聖女の涙

壷家つほ

01

 スメール大陸西部、メイズワース王国オーヴィリア領――豊かな農地が連なり、所々に牧歌的な佇まいの家々が散見するその地にリズドア教会はあった。

 この世界には「法術」と呼ばれる不可思議な術を操り、唯一神たる法術の父神を信仰する「法術徒」を名乗る人々がいる。彼等の信仰拠点の末端に当たるのが、リズドア教会のような地方教会だ。これらの地方教会は、より規模の大きな地方教院や大教院によって統括されており、更に上には法術徒の最高機関である「聖法庁」が存在している。

 その様な法術徒の組織の中で、中央に法術神を祀る本堂と東部に聖女堂を持ち、二十人余りの法士――「法士」とは聖法庁やその関係機関に所属する聖職者のことである。――が配置されているリズドア教会は、地方教会としては標準よりやや大きな規模となる施設であった。

 そしてこの日、リズドア教会にある聖女堂に、一人の女が教会長を務めている老人に伴われて足を踏み入れた。金色の長い髪を黄色と橙色の布を縫い合わせた長衣に隠した妙齢の女性である。聖域には不釣合いな、妖しい美貌の持ち主だ。また、彼女が纏う衣服は「魔術衣」と呼ばれる魔術師の制服、或いは仕事着のような物であった。法術徒にとっては対立する世界の産物で、異端や邪教の象徴の一つとして忌避されている物だ。しかしながら、教会長が彼女を咎めることはなく、渋い表情を浮かべて或る伝承を語り始めた。

「今から約五百年前、まだこの一帯がオーヴィリア領に吸収されておらず『リズドア領』と呼ばれていた頃の話です。リズドア領の最後の領主となった若者は、非常に尊大で残忍な性質であったと伝えられています。元は平民階級の敬虔な法術徒の家の生まれで、自身も法術の使い手だったそうですが、不信心な彼は出家どころか定期礼拝の為に教会へ赴くことすらありませんでした。不幸な事故により両親と死別した彼は、幼い妹と共に慈悲深い領主夫妻に拾われて養子となります。やがて養父である領主も亡くなると、彼はリズドア公の位と領地を継承し、法術徒である領民やこの地を通過する巡礼者への弾圧を始めるのです」

 教会長は正面に立つ大きな聖女像を指差した。

「聖女像の持つ杖の頭に菫色の宝石が嵌っているでしょう。あの石――聖石『聖女の涙』には、聖ハイエルがリズドア公に死の罰をお与えになった折、リズドア公の妹姫の流した涙が結晶化したものだという言い伝えがあります」

「それはまた……悪魔の領主の身内が出したものにしては、随分と美しい石ですこと」

 魔術衣の女は艶やかな声で皮肉を言ってみせた。教会長は苦笑する。

「兄は冷酷な悪魔でも彼女――聖デーメテーラは純朴なる神の僕。苦しみ喘ぐ人々を憂えて聖法庁に助けを求めた聖女なのですよ」

 だが、魔術師は怪訝な顔で聖石を睨み付けた。

(あの石、魔力の匂いがぷんぷんするのだけれど)

 魔術に長けた女の疑念など知る由もなく、教会長は困り果てた様子で話を続ける。

「ですが、やはりリズドア公の身内である彼女を良く思わない者もいるようでね。この所、『聖女の涙』を狙った盗難騒ぎが続いているので、当教会の統括部署に当たるオーヴィリア大教院に警備の増強を申請したのですが、未だに返事を頂けてはおりません」

「ああ、それで忌々しい異教徒である私にもお声が掛かったのですね」

「はい。日頃の軋轢を思えば腹立たしい限りでしょうが、どうか今はその気持ちを抑えて頂き、お願いすることはできないでしょうか?」

「『腹立たしい』?」

 魔術師は「ふっ」と鼻で笑って、法術神の信者たる老人に言い放った。

「貴方がた法術徒は私共を侮り過ぎていますよ。我々魔術師は貴方がたが望む程、法術徒を意識してなどおりませんわ。この魔女エリス、今回のご依頼をお引き受けしても宜しくてよ。……報酬次第ですがね」

 神聖な空間に逆光を受けた女の身体が黒く不気味に浮かび、その瞳が獰猛な獣の様にぎらぎらと輝いた。

 そんな女の姿を一人の少女が聖女像の影から息を潜めて見詰めていた。じっと見詰め続けていた。



   ◇◇◇



 依頼を引き受けた後、魔女エリスは一先ず魔術で造った異空間の自室へと戻り、従姉妹のアリアスを呼び出した。魔術師を職業とはしていないが、彼女もまた魔術を嗜む者の一人である。

「――で、引き受けちゃったの? こんなど田舎の教会の大した儲けにもならない依頼を? 珍しいこともあるものだわ、守銭奴のエリスさんが」

 エリスから依頼の内容を聞いたアリアスは、呆れたようにそう言った。

「お黙り、債務者。誰の所為よ」

「……」

 アリアスは思わず黙り込む。

「文句があるなら、身内を頼らずちゃんと定職に就き自活なさい。私は芽の出ない自称冒険家への投資なんて、もううんざりなの。縁を切りたいの」

 そう、アリアスはエリスに負い目があった。エリスは何時も「自称冒険家」と揶揄しているが、アリアスは実際には冒険家協会に所属する本物の冒険家で、難易度の高い任務も軽々熟す腕前だった。しかし、人脈が無く後援者や仲間にも恵まれなかった為、活動資金の工面に相当な苦労を強いられていた。無論、必要経費の一部は冒険家協会からも負担されるし、任務完了後には高額な報酬も手に入るのだが、それでも上級任務を単独で熟すには全く足りないのが現状だ。そういった訳で、アリアスは母方の従姉妹で金回りの良いエリスを頼ることにしたのである。

 エリスの方の状況はと言うと、母やアリアスの母親の顔を潰すことは出来ないと今迄ずるずるとアリアスに投資し続けたが、自立するどころか借りている金を返済する気配すら見られない為、随分前から我慢の限界に達していた。同時に家計も苦しくなっていき、魔術師の矜持を捨てたような阿漕な稼ぎ方をせざるを得なくなってしまった。結果、彼女は同胞の魔術師達に「守銭奴エリス」という不名誉な二つ名で呼ばれる羽目になってしまったのである。尤も、お金の有難みというものを知った今では、金や儲け話をこよなく愛する本物の守銭奴と成り果ててしまったのだが。

 アリアスは、ふと無意識に自分が左顔面の古傷を手で覆っていたことに気付いた。彼女の左目の視力は完全に失われており、普段は前髪を片側だけ伸ばして隠している。任務中に気の緩みが元で負った傷であったが、この時の治療費もエリスに出してもらったのだ。

「こ、これが犯人?」

 気まずい空気に耐え切れず、アリアスは話を逸らそうとする。彼女が指しているのは、エリスの眼前に置かれた水晶球の見た目をした魔道具の内部に映っている二人の男性だ。数日前に発生した「聖女の涙」盗難未遂事件の容疑者である。

「さり気なく話題を変えるんじゃないの」

「まあまあ……農民に見えるんですけど」

 エリスはこめかみを揉み深々と溜息を付くと、アリアスに合わせて本来の話題に戻した。

「農民よ。そして、犯人は彼等だけじゃない」

「どういうこと?」

「ここ二ケ月で『聖女の涙』を狙った事件は全部で八件。被疑者は皆、前科を持たない一般人よ。それこそ、つい先日まで普通に日常生活を送っていた人達。また、彼等はお互いに面識も接点もない赤の他人同士だったそうよ。ただ、逮捕後の証言は皆一様に『宝石を見て、つい魔が差した』と」

「怪しいわね。如何にも魔術師絡みって感じじゃない。その宝石って売ったらどれ位する物なの?」

「聖デーメテーラの伝承がどれ位の付加価値を付けるか、といった所ね。宝石自体は硝子玉程度の価値しかないんじゃないかしら。実際間近で見てみたら、宝石と呼ぶのもおこがましい粗雑な人工物だったわ。ただ、気になることが一つ」

 球体の魔導具をエリスは手で覆い隠す。一拍置いて手を除けると、魔道具内部の映像は「聖女の涙」に切り替わっていた。菫色の人工石は、薄い陽炎のようなものに覆われている。

「リズドア教会の連中は誰も気付いていない様だけど、あの石は高濃度の魔力を放出しているの。教会の敷地全体に広がる程の強い魔力をね。あんたも知っても通り、魔力とは生物や精霊から発生するもの。当然『聖女の涙』は生物じゃないから、生物由来の魔力ではない。そして精霊は人工物を嫌う傾向があるから、通常人工物に精霊由来の魔力が宿ることはない。宿っているとすれば、そういう処置が行われていた場合。……あの石を魔導具として魔術側の世界で競売に掛ければ、それなりの値が付くかもしれないわね。けれど、現在挙がっている被疑者の中にはその価値が分かる人間――即ち、魔術師や魔術師と接触したと思われる人物は確認できなかったのよね」

「へえ」

「奇妙で興味深い事件だけれど、まあ私の受けた依頼はあくまで『大教院から騎士が派遣されてくるまでの警備役』であって、そちらの仕事に集中しなければいけないし、教会の連中は協力者とは言え異教の魔女である私を常に監視してくるだろうから、『事件の真相を追究する探偵役』まではね……」

 エリスは態とらしく作った笑顔でアリアスを見る。視線を向けられたアリアスは、全身に強い圧力を受けているように感じた。

「つまり、私に探偵役をやらせようと言うのね。他人の弱味に付け込んで……。そういう所、嫌いだわ」

「乗る気はないのね?」

 アリアスは、ずいっと身を乗り出す。

「報酬は借金帳消しでお願い」

「利子三割減」

「少ない」

「十分よ。今迄私が受けてきた精神的苦痛を思えば、寧ろ無賃で働かせたいぐらいだわ」

 沈黙が落ちる。長考の末、漸くアリアスは折れた。

「……分かったわよ」

 アリアスは、がっくりと項垂れる。

「あら。珍しく従順でいい子ね、アリアス」

 嬉々とした口調で発せられるその言葉を聞いた瞬間、「この悪魔め!」とアリアスは叫んだ。心の中で。

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