旅に出る前に

@ka_mony

昔、一枚の絵を残して消えた後輩がいた。

名前をアキといい、彼女は快活でありながらも底に暗さをもつ、不思議な人物だった。


彼女と出会ったのは私が美術大学に入ってから1年のことで、私はその頃学園にも馴染めずいつも隅の方で燻っていた。


初めて彼女に会った日、私はいつものように校内の一角で暇を潰していた。


そこは死角ともいえる場所で、見つけて入り浸るようになってからその日まで、一度も人がここに来たことはない。私のセーフゾーンだった。


彼女はそこにやってきた。


最初は、聖域を汚されたように感じて苛ついたが、話すうちに彼女の眩しさに惹かれた。


私はそんなキッカケで彼女と話すようになり、少しずつ親密になっていった。


彼女が消える直前の1ヶ月は、暇があればずっとそこにいた。


彼女は、私とは違い友人も多く、それなりに忙しくしていたため頻繁にそこに来たわけではないが、それでも暇ができればそこに来ていたように思う。


渚のようにすぐに消えてしまうような、そんなたわいのない話をした。


妙な出来事について教えあったり、冬にはカイロを分け合ったりした。


彼女には絵の才能があった。


あまり絵については話をしたがらなかったけど、色んな賞を取ったらしい。

私は何も持っていない凡人で、彼女のことを妬むような感情もあった。


しかし、彼女の持つどこか不安定な希薄さは、その感情を持続させるのには向かなかった。


そして、彼女が消える直前の日も、私はいつものように話していた。


その時の彼女はいつもよりも明るく見えた。


ようやく描くべきものが分かったと言って、吹っ切れたように笑う彼女に、ざわめく感情を抑えられなかった。

逃げ水だと信じて近づいたのに、そこには水源があって、私はそのことにひどく動揺した。まるで別の人間のようで、そのときの私はぎこちない言葉しか返せなかった。


次の日、いつものようにそこに行くと、そこには私の身長よりも大きいキャンバスに描かれた扉の絵があった。そばには画材が散乱していた。


ガラスの天井を被せられた若木のように、歪んだ違和感を押し付けられている気がした。


そこで、彼女が来るまで待ち続けた。講義も出ずに待ち続けた。


少しずつ、感情にノイズがかかっていくのが分かった。


空が仄暗くなってきた頃、ようやく私は理解した。彼女はこの扉の向こうに行ってしまったのだと。


彼女は行方不明だと扱われ、しばらくの間校内には私の仕業ではないかとの噂が流れた。


一度だけ、彼女は絵の中に消えたのだと、そう伝えてみたことがあった。私を見る目は狂人を見るような目つきに変わり、私は真実を伝える意味がないことを知った。


そしてあの日から、私は扉を描き続けている。

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