02

 最初の事件は直に起こった。エリスが依頼を受けて三日後に、盗賊団がリズドア教会を襲ったのである。

 彼等は皆、魔術師でも法術師でもない一般人であったので、エリスとっては相手にすらならなかった。しかし、今回の襲撃について彼女は一つ気掛かりなことがあった。

「これは少し多いような気がしますね」

 石畳の床に突っ伏している無法者達を見て教会長が発した言葉は、やや感嘆の色を含んでおり、実に暢気に響いた。

 そんな教会長を嗜めるように、エリスはぴしゃりと強く言い放つ。

「多過ぎです」

 エリスの口調で自分の失態に気付いた教会長は、思わず苦笑するが謝罪はしなかった。代わりに賞賛の言葉でエリスの機嫌を取る。

「ここ数日で急に数が増えましたな。いやあ、それにしてもこれだけの人数をよく……。お見事です」

 多少の危機感は抱きつつも、彼が状況を正確に把握できていないことはその態度によく表れており、エリスは舌打ちしたくなった。

「お褒めに預かり大変光栄ですが、喜んでいる場合ではありませんよ。少々不味いことになっているかもしれません」

「不味い、ですか?」

「価値ある物はしかるべき場所に保管されているものです。失礼ですが、このような状況でもこちらの教会は大層開放的な姿勢を貫いていらっしゃるようですね」

 エリスは聖女堂を見上げる。きっと建物の中では、今でも聖石「聖女の涙」がきらきらと美しく輝いているのだろう。害虫を引き寄せる誘蛾灯の様に。

 立て続けに強盗に襲われ、魔術師の関与も疑われているというのに、教会長は聖女堂をエリスと教会の法士数名に交代で見張らせるだけで、未だに教会外の一般の信徒達の出入りを禁じてはいない。つまりは誰でも「聖女の涙」の側まで近付くことが出来る状態にあるのだ。警備を請け負ったエリスとしては堪ったものではない。

「それは、そうあるべきという創立当初からの方針なのですよ。どのような立場の者にも法術徒の門戸は開かれているべき、と。『聖女の涙』についても、価値ある物だからこそ全ての人々がその恩恵を受けられるようにと考えて、一般にも公開しているのです」

 教会長の言葉は途中から熱を帯びて語られ、半ば陶酔している風に感じられた。彼が如何にリズドア教会と代々受け継いできた理念に誇りを持ち、職務に当たってきたかが窺えた。

「その姿勢自体は否定いたしません。素晴しいことだとは思います。『聖女の涙』にしても、結果的にはそれで救われていた部分はあるでしょう。こんな誰の手にも届くような場所に価値ある品が存在しているなんて、普通は思いませんからね。ですが、その価値が知られてしまえば非常に危険です。他に狙う者があれば価値ある物であることは間違いないだろうと、訳も分からず犯行に及ぶ輩が出始めたのかもしれません」

「これまでとは違う犯人だと?」

「確定的な話ではありません。あくまで、可能性の一つです。その辺りは司法機関の調査結果を待つ必要がありますね。……ところでずっと気になっていたのですけれど、依頼をお受けした時から私、教会内で自分以外の外部の護衛を見掛けてはおりませんの。他の者は雇われなかったのですか?」

「実は他の方々には断られてしまったのですよ。傭兵団にも魔術師にも。引き受けて下さったのは貴女だけで……」

 予想通りと言えば余りに予想通りの答えだった。彼等に拒絶された主な理由は恐らく「儲けにならない」からだ。リズドア教会が提示してきた報酬は相場の六割程度。相手が魔術師ならば、この上更に法術徒に対する嫌悪感や仲間内からの評価が邪魔をして、余程のことがない限りは話を聞いてもらうことすら出来ないだろう。

「守銭奴」のエリスが今回の依頼を引き受けたのも、しばしば仕事を斡旋してくれる知人に「話を聞くだけでも」と頼まれたのと、「聖女の涙」をこっそり盗み出して売り払ってやろうという悪しき魂胆があるからで、恐らく通常なら断っていたであろう。

「オーヴィリア領の騎士隊や自警団は……無理なんでしたね。この国の法術教会は治外法権ですから」

「ええ。地方教院や地方教会のことは全て法術の最高機関である聖法庁が采配する決まりとなっておりますので、領主様の兵をお借りすることは出来ないでしょう。自警団も同様に」

 エリスは態とらしく深い溜息を吐いてみせた。

「まあ、お分かりのこととは思いますが、この先私一人で任務を遂行することは難しくなっていくでしょう。大教院との交渉を早急に進めて下さい。兵が派遣されるまでは、何とか持たせます。報酬に多少色を付けてもらうことにはなるでしょうけど」

「……分かりました」

 教会長は、がっくりと項垂れた。



   ◇◇◇



 夕刻、オーヴィリア大教院の司法官と教院騎士隊が盗賊達を引き取りに来た。彼等を引き渡した後、教会長は司法官達と教会警備の為の騎士隊の派遣について交渉している様子だった。こうした話は、魔術師のエリスが介入出来るものではない。後で結果だけ教えてもらうことにして、彼女は待ち時間を教会周辺を警邏して過ごすことにした。

 事件後、建物の破損を口実に外部の人間の立ち入りを禁じた為か、リズドア教会の敷地の周辺には人の気配がなく静かであった。代わりに葉擦れの音がよく響いた。今ここに誰か他の者が現れたなら、大層目立つであろう。異常を逃すまいと周囲を見回しながら歩いていたエリスが教会裏手の森に差し掛かった時、木々の合間から彼女を呼び止める声が聞こえてきた。

「酷いな」

 聞き覚えのある男の声である。エリスは眉を顰めた。

「あんな風に言われたら、人の良い教会長は嫌でも報酬の値を吊り上げざるを得ない」

「ヴィンリンス……」

 ヴィンリンス研究官――聖法庁法術管理局研究部に所属する上級法術師であった。



「聖法庁の高位法士様がこんな田舎に何の用?」

 エリスが招かれた――と言うより引き摺り込まれた場所は、ヴィンリンスが魔術で生み出した異空間の屋敷であった。エリスの部屋と同質の物だ。

 屋敷の主人はエリスを応接間の椅子に座らせると隣室へ行き、客に振舞う紅茶の準備を始めた。かちゃかちゃという音がエリスの耳にも届いた。

「こんな田舎でも、地方教会は聖法庁の下位組織の一つなんだ。問題が起これば、上は調査の為に動くよ」

 間仕切りの垂布がさっと横に引かれ、ヴィンリンスが茶器を持って姿を現す。エリスは紅茶の水面を見て、嫌そうな顔をした。

「毒でも入ってるんじゃないでしょうね」

「毒見をしようか? その後、君は私が口を付けた紅茶を飲まなければならなくなるだろうけどね」

「なら、いっそ飲まないわよ」

「出された紅茶に口を付けないとは無礼な客人だ」

 おどけたように笑ってみせるヴィンリンスに、エリスは冷ややかな視線を送った。

「その物言いが、まず客に対して無礼なのだと知りなさい。それで、貴方が私に接触してきたということは、先程言っていた『問題』と言うのは――」

「『リズドア教会が異教の魔女の手を借りたこと』と言いたい所なんだけどね。『聖女の涙』のことだ。エリス、報酬をもっと増やしたくはないかい?」

 法術関係機関に所属する法士達は、常時は魔術師と敵対しているにも拘らず、時折魔術師に仕事を持ち掛けてくることがある。勿論、法術側でも魔術側でも表向きは禁止されている行為であり、極一部の法士と魔術師の間でのみ交わされる秘密取引だ。ヴィンリンスとエリスの関係も正にこれに当たる。

 ただ、エリスにとって法術側の取引相手はヴィンリンスだけではなく、この手の顧客の中でも彼は信用できない部類に入っていた。

「ああ、そうか。強盗犯の黒幕は貴方だったのね。貴方の得意技――精神操作の法術で罪もない無関係な人間に盗みを働かせた、と。結局、失敗に終わったようだけど」

「悪意のある言い方……」

「事実じゃないの。『聖女の涙』を魔導具研究に使うつもり?」

「勿論。私達研究部はそれも仕事の一つだ。君達魔術師に対抗する為にね」

 ヴィンリンスは、にやりと悪人のする笑顔を浮かべた。エリスはヴィンリンスに不信感を抱いているが、彼はエリスの勘の良い所を買っているらしい。にも拘わらず、自分が依頼した案件でさえ非協力的であることが多く、非常時でもまるで観劇を楽しんでいるかの様にこちらを観察するだけ、といった行動を取るので、本当に質が悪い。

「そこまで言われて、手を貸す魔術師がいると思って? しかも、悪事の片棒を担ぐなんて」

「私達法術徒の教えでは、魔術師はただ魔術師というだけで悪事を働いていることになるのだけど」

「……」

 黙したままぎろりと睨み付けるエリスを見て、流石に大人気なかったか、とヴィンリンスは反省した。どれ程自由奔放な態度で誤魔化してみせても、彼は本質的には法術徒だ。しかも聖法庁に所属する高位の法士であり、法術徒の中でも一部の資質ある者しか使えない「法術」の使い手――法術師である。

 彼等の信仰の基盤の一つである法術は、この宗教の開始当初こそ法術徒の全てが使用出来たと伝えられているが、布教によって外部から入ってくる信者が増加した結果、今では血筋正しい者のみが受け継ぐ既得権益の様になってしまっていた。ヴィンリンスもまた、型通りの道を進んで法術を習得した一人だ。彼の根底には特権階級たる自負や矜持があり、何かにつけて魔術師を下に見がちであった。そして、その価値観は時折無意識に他者へと牙を剥いた。それが最後には自身の首を絞めることも多々あり、都度都度反省してきたつもりであったが、またしても彼は同じ失敗をしてしまったようだ。

「ごめんごめん、悪かったよ。真面目に手を貸して欲しいんだ」

 エリスは益々不信感を強めたが、面倒だったのであからさまには反抗の態度は見せなかった。

「ふうん。貴方達が一枚岩ではないのは今更だけど、随分と危ない橋を渡っているのね。聖法庁の方から正規の手順を踏んで徴発出来ないの?」

「色々と事情があってね。ずっと狙ってはいたのだけれど、折り良く機会が巡ってきたものだから仕掛けたんだ。しかし、それももうすぐ不可能になる。司法省が漸く重い腰を上げてね。オーヴィリア大教院に命じて、教院騎士隊を派遣させることになったんだ。同時に聖法庁から調査員が派遣される。司法官と監察官が一名ずつ。まあ、身内の私としては非常にやり辛い訳だな。特に監察部の部長とうちの上長は犬猿の仲だから――」

 そもそも司法省の前身は外部の軍事組織で、約八百年前、諸般の事情により聖法庁に取り込まれたと記録されている。対して、法術管理局は聖法庁内で誕生した部署だ。こうした来歴から両者の間には元々派閥争いがあったのだが、加えて監察部と研究部の現部長は元同級生にも拘らず学生時代から不仲であったそうで、対立が際立っているのだという。

「ちょっと……。嫌よ、そんな渦中に飛び込むの。自分達だけ美味しい思いをして、『聖女の涙』盗難の責任は全部私に押し付けるつもりでしょう。割に合わないわ」

「そんなこと言わずに。今回は長官の許可も下りてるから報酬は弾むよ」

「嫌! 貴方が出す金額よりも、裏競売で付く値の方が絶対高いもの」

「盗む気満々じゃないか……。まあ、仲良くしようよ。どの道この状況下、君一人だけであれを盗み出すのは辛いだろう? こちらも出来る限りの協力はする。だから、『聖女の涙』を盗んだら、私に譲ってくれないか」

 甘い声色でヴィンリンスが語り掛ける。すると、突如エリスが懐に忍ばせていた法術検知用の魔導具が反応した。同時に、法術に対して干渉効果がある別の魔導具が妨害波を出す。これら二つの魔道具の挙動は、ヴィンリンスがエリスを操り人形にする為に法術を使用したことを示していた。

「無駄よ。魔術師が何時までも法術に対し、膝を屈したままでいるものなのだとは思わないことね。法術師が魔術を研究し進歩を続けているのと同じように、魔術師もまた法術を研究し進歩し続けているのよ」

「参ったな……。だったら、研究部の収集物の中から何か見繕ってあげよう。金を出してもなかなか手に入らない代物も多い。それなら、不満はないだろう?」

 再び沈黙が落ちる。黙している間、エリスの頭の中では凄まじい計算が行われていた。

 暫くしてエリスはゆっくりと顔を上げ、ヴィンリンスを見た。彼女の目には感情が籠っていない。ただ、穏やかで揺らぎのない光が宿っていた。

「何だい?」

 常とは違う表情に、ヴィンリンスは作り笑顔で答えた。しかし、彼の目にもエリスと同様に感情が宿っていなかった。

 エリスは少しの間無表情で押し黙っていたが、やがて唐突に口を開いた。

「恐ろしいことだと思ってね。必要だからとは言え、聖法庁でも重要部署である法術管理局研究部が、世界有数の魔術研究機関で魔導具収集家というのが。この屋敷だって魔術で作ったものでしょう?」

 今度はヴィンリンスが黙り込み、視線を逸らした。エリスからは見えないが、彼の表情は険しい。

「まあ、法術には魔術を無力化する種類のものも多く、法術側が魔術側よりもやや優位に立っているとは言え、純粋に技術面で遅れを取っているのは認めるよ。だからこそ、私達は魔術の研究を続けざるを得ない。嫌でもね。法術徒の教えも我々の進歩を邪魔している。異教徒を滅する目的以外で、神に非ざる者が物を創造してはならないと……」

「捨ててしまえば良いのに。人に恵みを齎さない教えなんて」

 ヴィンリンスは慌てて否定した。

「それは違う! 法術こそが人を――」

「聞きたくなーい。ま、協力は必要ないと思うわ。報酬、宜しくね」

「つまり、私の依頼を引き受けてくれるのかな?」

「そういうことよ」

 エリスは転送魔術を発動させる魔導具を起動した。輪状の光がエリスの足元に現れ、彼女の身体を包むようにゆっくりと上昇していく。同時に、彼女の身体は光が通過した部分から消えていった。

 エリスの様子を眺めていたヴィンリンスが一瞬だけ眉を寄せたのが、去り際に確認出来た。恐らくは法術徒である彼の苦悩の現れだろう。その本性を素直に表に出していれば、まだ可愛げがあるものをと彼女は思った。

 ふと、リズドア教会の教会長や過去に取引をした他の法士達の顔が浮かぶ。彼等もヴィンリンスと同様に利益を優先し、本心を隠してエリスと向き合っている人々だ。また、エリス自身も金の為に魔術師としての矜持や法術徒への嫌悪感を抑えて取引に応じている。共に状況次第で相手を裏切ったり見捨てたりすることもある乾き切った関係だ。皆、同じ穴の狢だ。ならば、自分はヴィンリンスの何が特別に気に入らないというのだろう。

 そこでエリスは、くすりと笑みを漏らした。

(ああ、そうか。利益云々に関係なく、本能的に虫が好かない奴はいるということね)

 金銭の為ではなく、自身の本能に従えるのだ。やはり自分は「守銭奴」ではない。そう結論付けると、エリスは途端に気分が良くなった。そして、真実に気付かせてくれたヴィンリンスを心の中で少しだけ誉めてやったのだった。

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