し声が広がる。


「お前どこ受けんの?」

「岡大行きたいんだけどさ、今の成績じゃヤバいんだよね」

「え!香織ちゃん医学部狙ってんの!?」

「そろそろ予備校通わなきゃなー」


みんなの弾んだ声が耳に入る。


高二の夏。進学校である東高では、本格的に受験を意識する生徒が出てくる時期だ。ただ現時点では、不安や焦りの色はあまり見られない。卒業後の進路に、期待や夢を膨らませている生徒が大多数だ。



「はーい。じゃあホームルーム終わりますねー。今日も一日お疲れ様でしたー」


受験トークに花を咲かせる生徒たちに苦笑を漏らし、先生は教室を出ていった。


「よっしゃー。帰りマック寄ってかね?」

「悪い塾あるわー」

「マジか、今日外練かよ」


友達と肩を並べ、塾や部活に向かう同級生。一度溜息を吐いた私も、スクールバッグを担いで足早に教室を後にした。




「はあ…」


寂れた公園のベンチで、一人息を吐く。私とりっくんが初めて出会ったこの公園には、今や遊具という遊具がまるでない。昔あったブランコやすべり台は、老朽化を理由に全て撤去された。おかげで遊びに来る子どもたちも減り、もはやただの空き地同然だ。



時間と共に、人も物も変わっていく。


だけど私だけは、あの時から何も変わっていない。


まるで世界という名の時計から弾き出されたみたいに。


あの日から、私の時間は、ずっと止まったままだ。



「指切り…したのに」


ひとりごちる。


「無事に帰って来る」というりっくんとの約束は、果たされなかった。


私がそれを知ったのは、震災から一ヶ月が経過してからだった。


避難所生活を終え、ようやく自宅に戻った私は、父のパソコンで、あることを検索した。


それは、米神市のホームページ。私はそこで公表されている、震災による犠牲者名簿を確認した。


そして私の目に飛び込んだのは、「間宮律」という、一人の小学生の名前だった。


一片の疑いようもない。それは間違いなく、唯一の友達であり、塞ぎこんでいた私に希望をくれた人…りっくんだった。


どれだけ待っても、避難所にりっくんが来ることはなかった。それどころか、りっくんのお母さんや妹らしき人の姿も、どこにもなかった。


それでも私は、心のどこかで信じ続けていた。きっとりっくんは無事だ。きっと別の避難所にいて、震災の混乱で仕方なく、今は私のもとに駆けつけることが出来ないだけだ。



…そんな私の期待は、跡形もなく葬られた。




スクールバッグから、今日配られた進路調査表を取り出す。


「進路、どうしようかな」


私は、夢や目標と呼べるものを見つけられずにいた。


勉強だけはきちんとやると決めていて、成績もそれなりの順位を維持しているが、そこに情熱や展望は一切ない。


勉強は、過去に囚われたままの自分に課した、唯一の義務だった。



「これから先、私はどうすればいいの」



ベンチにもたれかかって、空を仰ぐ。


夏の夕暮れは、いつも私に思い出させる。


最初で最後の友達に、出会った日のことを。


絶望の淵に立つ私を救ってくれた、弾けるような笑顔を。


そしてあの笑顔は、もう二度と見れないことも。


…私は孤独だ。




「おかえり凪沙ちゃん」


隣の家のおばあさんに声を掛けられる。腰は曲がっているが、はきはきとした口調から健康さが伝わってくる。


「…ただいま」


俯き顔で言って、すぐに玄関に入る。


私はあのおばあさんが苦手だ。昔からずっと隣に住んでいるあの人は、当然幼い頃の私も知っている。


だから、小学生のころから何も成長していない私を見て、「いつか何か言われるのでは」と気が気じゃない。



リビングに入る。


ダイニングテーブルには、ラップが掛けられた夕食。横に添えられた紙には、「お仕事行ってきます。レンジでチンして食べてね」という母の文字。



私は夕食に手をつけず、二階にあがった。今は食欲がない。



制服のまま、自室のベッドに転がる。電気の点いていない部屋は薄暗く、じっとりと暑苦しい。


「………」


無言で天井を見つめる。しだいに、視界が霞んできた。重みを増した瞼が、ゆっくりと下がってくる。



『みんなが今勉強してるのはな、正確には古典物理学というんだ』


脳裏に、今朝受けた物理の授業風景が浮かぶ。おじいちゃん先生の雑談シーンだ。


『さらにもう一つ、ミクロな世界を扱う量子力学という分野がある。これは非常に難しくて、正直わしもよく分からん。ただ、興味深い研究があってな…』


私は瞼を閉じて、記憶が見せる映像をゆったりと眺めた。



『世界は可能性の数だけ存在する、という説がある。SF映画でよく観る、並行世界みたいなものだな。例えば、朝食にパンを食べるか、白米を食べるか、みたいな些細なものも含めて、人間は日々選択を繰りかえしている』


眠気眼ねむけまなこで耳に入っただけの雑談に、なぜか今更惹きつけられる。


『仮にパンを食べる選択をすれば、その瞬間にわしらの世界は「朝食にパンを食べた世界」として確定する。だがこの時、「白米を食べた世界」は消失しない。朝食に白米を食べたもう一つの世界として分岐する。つまり「あったかもしれないこと」は全て、別の世界線として無限に存在する。これがいわゆる多世界解釈だが…』



…別の世界線。


…可能性によって分岐する世界。


いや、あくまで一つの解釈に過ぎない。並行世界の存在証明など誰にも出来ない。


だけど。


もし、本当に、私が今生きる世界以外に、他にも世界が存在したら。



そう、たとえば。



りっくんが、死なずに済んだ世界。可能性としては十分あり得たはずだ。



もしもあの時、家に戻ると言ったりっくんを止めていれば。私が、強引にでもりっくんを避難所に連れて行っていれば。


何十回、何百回とした後悔。だけどそれは、何一つ意味を成さない。


…意味を成さない、はずだった。



「あなたのいない世界じゃ、いつまで経っても、前に進めないの」


暗い部屋に、嗚咽混じりの声が響く。


そっと、りっくんがくれた髪飾りに触れる。ひんやりとした感覚が指に広がる。


「会いたいよ…りっくん…私を…おいていかないで」


味気ない日々。音もなく過ぎていく時間。私を置いて進む世界。



…こんな世界。



気付けば私の手は、胸の前できつく組まれていた。それは祈りだった。誰に向けたものかは、わからない。ただ、全身の細胞を奮い立たせて。焦げ尽きるほどに命を燃やして。



「この世界に希望が持てないのだとしたら…私は…」



ただ、祈った。


























































































































  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る