第21話 私の知らない人



「もしかしたらと思っていたけど、あなただったのね」


 夕暮れ時。人気のない波止場に現れたのは、十代の少女だった。


 初めて会う仕事の依頼主に、甚人じんとはやや緊張しながら口を開く。


「まさか雇い主のほうから会いにくるとは思いませんでした。初めまして……のはずですが、どこかでお会いしましたか?」


 少女が着ている制服は彩弓と同じものだった。彼女が松澤まつざわルアという名前で、彩弓を陥れようとしていることは、霧生きりうから聞いていた。


 だが知っているそぶりを見せるわけにもいかず、甚人は何も知らない顔をする。


 すると、少女ははぐらかすように笑った。


「ふふ、どうでしょう。私のことなんてどうでもいいでしょう。それより、彩弓を順調に落としてくれているみたいね」

「ええ、順調ですよ。これであなたの目的は達成できましたか?」

「……いいえ。これは始まりにすぎないわ」

「どういうことですか?」

「団長には虹の騎士団から離れてほしいの。だからあの子があなたと一緒にいるのも本当は不快なのよ」

「騎士団を……ご存じなのですか?」


 甚人は動揺する。まさかルアの口から騎士団の名が出るとは思わず、迂闊にも訊ねてしまった。

 

 少女は肩までの髪をさらりと手で流すと、悪い笑みを浮かべる。


「ええ。とてもよく知っているわ」

「あなたはいったい誰なんですか?」

「さあ、誰でしょうね。けど、ウンギリーがいなくなれば、他の騎士が闇サイトに現れる可能性は考えていたのよ。ウンギリーが何もせずに逃げるなんてあり得ないものね。一番使いやすいあなたが来てくれて良かった」

「……俺は罠にかかったようですね」

「ええ」

「どういうつもりですか? 今日はただそれだけを伝えに来たわけじゃないでしょう?」

「もちろんよ。いいことを教えてあげるわ。私は団長が死ぬほど嫌いなの。だから、もしあなたが私の言いつけを守らなかった時は——あの子を殺すわ」

「はは、団長が……簡単に殺されるわけないじゃないですか。おかしなことを言いますね」

「私も甘かったわ。ゴロツキに任せてもあの子を殺せるわけがないのね。だから次は、本物のプロを使うことにしたの」

「どうしてそこまで……いったいあなたの狙いはなんなんですか?」

「私は騎士団が欲しいのよ」

「騎士団は……今やただのサークルみたいなもので、騎士としての活動なんてしていないのに、騎士団の何が必要なのですか?」

「さあ、何かしらね」


 ルアはそれ以上のことは言わずに、その場を立ち去った。


 甚人は自分が踏み入ってはいけない領域に入ってしまったことに気づき、憂鬱な気持ちをため息とともに吐き出した。






 ***






「お? 今日はたけるだけなのか?」

「ああ、彩弓あみ


 やや遅い放課後。私——彩弓がいつものように音楽室を訪れると、健が待っていたとばかりに口を開いた。


「……はあ。騎士団は昔からひねくれ者が多くて困るよ」

「そういえば、昨日はずっと私たちのことを尾けていたようだが、どうして途中で帰ったんだ? 一緒に遊ぶつもりじゃなかったのか? 気づいたらいないから探したぞ」

「いや……皆用事があることを思い出して帰ったんだ」

「そうだったのか。今度は皆で遊びにいこうな」

「皆でって……甚人じんとさんが嫌がるんじゃない?」

「そんなことはないぞ。甚人だって皆がいる方が楽しいだろう」

「けど、甚人さんと付き合ってるんでしょ?」

「ムム……もしかして、付き合っていたら二人で遊ぶものなのか?」

「まあ、普通は独占したいと思うだろうね」

「そういえば甚人もそんなことを言っていたな」

「……彩弓、甚人さんには気をつけなよ」

「どうしてだ? あいつはいい奴だぞ」

「甚人さんって前世ではあまり自分から動くタイプじゃなかったけど、今は違うみたいだし。それに何かが引っかかるんだよ」

「何が引っかかるんだ? 私はあいつを信頼しているぞ」

「皆、前世とは違う人間だから……彩弓に悲しい思いをしてほしくないんだよ。だから、甚人さんにはどうか気をつけて」

「あいつが私に何をするというんだ? 甚人をそんな風に悪く言うのはよくないぞ」

「悪いやつじゃないのは、僕もわかってるんだ。けど……」

「けど?」

「恋愛って、人を盲目にしてしまうことがあるから」

「前世のお前のことを言ってるのか?」

「ちょっと団長まで、僕の過去のことをひっぱりださないで」

「私はテナに決闘を申し込んだお前を偉いと思ったぞ」

「ちっとも偉くなんかないよ。負け戦がわかってて、勝負を挑んだんだから。僕にとっては黒歴史だよ」

「ジミールはずいぶん臆病になったんだな」

「……そうだね、僕は甚人さんみたいに堂々とアピールなんて出来ないよ」

「甚人が何をアピールしたんだ?」

「……」

「とにかく、私は甚人を信じているから、これ以上変なことを言うと、頭突きするからな」

「わかったよ。彩弓が甚人さんを信じたいと言うなら、勝手にしなよ」

「なんだ、反撃してこないのか? つまらないな」

「彩弓は僕にどうしろっていうの?」






 ***






「……うむ、これが甚人の部屋か」

「散らかっててごめんね」


 初めて訪れた甚人の部屋は、調度品が少なく、スッキリとしていた。


 ソファやベッドはあっても、食卓というものがない。

 

 普段、どこで食事をしているのだろう。


「この部屋は甚人の匂いがするぞ」

「俺の香水の匂いかな」

「甚人と抱擁した時の匂いだ」

「抱擁って……彩弓は相変わらずストレートだね」

「どうしたんだ、甚人?」

「もしかして、霧生にも誘惑されたりしたの?」

「誘惑とはなんぞ?」

「抱き合ったり、キスしたり……した?」


 甚人の真剣な目に捉えられて、私は思わずたじろいでしまう。


 ……自分を粗末に扱うと誰かが悲しむと伊利亜が言っていたが、やはりあのことを言えば、甚人も傷つくのだろうか?


 私が霧生としたことを言うべきか否か悩んでいると、甚人が感情のわからない顔で笑った。


「ああ、したんだね?」

「どうした、甚人? 怖い顔をして」

「彩弓が悪いんだよ。俺がこんなに……好きになるとは思わなかった」

「私も甚人のことが好きだぞ」

「そんな風に無邪気なところも、好きだよ」

「なんだか照れるな」

「いっそ食べちゃいたい」

「痛っ」


 肩を噛みつかれて、とっさに甚人と距離をとろうとしたら腕を掴まれた。


「どうしたんだ? 甚人……らしくないぞ」

「何が俺らしいのか、俺にはわからないよ」

「甚人は穏やかで優しい奴だ」

「それは俺じゃないよ。ごめんね、団長」


 突然、甚人に口づけられて、私が驚きのあまり固まっていると……口づけはどんどん深くなって、私は後退りした。


 甚人……なんだか怖い。


 私が突き飛ばす勢いで押し返すと、甚人は逃がさないとばかりに私を部屋の隅に追い詰めた。


「じ、甚人……どうしたんだ?」

「彩弓はどんな状況でも変わらないね」

「当たり前だ。私はしょぼい団長なんかじゃないからな。このくらい、朝飯前だ」

「っていうわりに、震えてるよ」

「……」

「可愛いね、彩弓は本当に」


 甚人は私に再び口づけようと、顔を寄せてきた。


 だが私は強く押し返して、意地でも触れさせなかった。


「どうして逃げるの?」

「付き合っているフリなのに、こんなことしなくても……」

「いっそ俺のものになってよ、彩弓」

「もの? お前のものというのは、どういうことだ?」

「本気で付き合うってことだよ」

「それは好いた者同士がすることだ」

「彩弓の言葉は残酷だね。俺のことを好きじゃないって言ってるようなものだけど……それでも、どんな形でも俺は彩弓が欲しいよ」

「ちょっと待った! 冷静になれ、甚人」

「彩弓のせいで冷静になれない」

「もう、困ったやつだな!」


 ————ドカッ!


 甚人の目を覚まさせるために頭突きした私は、慌てて逃げようと踵を返すが、すぐにまた甚人に捕まった。


「待って……彩弓」


 甚人に逃がさないとばかりに抱きすくめられて、私の頭が真っ白になる。


「離せ……」 

「どうしてそんなに逃げたがるの? さっきは俺を好きだと言ってくれたじゃないか」

「私は……いつもの穏やかで優しい甚人が好きだ」

「そんな俺、どこにも存在しないよ」


 甚人の抱擁の強さに、なぜか恐怖を覚えた私は、懸命に逃げようとするが、甚人は許してはくれなかった。


「……怖い」

「団長こそ、らしくないね。そんなに怯えるなんて……可哀相で可愛いね」

「……お願いだから、離れてくれ」

「これは君を守るためでもあるんだよ」

 

 甚人は私の襟元に手をのばす。


 だがボタンに手をかけられたところで、慌てて甚十を突き飛ばした。

 

「な、何をする気だ?」


 ————私の野生の勘が言っている……今の甚人はヤバい!


「逃がさないって言ったでしょ?」

「それ以上、近づくな!」

「そんなに俺のことが嫌なの?」

「ちが……そういうわけじゃないんだ。けど……やっぱりこういうのは良くない」

「何がダメなの?」

「甚人が何をしたいのかはわからないが……きっと甚人は後悔する」

「後悔なんて、とっくにしてるよ。こんな気持ちになるなら、彩弓に近づかなければ良かったよ」


 あまりに悲しい顔で言うから、私はそれ以上甚人を突き放すことはできなかった。


 もう何度目かわからない口づけに、私は感覚がマヒしていくのがわかった。


 甚人に制服のリボンを掴まれた瞬間、私は息をのむ。


 何が起ころうとしているのかはわからないが、良くない状況だということは肌で感じ取っていた。


「……助けて」


 こんな風に誰かにすがるのは初めてだった。


 だが、私の声はどこにも届かずに消えた。


 届くはずもないのだが、それでも助けを求めずにはいられず。


 私は思わず叫んでいた。


「助けろ! 伊利亜!」


 次の瞬間、窓ガラスを破って部屋に突っ込んできた伊利亜が、私と甚人の間に割り入った。







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