如月駅と転移
「ちなみにね! 私の好きな食べ物はお饅頭と粒餡の大福! 苦手な食べ物はナス科の野菜かな〜。あっ、それとね。これは言っとくべきだと思うから伝えるんだけど、私は君を除けば、おそらく
少女は落胆した俺のことを元気付けようとしたのだろうか。妙に会話が噛み合ってない感じがするが、気遣いには感謝すべきなのだろう。
「あ、おう。いきなりの情報量で気圧されそうだったけど、とりあえずナスが食べれないことはわかった」
「食べられないというより、苦手なだけ。頑張れば食べれないこともないから」
別にそこで、意地にならなくてもいいんじゃないだろうか。
俺は眉根を寄せてから小さく呻った。そして、少女の言葉を脳内で反芻する。しかし、理解に至る過程で、常識から逸脱する一言が幾度も邪魔をしていた。
「それで、この世界に唯一の人間ってのはどういうことなんだ? それじゃあ、まるで人類が絶滅したような言い方に聞こえるけど」
「絶滅、かぁ。そういうわけじゃないんだけど、なんと表現したらいいんだろ」
「表現?」
「ん〜、説明したいのは山々なんだけどね、いきなりここがどこだって言っても、絶対に伝わらないからなぁ」
顎先に人差し指を当てて考える仕草をする、少女。さっきから返ってくるのは、的を得ない答えばかりだった。
「でもまぁ、百聞は一見に如かずだよね! アレを見たらきっと君も理解してくれると思うよ」
「えっと、だから何を?」
「ん? それは勿論——ここが君のよく知ってる世界じゃないってことをだよ」
少女はまじまじと言い切った。
「——……ああ、うん、なるほど。君のことは、なんとなく理解した」
補足しておくと、分かったのは少女の発言の真意ではない。この少女の症状に関してだ。ずばり、これは妄想癖というやつ。思春期にありがちな症状の一つである。とすれば、これ以上、この少女の妄想、妄言に付き合う道理もない。
早々にそう判断して呆れ半分、訝しげな瞳を向けると、少女もそれに気づいたらしい。
「あ、やっぱり信じてないでしょ? なんか可哀想な人を見る目をしてるし!」
「よく分かったな。まぁ、元の世界じゃないなんて、そうそう鵜呑みにできる話じゃないし。そもそも、俺はここが何処だかすら知らないんだ」
「あはは、そうだよね。私もそうだったもん」
少女は曖昧に笑った。だが今度は、真面目な表情でもう一度、告げる。
「でもね、残念だけど事実だよ」
「……」
なんだよ、それ。
普通、ただ虚偽を反復したところで、胡散臭さは増すばかりだ。だが、少女の瞳からはそんな一般論を覆すような説得力が感じられた。
「まぁまぁ。だけど、この世界も悪いものでもないからさ。とりあえず、私についてきてよ。騙されたと思ってさ」
「その言い方のせいで、余計怪しさが強まったんだけど」
少しだけ、考える——そして答えた。
「——けど、行くよ。他に行く当てもないし、ここが別の世界だというのなら、その証拠とやらを見たいからな」
強がってみたけれど、自分が何者かすら思い出せない現状では、この子についていくほかなかった。
怪しさは残るも渋々頷くと、少女はにっと微笑んだ。
僕が笑顔に見惚れそうになっていると、少女はこちら、というより上半身の方だろうか。俺の胸元当たりをボーッと眺めて、顔を顰めた。
「どうかした?」
「いや、どうってわけじゃないけど、その服暑くないかなって。真夏なのにかなり着込んでるようだし、冷え性ってことでもなさそうだ。えっと、少年Aくん?」
「そう言えば、名前を言ってなかったよな。俺は——響谷アヤセだ。君みたいに気の利いた紹介文は生憎と用意してないけど」
「いいよいいよ、私が勝手にしたことだから」
響谷アヤセ。名乗ったものの、これが自分の名前という実感があまり湧かなかった。記憶がないから当然と言えば、そうなのだが。
「それと、俺もこの暑さにはうんざりしていたところだ。誰だよ、この服をチョイスしたのは」
「あはは、まるで他人事だね」
実際その通りなのだから、反論の余地もない。
摘んだ襟元から空気を送り込んで、頭を悩ませる。どうしてこんな格好をしているかなど、記憶を失う前の俺に訊いて欲しかった。
「よしっ!! それじゃあ、私について来て、アヤセくん」
「待て待て、いきなり名前呼びなんだな」
「ダメかな?」
「——いや。まぁ、気になっただけだ」
「そう? ならこっちも名前で呼ぶわけだし、私のことも茅乃って呼んでよ」
「だな、そうするよ」
胡散臭さの抜けない少女。そんな印象だった。
人との距離感を感じさせないほどに親しみやすい性格。老若男女問わず誰からも好かれるような人格を持っていると分かる。懐疑心さえなければ、俺だって警戒心を緩めただろう。ただ、少女のわざとらしさがどうにも引っ掛かった。
ともかく、俺は羽織っていたコートを脱いでみる。すると、下から姿を現したのは制服だ。ごく一般的なデザインのブレザー。こんな夏日にこの制服——道理で暑いわけだと納得する。
「それも脱いだほうが良さそうだね」
「だな」
俺はブレザーを脱ぎ、ワイシャツ一枚になったところで一息ついた。少女はその動作を終えた俺に向けて手のひらを差し出す。
身体の怠さもあったので、その気遣いは非常に有り難い。俺はその差し出された手を取ると立ち上がり少女を見つめる。並んでみると、10センチほどの身長差だろうか。
その豊満な胸に勝手に吸い込まれそうになる視線をなんとか自制しつつ、目線を少女の顔に持っていく。綺麗に生え揃った睫毛の下に潤んだ淡褐色の瞳に吸い込まれてしまいそうになる。髪はミディアムとセミロングの中間くらいで、色艶のいい絹糸みたいな黒髪だ。
「それにしても、アヤセって、珍しい名前だね。私の茅乃もそうだけど、苗字でも全然いけるよね」
「まぁ、確かにな。珍しい名前、なんだかよく言われる気がするよ」
「ふぅん」
あれ、よく言われるって何だろう。
なぜだろう。誰にそう言われたのか思い出せないのに、口が勝手に動いていた。これは、条件反射というやつなのだろうか。
「……——っ」
見知らぬ土地、見知らぬ少女、そして、記憶喪失の少年。今の状況を整理すると、こんな字面になるが。はは、笑えるな。
背筋に嫌な汗が分泌されるのを感じながら、そのことに思わず苦笑した。
「アヤセくん? もしかして体調でも悪かったりする?」
俺の顔色が悪いことを察してか、様子を窺っているのだろう。
「いや、体調の方は、もう平気になった」
だけど、それよりも頭の方が重症らしいから救えない。
「そ? ならいいけど。じゃあ、行こっか」
不自然さを悟られないよう首を横に振ると、少女も納得したようだ。先導するようにゆっくりと歩き始める。
自然豊かな山奥ということもあってか、立ち上がると新鮮な空気が鼻を抜けた。まるで、身体の気怠さが取り除かれていくような感覚に浸る。
一先ず、記憶喪失であることは黙っておくことにした。
風になびく髪に吸い寄せられるように俺もそれを追う。一歩、また一歩と後れを取らないように。
道中で見かけた駅名標には【48番線:二月駅】とだけ記されていた。隣の駅が記されていない、古いスタイルなの看板。
「それで、どこに行くんだ?」
「取り敢えずは駅舎の外かな。こっちに行けば戻れると思うし」
「戻れる?」
そう訊ねたが、答える前にその場所に着いていた。古びた改札口だ。
さっきの腰掛けからは数メートルほどのところにそれはある。とはいっても、それは名ばかりで、暖かみのある木製の板枠が設置されていただけ。あまり文明的とは言えない——まるでお飾りのような機能性だ。
所謂、無人駅というやつなのだろう。
少女は一瞥だけ暮れたがすぐにあっさりと改札を通過する。
「なっ。切符はどうした? 無賃乗車だろ」
我ながら驚かされる。記憶喪失なのに、常識面は備わっているようだ。だがそんなことはお構いなしに少女は掌を伸ばした。
「え? ああ、いいのいいのっ。私はこっちから来たから。アヤセくんもはやくおいで。大丈夫、怖いことは何もないから」
「わざとか知らないけど、その謳い文句。一々、懐疑心をくすぐるんだけどな」
少女のあまりにあっさりとした返答に呆気にとられつつ、周囲を見渡してみる。人の気配は恐ろしいくらいに感じられない。
俺は微かに存在する倫理観と少しだけ葛藤する。だが、ここで躊躇っていてもどうにもならない。
「っ。ああ、もう。分かったよ」
そう呟いて、俺も余計なことは考えずに改札を抜けた。ふつふつと湧き上がるスリルを感じながら、少女のいる場所まで歩いていく。
「あっ、そうだ」
すると、少女は突然、髪を靡かせて身体の向きを回転させる。
「なに?」
「あのね、アヤセくん。言い忘れてたけど、今からちょっとだけ」
だが、直後。少女の言葉はナニかに遮られた。
ザッ————……
「ちょっと、なんだ? って————いない」
さっきまでの場所には少女の影もなく、目の前には大自然に囲まれたちょっとした小道があるだけだった。なにが起こったのか、あまりのことに絶句していると、今度は俺にもソレが起こった。
ジ、ジリ、ザッ————……
前方、背後、左右、上下、
あらゆる方向から、何かが軋む音が響き渡った。
————ッ!! なんだ、コレ。
それはまるでノイズ音のようで、ブラウン管のテレビなどで起こるあの現象に似ている。辺りの風景が走査線のように引き裂かれ、歪み、色を変える。
周囲を眺めて、その異常な状況と冷や汗の分泌に震えて、
——軋んでいる、世界が——
そんなあまりに突飛なことを理解した、その刹那。後々思い出すと、瞬きほどの時間にも思えるその現象はあっさりと終わっていた。
だが、
「は? いやいや、うそ、だろ。そんな、バカな」
意図せずに声帯が震えるほどの
足元から全身にかけて緊張感が駆け抜けていくようで、一瞬にして、身体が硬直するのを感じた。
「どう、して」
眼前には無機質な壁や冷淡な正方形のタイル床、さっきのそれとは比べ物にならないほど立派な改札口が広がっていた。
幾度も自分の目を疑うが、やはりそこに俺たちは立っている。
そう、さっきまで一面に広がっていたはずの自然豊かな風景、自然の香りや虫の声など、既に微塵も感じられない。それどころか、景色の歪みとともに都会の物々しさに侵食されるように、跡形もなく飲み込まれ、掻き消された。
——五秒、いや十秒か。やっとのことで言葉が続く。
「どうして、秋葉原なんかに」
量子テレポーテーション。
この現象を表すならそんな言葉があるが、まさしくそれに近かった。だが、記憶喪失云々の話を含めても、常識的にそんなものがあるとは思えない。
——常識?
「ははは、っ」
僕の口から自然と溢れた乾いた笑い。
ふと脳裏に『別世界』という単語が浮かんだ気がしたのはついさっき、少女がそんなことを口走ってたからか。まさか、あの戯言を信じろとでも言われた気分だ。ぴとん、と。頬をつたる汗が地面に落ちる。
「今からちょっとだけ、ワープ的なのをするから心の準備をしといて欲しい。って、もう遅いね。ごめん」
俺の隣で少女がそんなことを口走っている。だが、言葉一つで受け入れられるほど、この状況は容易く理解できるはずもなかった。
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