死ねない死なない

 帰りはバスで秋葉原まで向かった。

 この記憶が正しければ、秋葉原には何度か、機材を買いに出掛けたことがある。その内の一回は、バスで秋葉原駅まで向かったはずなので、同じルートで試してみると案の定、利用することができた。

 秋葉原から先はいつも通り、山手線で最寄りの駅まで向かう。

 バスの中では、茅乃に質問攻めにされていた。

 歳はいくつか。どこに住んでいたのか。好きだったことといった一般的なものから、学生時代のことや子供の時の話をした。

 バスを降りて、駅から電車に乗る頃にもなると、いろいろと話し終えていた。二人の会話には時折、沈黙が訪れたが居心地の悪さは決してなく、静寂すらも幸せを感じさせた。


「ねぇ、アヤセくんはさ。私のこと、どう思う?」


 二人の会話が途絶えてから、しばらく。茅乃は重々しく口を開いた。


「どう思うって、突然なんだ?」

「アヤセくんが私に感じてることを知りたいと思って」


 言ってることのわりに、妙な堅苦しさがあった。

 茅乃に対して、感じていることを素直に告げるのであれば、初めに浮かぶのは好きという感情だろうか。

 他にも使命感などがあるが、飽く迄も茅乃の発言をそのままに捉えるのであればの話で、とても真意ではない気がした。

 だとすれば、茅乃がこんな突飛な発言をする理由は一つしかない。


「茅乃が俺に隠してることか」

「そう。私ね、アヤセくんに幾つも嘘を吐いてたんだ」

「嘘、ね」


 隠しごとという表現を敢えて、嘘という言葉に直して茅乃は訊ねる。


「訊いてくれるかな? 私のこと」


 夜の闇も一層深まり、街中の電飾が窓ガラスに反射する車内に滑走音が響くなか、俺は「分かった」と、その首を縦に振った。


「最初にあったときにさ、私がここに来たのは一週間くらい前だって言ったこと、アヤセくんは覚えてる?」

「スタバで記憶喪失の話をしたときだよな」

「うん。でも実際に私がこの世界に来たのは実は数週間前のことじゃないんだ」

「そう、なんだな」


 茅乃の口から出た言葉にひどく動揺することはなかった。


「——気付いてたの?」

「まぁ、おかしいとは薄々感じてたよ。茅乃はなんというか慣れてたよな。初めてあったときから達観しているというか、ここに順応しているように感じたし」


 境界線のことや法則も、実は最初から知っていたのだろう。茅乃の立ち振る舞いが、追憶で見る茅乃よりも大人びていたことも根拠の一つになり得るだろう。


「それに」と俺は言葉を続ける。


 茅乃がここに来たことが最近でないことを裏付ける最大の理由——。


「いくら食べても体型が変わらないって、実際に試すには少なくとも1週間以上ははかかりそうだしな」

「あっ」


 茅乃はそこで自分の言っていたことが矛盾していることに気が付いて、「流石だね」と観念したように笑った。だが、心做しかすっきりしたようにも見える。


「それで、どれくらいの時間を君はこの世界で過ごしているんだ?」


 一ヶ月、もしくは数ヶ月だろうか。それだけの期間があれば、境界線のことやニヒルのこと、この世界に関する法則も調べることができるだろう。

 俺の問いかけに茅乃は、目を合わせずに答える。


「詳しい年月は曖昧なんだけどさ——四年半くらいかな。本当は私がこの世界に来てから、それくらい経ってるんだよね。たぶん」

「よ——っ」


 あはは、と渋い顔で笑っている茅乃だったが、きっと想像もつかないほどに孤独だったのだろうと推察できる。


『んーまぁ、見た目以上に歳はとってるかもしれないよ? 童顔どうがおだからね』


 初日の夜に茅乃が含みを持たせて言ったことの意味がこんな風な意味合いを持っていたとは、思わなかった。

 言われてみれば、茅乃が高校生になる直前でここに来たとすれば、確かに俺よりも精神年齢は上ということになるわけか。


「四年半もの間を、ずっと茅乃はこの世界に一人でいたってことか?」

「うん。そうなるね」


 分かり切ったことではあるが訊かずにはいられなかった。果たしてどれほど、孤独だったのだろうか。記憶を取り戻している今の俺だからこそ、四年半という年月がどれくらい長いかを実感できる。


 敢えてその時間をイメージしやすくするなら、四年生大学に入学してから、就活をして、卒業して、新入社員として仕事に慣れ始めるくらいの長さだ。それをまるまるこの世界で過ごしていることになるわけだから想像も及ばない。


「すごいんだな、茅乃は。なんていうか、大変だったろ」

「うん。まぁね、生きてるって感覚とかが曖昧になって、何度も死にたいって思ったくらいだから」


 死ぬという単語に、ピクリと指先に力が入った。

 だが、茅乃は表情一つ変えずに、こう言葉を続けた。


「だけどね、死ねないんだよね。この世界では」


 茅乃は空な瞳とともに胡乱なことを言った。


「————死ねない?」

「うん。一年と少し前くらいだったかな、一度だけ自暴自棄になって、自殺をしようとしたことがあるんだけどね、邪魔されちゃったんだ」

「邪魔? 誰に。だって、ここには俺たち以外に誰も居ないはずじゃ」

「うんん、この世界には私たち以外にもいるはずだよ」


 茅乃は目線を周囲に流した。その先にいたのは他でもなく、俺たちがこの世界に来てからずっと目にしてきた存在。


「——ニヒル」

「そう、彼らは生命安全装置の役割を果たしているんだよ。私が——多分アヤセくんもそうだと思うけどね、自殺をするとそれを止めてくるのがニヒル。だから、この世界で命を断つことはできないってわけ」


 死ぬのを止める。まさに生命安全装置という表現がしっくりくるが、俄には信じがたい話であるのも事実だ。


「餓死とかも考えたんだけど、ダメっぽいんだよね。ほら、体型は変わらないわけだしさ」


 茅乃は皮肉っぽく嘯くが内容はかなり物騒なものだ。だが、ばらばらだった点と点とが結びついていくようで、俺は茅乃のとある発言を思い出した。


『何かを口にするのは百年ぶりだけど、やっぱ食事っていいねっ!』

『はぁ、なんだよ。驚かすな。あと、なんだその嘘は』

『あはは、流石に百年は盛りすぎだよね。実際は半年くらいかな?』


 何よりも、如月駅で茅乃は俺に初めて会ったときに涙を流していた。

 そのときだ、最寄り駅のアナウンスが流れたのは。


「いい機会だし、もう少し先の駅まで乗ろうよ。向かう先でアヤセくんに伝えたいことがあるんだ」

「向かう先?」

「うん。私のちょっと思い入れのある場所かな」

「っ、なるほどな」


 僕はその意図を察していた。

 茅乃がどこへ向かうのか。それは茅乃が幾度となく訪れたことのある場所であり、茅乃にとっても記憶に刻まれる場所だ。


 家の最寄りからさらに数駅先。降車したところから数分歩いたところで、角ばった大きな建造物が見えてきた。目立つところには十字の模様がライトアップされ、そこが医療施設であることを主張している。


 総合病院だ。

 颯爽とした足取りで病院内に侵入する。病院内にもニヒルは存在していた。

 俺たちはエレベーターで六階に上がると、無機質な廊下を進んだ先にある一室へと足を運んだ。茅乃が使用していた病室。

 今は別の人——改め、ニヒルが使っているとも考えたが、記憶に基づいた世界だ。体型が変化をしないように病室も記憶にあるままの状態だった。


「よいしょ」


 茅乃はベッドに腰を下ろして、壁際に背中を預けると窓の外を眺めた。


「いつもね、ここから外の様子を眺めていたんだ」

「そうだったな」

「そっか。私の記憶を覗き見たんだっけ。えっち」

「弁解の余地もない」


 胸部を両腕で抑えながら茅乃は口を膨らませた。


「そういえば、アヤセくんも記憶が戻ったんだよね。なら私もアヤセくんの記憶を見れるかもしれないわけだ。ちょっと楽しみ」


 外灯と月明かりが淡いモノトーンのような世界をライトアップさせていた。病院やそこからの風景は気のせいではなく、全体的に色彩が薄く感じた。

 茅乃の心象風景も影響しているのだろうか。


「それで、教えてくれないか? ここに来る前の茅乃のこと、そして、来てからの茅乃のことを」


 枕詞や前置きはあるだろうが、俺は単刀直入に本題を切り出す事にした。病室内はどうにも病気で弱った茅乃の表情がフラッシュバックして、気持ちがはやってしまう。


「————そうだね。いいよ」


 俺の催促に顔色一つ変えず、茅乃はこくりと頷いた。そして、今までずっと聞けずにいた紡希茅乃の物語を語るため、ゆっくりと口を開く。

 俺は茅乃が語り終えるまで一言も発さずにその話に耳を傾けていた。

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