第7話 遠方の光

「とりあえずなんだけど」


自転車に跨った俺に、凪沙が言ってくる。


「市内の小学校を巡ってみるのはどうかしら」


「小学校?」


俺が聞き返すと、凪沙は元気よく頷いた。


「地震とカツサンドの件から、小学生の私が米神市内、少なくとも鳥取県内にいたことはほぼ確実でしょ?なら、私は市内の小学校に通っていたはず。昔通った学校の校舎を見れば、記憶の引き出しが開くキッカケになるかも」


「…それもそうだな」


納得した俺は二度ほど頷いた。すると凪沙が突然後ろに腰かけてきた。さらに両腕を俺の腰に回して、ぎゅっと体を寄せてくる。柔らかな感触が背中に伝わり、一気に全身が硬直する。


「何固まってるのよ?さあ、冒険のはじまりよ」


凪沙は満面の笑みをたたえた顔で言った。暑さのせいか、かすかに頬が上気している。


「出発、するか」


俺は心臓の鼓動を悟られないよう、きつくハンドルを握りしめてペダルを踏み込んだ。




しゃー。


自転車のチェーンが耳心地の良い音を鳴らす。吹く風は涼しく、炎天下の中走る俺たちをいい感じに冷やしてくれる。


「風が気持ちいいわね」


凪沙が少し弾んだ声を出す。横を見ると、一面田んぼの緑がキラキラと光っていた。


「ここから一番近いとこだと、福山小ってとこなんだけど。聞いたことあるか?」


風にかき消されないよう、俺は大きな声で凪沙に尋ねた。


「聞き覚えないわね。その福山小ってとこが、間宮くんの通ってたとこ?」


「いや、俺の通ってた小学校はそこじゃない。方向としては反対側にあるんだよ」


「つまり、後から行くってこと?」


「そういうこと」


田んぼに囲まれた田舎道を抜けると、大きな道路に出る。左に曲がり、そのまま真っ直ぐ行くと小さな横断歩道。そこを渡った先に、米神市立福山小学校が建っていた。


木々に囲まれた校庭と、奥に佇む古い校舎。


ちらほらと、子どもたちが校庭を駆け回るのが見える。この暑いのに元気なことだ。


「どうだ?何か思い出せないか?」


「うーん。特に何も」


凪沙は眉間に皺をよせ、ぐるりと校庭を見渡す。


「まわってみて、校舎に近づくか」


俺が声をかけると、凪沙が頷く。


「そうね。そうしましょう」


俺たちは自転車を押して、小学校の玄関口へ回った。狭い駐車場に何台か車が止まっていて、門の前には「関係者以外敷地内に立ち入らないでください」との立て看板が置いてある。


「…どうだ?」


「ピンと来ないわね」


顎に手を当てた凪沙が呟く。本当は敷地内に入って見たいとこだが、大人に見つかると色々と厄介だ。


「次へ向かうか?」


「…ええ。ジャンジャン行きましょう」


頷く凪沙を見て、俺は再び自転車に跨る。何も言わずに凪沙も後ろに乗り、先ほどと同じように俺の腰に腕を回す。


「次は…箕川みのかわ小に行こう」


「相変わらず分からないけど、了解よ」


俺は足に力を込め、強くペダルを踏み出した。



十五分ほど自転車を走らせ、俺たちは箕川みのかわ小に着く。


年季が入った木造校舎の福山小とは打って変わり、箕川小の校舎は清潔感のあるコンクリ仕立てだった。


そういえば一年くらい前に建て替えたんだっけ、とふと思った。


緑の葉を生い茂らせた樹木の背後にそびえ立つ校舎。凪沙は無言のまま、それを見つめていた。


「こっちはどうだ?」


俺が尋ねると、凪沙は首を横に振った。


「見覚えがないわね。私の通ってた小学校、一体どこなのかしら」


凪沙は「はあ」と一つ息を吐いた。時刻は午後14時をまわり、ジリジリとした日差しが俺たちの身を焦がす。


俺は道路脇の歩道に佇む、赤い自販機に目を向けた。


「喉乾かないか?」


「まあ乾いてはいるわね。これだけ暑いもの」


俺はゆっくりと自販機へ歩を進め、ポケットから財布を取り出す。硬貨を何枚か入れ、適当に缶ジュースを二本買った。


「どっちがいい?」


俺は出てきた二本の缶を凪沙に見せる。レモンスカッシュとペプシ。


「男の子って、炭酸好き多いよね」


そう言って、凪沙は俺の手からレモンスカッシュを取り上げた。


「女子が甘いもの好きみたいなもんだろ」


俺はぷしゅ、とペプシのプルタブを開け、一口喉に流し込んだ。口の中でパチパチと泡がはじける。


「甘いもの食べてる時が一番幸せね。食べ過ぎには注意だけど」


ごくごくっと喉を鳴らす凪沙。


「まるで劇薬だな」


俺は残りを一気に飲み込んだ。思わずゲップが出そうになるが、なんとか堪える。


「コカコーラ苦手なんだっけ?」


凪沙が俺に尋ねた。俺は手元のペプシをちらっと見て頷いた。


「コカの方は、甘ったるくて昔から無理だな。ペプシの方がすっきりしてて好きだ」


俺の言葉に凪沙は「ふーん」と横目で言った。

俺は些細な引っかかりを覚え、口を開く。


「俺がコカコーラ無理って、前に言ったか?」


すると、凪沙は少し首を傾げた。


「あれっ。たしかに、何で私そんなこと知ってたんだろ…」


まあコーラとペプシが二つ置いてあったら、どちらを選ぶかでその人の好みくらい直感でわかるか。


「まあいいや。そろそろ次に行こう」


俺は自販機横のゴミ箱に缶を捨てた。


「あっ、うん」


凪沙は残りを飲み干して、同じく自販機横のゴミ箱に捨てる。


「さてと。ここから近いとこで言ったら…」


自転車に跨った俺は、頭の中で地図を展開した。後ろに座る凪沙がくりくりとした目をこちらに向けてくる。


後藤ヶ島ごとうがじま小かな?」


俺は凪沙の顔を見る。「知ってるか?」と目で問うと、凪沙は微笑して首を捻った。


俺は少し息を吐いて、次の目的地へと自転車を走らせた。



*******


それから俺たちは市内の小学校をしらみつぶしに回った。結局汗を流して自転車を漕いだ甲斐なく、どこも凪沙の記憶とヒットすることはなかった。


ついに日が暮れてきた頃。俺たちは最後の一校であり、俺の母校でもある車峰くずみね小学校を訪れた。


正門の前に自転車を止め、凪沙と二人並び立つ。目の前には駐車場が広がり、奥の玄関前には色とりどりの花が植えられた花壇がある。


「…懐かしいな」


俺は目を細めた。たまに自転車で通ることはあっても、こうして立ってまじまじと見るのは何年ぶりだろうか。


「……」


凪沙は無言で目を凝らしている。夕暮れのオレンジと、カナカナカナと遠くで鳴くひぐらしの声。


夏の夕暮れが、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。


その時しゃり、と地面を踏む音がした。


気づくと凪沙が門の中へ足を進めていた。


「おい、どうした?」


俺は慌ててその背中を追う。


「奥までいきたい」


凪沙は振り返って言うと、また前を向いて歩を進める。俺は小走りで隣に並び、凪沙の横顔を見る。


「勝手に入ると、面倒なことになるぞ」


「その時は走って逃げましょう」


「いや、逃げると余計ヤバいだろ…」


額に汗を滲ませる俺に構わず、凪沙はどんどん歩いていく。玄関の脇を抜け、校庭へ続く道に出る。校舎の窓は既にカーテンがかけられ、人の気配は全くしない。


右手に回り込み、渡り廊下を抜けると、そこはだだっ広い校庭だった。遠くにブランコやうんていが見える。


小一の時、この校庭で友達とサッカーして遊んだっけ…。


地震が起きる前、友達もたくさんいて活発だった頃の自分を思い出す。


いつも馬鹿みたいにはしゃいで、大きな声で笑い、休憩時間になれば何も考えることなく、この校庭を元気に駆け抜けていた。


夕暮れに染まる校庭は、あの頃よりも随分と小さく見えた。体が成長した証なのか、視野が狭くなっただけなのか…


「やっぱりそうだわ」


隣に立つ凪沙が、遠くを見て呟いた。


「私、この小学校…車峰くずみね小に通ってた」


俺は凪沙の言葉を聞いた瞬間、バッと横を振り向いた。


「そ、それは本当か!?間違いないのか?」


少し上擦った俺の声が、静かな校庭に響いた。


「ええ。花壇、玄関、校舎、そしてこの校庭。全ての景色と、場所の雰囲気。何もかも覚えているわ」


凪沙の澄んだ瞳に夕陽が映っていた。ビー玉の中に閉じ込められた炎のように、赤い光が揺れ動いていた。


「じゃあやっぱり凪沙は…」


「この町の人間みたいね」


続く言葉を口にする凪沙。口元は少し上を向いていた。


「凪沙が車峰くずみね小の生徒だったということは…俺と同期の可能性もあるってことだよな?」


おそらく凪沙は俺と同い年か、その前後だろう。俺は小二の時に車峰小から倉橋市の小学校に転校してしまったが、もしかしたらまだ俺がこの学校に在籍していた時、同じ校舎で授業を受けていたかもしれない。



「つまり私たちは…」


凪沙が俺を見る。目が少し開かれていた。


「既に過去に出会っていたかもしれないな」


浮上してきた新たな可能性。凪沙の記憶が正しければ、十分あり得るものだ。


「それに凪沙が車峰小の生徒だったのなら、家もこの地区内のどこかにあることになるな。引っ越しとかしてなければだけど」


小学校は、決められた地区内に住む子どもが集められる。車峰小に通うには、車峰地区のどこかに住んでいる必要がある。


「なるほど。つまり、明日からの探検の範囲をかなり絞ることが出来るわけね」


凪沙が納得の頷きを見せる。


沈まずに残っている夕陽が、俺たちを赤く照らした。まるで、俺たちに希望の光を送ってくれるかのように。


「…そろそろ出るか」


呟くと、一瞬凪沙が俺を見て、また前を向き直った。


「そうね。明里ちゃんもそろそろ帰ってるでしょうし」


「ああ」



俺たちはもと来た道を戻り、誰にも見つからずに門から出た。


止めていた自転車に跨り、後ろに座る凪沙に顔を向けた。


「帰りにスーパーに寄って…!?」


目の前に、凪沙の綺麗な顔があった。


細長いまつ毛に縁取られたくりくりの瞳。

スッと綺麗な鼻筋と、ふっくらとした唇。

微かに赤く染まった頬。


「夕飯の買い物ね?荷物なら私が持つから」


ぷい、と顔を背けた凪沙。俺も慌てて前に向き直り、赤くなった顔を見られないようにした。


「悪いな、じゃあ頼むわ。い…行くぞ?」


確認するように言うと、凪沙は何も言わずに俺にしがみついてきた。昼からずっとこの状態なのに、いまだに慣れることができずドキドキする俺だった。



*******


その後、スーパーで買い物を終えた俺たちは家に帰り、作った夕飯を三人で食べた。


今日の夕飯はカレーだったのだが、凪沙が野菜を切ってくれたおかげでかなり楽に済んだ。


「おにいちゃんたち、どこに行ってたの?」


はふはふとカレーを頬張りながら、俺と凪沙を交互に見る明里。


「どこって言われてもなあ…」


口籠る俺。何と言えばいいだろうか。二人で小学校巡り?ポカンとする明里の顔が頭に浮かぶ。


「あれー。もしかして言いづらいこと?私に聞かれるとマズいこと?」


明里がニヤニヤとした顔を俺に向ける。


「そういうわけでは…っ」

「小学校に行ってたの」


否定しようとする俺の言葉に、凪沙の澄んだ声が重なった。


「小学校?」


予想通りポカンとする明里。


「ええ。私が通っていた小学校を探そうって話になってね。その結果、おそらく私が卒業したと思われる学校が判明したわ」


「え!?どこどこ?」


ちゃぶ台に身を乗り出す明里。凪沙は不敵な笑みを浮かべ、


「明里ちゃんのお兄さんが通っていた車峰小よ。まあ間宮くんは途中で転校したみたいだけどね」


ちらっとこちらを見る凪沙。俺は無言で頷き、


「だから地震が起きる前、俺と明里がまだ米神市に住んでいた時、凪沙と俺は同じ学校に通ってたんだ」


それを聞いた明里は目を見開いた。


「じゃあ、二人は昔出会っていたかもしれないってこと!?」


「そうね」 「ああ」


俺と凪沙が頷く。すると明里は頬に手を当て、瞳に光を宿し始めた。


「なにそれ〜!なんかドラマみたい…!」


「ドラマって…俺たちは真面目にやってんだぞ?」


呆れた俺はため息を吐く。すると凪沙が「ふふ」と笑った。


「運命の再会、的なのも悪くないかもね」


「でしょでしょ!そういうのほんと憧れちゃうなあー」


二人が楽しそうに笑うのを見て、やっぱり女子の考えることは同じなんだな、と思った。


スプーンを口に運んだ時、明里がぽん、と手を打つ音がした。


「じゃあさ!おにいちゃんの友達で車峰小卒業した人に、凪沙さんのこと聞いてみればよくない?小学校おんなじなら絶対分かるって!」


「いい案ね。一人くらいは、私のこと覚えてる人もいるでしょう」


二人とも期待たっぷりの視線を向けてくる。


「いや…まあ確かにそれが出来たらいいんだが…」


言葉を濁す。そう、俺は友達がいない。


「どしたの?何か問題がある?」


明里が丸い目をして尋ねる。


「いや…問題っていうかなんつーか」


兄として、実の妹にボッチであることを告白するのは避けたい。


なんとかしようと頭を働かせていると、たった一人、学校で話せる唯一の人間の姿が浮かんできた。


垂れ気味で少し眠そうな目をした、だけどしっかり自分の考えを持っている、おさげ髪の女子。


わがクラスの学級委員長、杵村舞夏だ。


























































































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