第10話 お出かけする少年少女

俺は公園にいた。見渡すと辺りは夕陽に染まっていて、人っ子一人いなかった。


ブランコと、滑り台と、ジャングルジム。奥の方の木陰にはベンチが暗く佇んでいる。


帰ろうとした時、茂みの奥でガサッと音がした。


俺は興味本位で音がした方へ近づく。すると、微かに鼻を啜る音と、嗚咽のようなものが漏れ聞こえた。


茂みをかきわけると、小さな女の子が地面に座り込んでいた。両手を目元に当て、ぐすんと鼻を啜っている。どうやら泣いているようだ。


「どうしたの?」


俺がそっと声を掛けると、女の子は涙に濡れた顔を上げた。


「見つからないの」


そう言って、また顔を手で覆った。俺は女の子の側まで歩き、膝をついた。


「何かなくしたの?」


女の子がこくり、と頷く。それからまた顔を上げて俺を見る。幼いながらに整った顔立ちだ。


「一緒に探してあげるよ。…君の名前は?」


女の子はパァッと顔を明るくし、自身の名前を口にした。ちょっと変わった名前だったので、俺は親しみを込めてあだ名を付けることにした。


「俺は律。よろしくな、シノ」


「……」


ぽかんと口を開けた女の子-シノは、少し遅れて話し出した。


「よろしく、りっくん!」


「おう!そんじゃ、探すか!」


俺のあだ名呼びに、シノもあだ名呼びで返してきた。律だから、りっくん?まあそんなことはいいや。とにかく今は、この子の失くし物を見つけてあげよう。



その後、俺とシノは公園中を探し回ったが、結局失くし物は見つからなかった。



「………」


窓から差し込む朝日。俺は重たい体を起こす。ぎしっ、とすのこが音を上げた。


「夢か…」


随分と昔の夢を見た。俺とシノが初めて出会った日の夢。どうして今になって、こんな昔のことを…。


俺はベッドから降り、カーテンを開けた。朝日で視界が白に包まれ、セミの鳴き声が耳に運ばれる。


「シノ…」


何となく、亡くなった幼馴染の名前を呟いた。




「映画?」


朝食が並んだちゃぶ台。俺は、正面に座る明里が発した言葉を聞き返していた。


「そう。今日公開の、横山流星が主演のヤツ。私、どうしても観に行きたいの!」


明里が興奮気味に話す。俺はやれやれ、とため息を吐いた。


「行きたきゃ行けよ。でも、なんで俺まで一緒に行くことになるんだ?一人が嫌なら凪沙と二人で行けばいいじゃないか」


明里はさっき、「おにいちゃんも一緒に行こうよ!」と言ったのだ。


「私は別におにいちゃんを誘うつもりはなかったけど、凪沙さんが」


「間宮くんも来て」


凪沙が真剣な目を向けてくる。どこか有無を言わせないような圧力を感じる。


「な、なんでだよ。女子二人で楽しんでくればいいじゃないか」


凪沙は首を横に振る。


「夏って、よからぬ輩が出没する季節なの。明里ちゃんと私の安全のために、間宮くんがボディーガードしてくれると非常に助かるのだけど」


「よからぬ輩が現れても凪沙一人で対処できそうだけどな…」


不良の岩田相手に一歩も引かず、仲間たちとも互角に渡り合っていた凪沙を思い出す。


「私を喧嘩のプロみたいに言うの、やめてくれるかしら?これでもか弱い女の子なのよ」


「か弱いねえ…」


その辺の男よりも男らしいと思うぞ。例えば俺とか。


そう思った時、俺の脳裏に昨日の記憶が呼び起こされた。


雨の中、バス停で交わした言葉。


触れ合って感じた、凪沙の柔らかさと温かさ。


後悔と羞恥心と興奮が同時に押し寄せて来て、顔が熱くなる。


「どうしたのおにいちゃん?急に顔赤くして」


明里が丸い目をして尋ねてきた。俺は誤魔化すように咳払いをする。


「…わかったよ。ご飯食べて身支度したら行くぞ」


「わーい!おにいちゃんナイスぅ!」


明里が両手を上げて喜んだ。横目を上げると、凪沙は満足気な表情で茶碗飯を食べていた。




家の近くのバス停に三人で立つ。今日の気温は四十度近くまで上がるらしく、まだ午前中なのに太陽はギラギラと輝きを放っていた。


「あつい…」


俺は額の汗を拭う。横を見ると、黄色のワンピースに身を包んだ明里がぐったりしていて、さらにその横には白いワンピースを着た凪沙が遠くを見つめていた。


二人とも似たような服装で、こうして並んでいると姉妹にも見えてくる。


やがて路線バスがやって来た。すぐに乗り込んだ俺たちは、一番後ろの席に腰を下ろす。


車内は冷房が効いていて、じっとりかいた汗がひいていく。


「やっと涼しくなったぁ」


俺と凪沙に挟まれた明里が安心したように言った。凪沙はハンカチで首筋の汗を拭っている。


バスが発車し、車内が少し揺れる。目的地は駅前のショッピングモール。


今から向かうモールの中に、市内で唯一の映画館が入っている。上映中の映画を観ようと思えばここに行く他ない。


もっと言えば、学生の遊び場所もこのショッピングモールが定番だ。服に雑貨にゲーセンにご飯。娯楽という娯楽が集中しているため、休日にこのショッピングモールに行くと必ず知り合いの顔を見ることになる。まさに田舎あるあるだ。


明里と凪沙と俺の三人で歩いているとこを見られたら、学校で変な噂が立ちそうで怖い。


「あの間宮が女を連れ回していた」とか、

「陰キャに見せかけた淫キャかよ」とか、コソコソと言われるのは気分が悪い。


俺が最初映画に行くのを渋ったのも、こうしたしょうもない噂を恐れてのことだった。


窓枠に肘をつき、外の景色を眺める。反射で明里と凪沙の姿が映った。


はしゃいで何か話しかける明里と、優しく微笑んで相槌を打つ凪沙。時折凪沙が言葉を返し、それに明里が楽しそうに笑う。


俺は、そんな二人を見て静かに笑った。




ショッピングモールは、かなりの人だった。


俺たちは先に映画のチケットを買い、上映までの待ち時間で適当に店をまわることに。まずは映画館の隣の服屋に入る。


「凪沙さんこれ被ってみてよ!」


そう言って、明里が大きな麦わら帽子を凪沙に差し出す。凪沙は無言で受け取って、言われるがまま被る。


「やっぱり似合う!おにいちゃんもそう思うでしょ!?」


瞳を輝かせた明里に言われ、俺は凪沙を見る。


夏らしい麦わら帽子に艶のある長い黒髪。

すらっとした身体を包む純白のワンピース。

この組み合わせ、反則すぎる。


まごうことなき美少女が、そこにはいた。


「ど…どう?変じゃない?」


照れ臭そうな顔を向ける凪沙。


「いや、マジで似合ってるよ。この破壊力は凪沙じゃないと中々出せない」


「そう?…それはどうも、ありがと」


凪沙は口元を緩め、帽子のつばを手で押さえた。俺の心臓が一瞬跳ねた。


「ん〜これで潮騒しおさい漂う海辺を歩かせたら、絵になるだろうなあ」


明里が腕を組んで言った。


「わかってないな。青空の下、田んぼに囲まれた田舎道を歩かせた方が絶対にいい」


俺が指を振って指摘する。


「船の甲板で輝く海を見つめていたら、突然吹いてきた風にうっかり帽子が飛ばされて…『あ!』って思ったら、突然現れた高身長爽やかイケメンが帽子を掴んでくれて、『あぶなかったね(ニコッ)』っていうシチュもいいなぁ〜!」


瞳を輝かせ、胸の前で手を組む明里。女子中学生の妄想力はさすがだな、と俺は苦笑する。


「凪沙さんは!?どんなシチュエーションが一番憧れる?」


と、明里が凪沙をバッと見る。凪沙は困惑気味に、「え?そ、そうね…」と言って顎に人差し指を持っていく。


「麦わら帽子をなくしちゃって困ってる私を見て、心配そうに話しかけてくる男の人。事情を話すと、その後の予定も全部ほっぽり出して、日が暮れるまで一緒に探してくれる。…結局見つからなくて、暗くなった道を二人でとぼとぼ帰る。……こんな感じが、いいかしら」


思ったよりも具体的なシチュエーション。明里は呆気に取られたように口を開けている。


「…私の妄想、気持ち悪かった?」


凪沙が少し悲し気な顔で言った。明里は右手をぶんぶんと振って否定する。


「ぜ、全然!ただ、凪沙さんはそういうの淡白なイメージあったから、ちょっとビックリしちゃっただけ」


「俺も同意見だ。それに…」


「それに?」


凪沙が俺を見る。俺は一瞬の逡巡を経て、肩をすくめる。


「いや、なんでもない。何言おうか忘れちゃったよ」


「それに、どこかで聞いたような話だから」と口にするのはやめておいた。



その後、俺たちは例の映画を観た。


大体二時間くらいの恋愛映画で、可もなく不可もなく、といった感じだった。


内容は、大学進学を機に遠距離恋愛になったカップルの心のすれ違いを描いたモノだった。結局二人は別れるのだが、地元に残っていた男の方が就職を機に女のいる東京に出て、お互い別々の恋人を作って幸せになるのだが、最後にお互いのデート中に街で出会ってしまう。しかし、今の恋人の手前、二人はお互い他人のフリをして別れる……というモヤモヤする結末だった。


エンディングが終わり、劇場が明るくなる。


「んー、まあまあだったね」


右に座る明里は、そう言って伸びをした。元々主演俳優目当てだったらしいから、内容自体はあまり気にしてないっぽかった。


俺は左に座る凪沙を見て、思わずギョッとした。


「おい、大丈夫か?」


凪沙の瞳はうるうると湿っていて、頬には涙の跡があった。


「ああもう!バッドエンドには弱いのよ…」


凪沙は残ったポップコーンを勢いよく口に流し込んだ。


「ハッピーエンドなら泣かなかったのか?」


俺が尋ねる。凪沙はポップコーンを飲み下してから言った。


「それはわからない。でも、あの二人は明らかにまだお互い愛し合っていたじゃない。それなのに勢いで別れて、寂しさを埋めるために代わりの人と付き合って…それで最後あの終わり方なんて、救いが無さすぎるわよ!」


ドン、と肘置きを叩く凪沙。俺と明里は互いに顔を見合わせてから、苦笑いを溢した。


「あのお客様、次の上映が始まりますので…」


劇場スタッフが迷惑そうな顔で声をかけてくる。「すみません、今出ます」と言って、俺たちはシアターを後にした。



「さて、そろそろ昼飯にするか」


俺はスマホを確認して言った。時刻は午後一時ちょうど。


「マックにしよ!」


明里が元気よく言った。俺は凪沙を見る。既にいつもの冷静な顔に戻っていた。


「凪沙はマックでいいか?」


「お金を出してもらってるんだから、私に選択権なんてないわ」


平坦な声色で言われた。別にそんなこと気にしなくていいのに…。


「じゃあ、フードコート行くか」


「うん!」 「了解」


二人から返事をもらい、俺たちは西館にあるフードコートへと歩みを進めた。




昼食後、明里の参考書を買いに俺たちは一階の本屋へ入った。


「凪沙さん、一緒に選んでくれない?」


「いいわよ。私でよければ」


明里と凪沙は二人で参考書と睨めっこを始めた。勉強の苦手な俺には分からない領域のため、全て凪沙に任せることにした。


どうやら、最近明里は凪沙に勉強を見てもらっているらしい。二人は同じ部屋で寝ているので、夜の空き時間に教わっているとか。


凪沙はかなりの学力の持ち主のようで、「学校の先生よりわかりやすい」と明里は言っていた。賢い彼女は、やはり東高の生徒なのだろうか。


俺は二人の元を離れ、小説の新刊コーナーへ足を運んだ。普段そんなに本は読まないが、表紙を眺めたりするのは案外好きだ。


デカい机一面に並べられた本たちに視線を下げる。ボーっと見ていて、何となく興味を惹かれた一冊に手を伸ばす。


すると、同じく伸ばされた誰かの手と俺の手が重なった。


『あっ』


慌てて手を引っ込める。「すみません」と呟いて顔を上げると。


「間宮くん…!?」


驚きを顔に浮かべた、私服姿の杵村さんが、目の前に立っていた。

















































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