漆頁目 オラクロン大公国

 ~~とある執務室~~



「――報告を」



 細身の男が窓の外を眺めながらポツリと呟く。

 沼のように濁った瞳と白髪混じりの傷んだ黒髪。

 そして万物に興味が無いかの如き冷めた顔。

 冷酷という言葉を人の型に当てはめたような男が、

 事前に録った音声記録のように抑揚の無い声で呟いた。


 そして男の発言を受けて背後の部下が頭を垂れる。

 彼は一瞥すら向けぬ上司の背中に届けるように、

 目線の高さへ挙げた資料を読み上げた。



「昨日西の都市で発生した車両横転事故ですが、

 やはり例の人攫い集団が関与していると思われます」


「被害者は?」


「現場は焼死体ばかりで身元確認が困難ですが、

 少なくとも現状は誰も名乗り出てはいません」



 ふむ、と音を鳴らして冷酷そうな男は思考する。

 被害者は勿論その家族すら名乗りを上げない。

 この情報から得られる結論は二つ。

 被害者は犯人たちと共に燃え死んだか、

 或いは最初から被害者など居なかったか。



「――いや、は無いな

 車両は既に街の外を目指すルートを通っていた

 奴らが何の収穫も無しに離れるとは思えない」


「では……焼死体の中に被害者が?」


「現状ではその可能性が一番高いと言わざるを得んな

 ……車両は突然炎上し爆発したのだったか?

 中で争いがあったのは明白だろうよ」



 そこまで言い切ると、

 冷酷そうな男はふと別の可能性にも思い至る。

 奇しくも最も正解に近い、その可能性を。



「被害者が自力で脱出した線もあるか」


「!? しかし、それは流石に……」


「無いと訴るか? 貴様の常識は?」


「……はい。只人にそのような事が出来るとは……」


「ならばその者は――只人では無いのだろう」


「は?」



 部下の男は汗を伝わせながら視線を送る。

 が、冷酷そうな男は僅かに振り返り

 抑揚無く「もう下がれ」とだけ告げた。

 そして退出していく部下を見送る事無く

 彼は再び視線を夜空に輝く冷たい月に向けた。



「……魔物という線も、無くは無い、か」



 頭の中でのみではあったが

 彼は正しい結論を導き出していた。

 月明かりに照らされた背後の机上には

 男の役職を示す幾つもの資料や勲章。

 そして部屋の壁には、巨大な国家の紋章旗。


 国の名はオラクロン。

 新興国――『オラクロン大公国』。

 ベリルたちの住む都市も内包した国家である。



 ~~数日後・オラクロン西部・ベリル宅~~



「オラクロンの歴史はもの凄~~く浅い

 成立したのは僅か六年前……魔王軍壊滅直後です」



 長閑な昼風が流れ込む部屋の中。

 ギドはどこからか持って来た黒板と席を設置して、

 ベリルの座学教育を行っていた。

 窓辺に腰掛けるシェナも傍聴している中、

 彼は貼り付けたような満面の笑みでチョークを鳴らす。


 内容は『オラクロン大公国の歴史について』だ。


 曰く、元々此処は魔界と呼ばれる魔王軍の領地で、

 それまでは開拓すら行われていない不毛の大地だった。

 しかし勇者による魔王撃破の報が届いた直後、

 隣国の有力貴族であった『とある大公爵』が

 待っていましたと言わんばかりに国を興したのだ。


 その迅速な行動が功を奏し、

 戦後の領土争いにおいてもオラクロンは優位に立つ。

 結果としてこの国は三方をそれぞれ別の大国に、

 そして残る一方を大洋にも繋がる海湾と隣接させた、

 戦後最も勢いのある先進国へと発展する。



「港まで確保した大公の手腕。見事の一言に尽きます」


「評価高いね。知り合い?」


「いえ全く。しかし大公のやり口は好みですね!

 三大国の睨み合いの緩衝材となりつつ、

 自国は確かな軍事力と経済的優位性を育んでいる」


「あー……聞いた事あるわ

 結構強いらしいじゃない、ここの軍隊」


「はい。小国なので規模自体はそこまでですが、

 粒揃いの陸軍と最新技術盛り盛りの海軍が居ます

 防衛戦だけを想定すれば、まず負けはないでしょう」


「え? じゃあ何でこの国を潜伏先に選んだの?」



 ベリルは思った事をそのまま声に出す。

 それほどまでに飲み込めない疑問だった。

 何故なら今の彼らの最終目標は人類への復讐であり、

 国崩しを目的として潜伏するのならむしろ、

 勝手に滅びそうな国を狙った方が楽だと思ったからだ。

 仮に都合良くそんな国は無かったとしても、

 新進気鋭の強国を狙うのは違う。



「この国を打ち負かすのは難しいんじゃ……?」



 ベリルの言葉に、シェナは同意の表情を浮かべ、

 そしてギドは内心の読み取れない笑みを魅せた。

 かと思えば、彼は少年の頭を優しく撫でると

 心躍るように身を翻して台詞を吐く。



「武力による侵攻のみが『侵略』では無いですよ?」


「?」


「では一つ! ここで宿題を出しましょうか!

 今から出すお題の答えを探して来てください!

 期限はそうですねぇ〜……本日中としましょうか」


「えぇ!?」



 その短過ぎる提出期限に驚くベリルを他所に、

 ギドは黒板に課題となる設問を書き込み始めた。

 課題の数は全部で五つ。内容は以下の通り。


 問一、現在のオラクロン大公の名を答えよ

 問二、オラクロンと隣接する大国三つの名を答えよ

 問三、それら三国とオラクロンの関係を答えよ

 問四、上記とは別に三国の特徴を答えよ

 問五、人間社会全体の情勢を簡潔に答えよ


 どの設問に対しても、

 今のベリルは答えを持ち合わせては居なかった。

 彼は渋々、メモ用紙の束を片手に出発する。



「大変そうねー、ガンバんなー」


「因みに貴女は答えられますかシェナさん?」


「いや知らないけど? ……って何よその顔?」


「んふふふー? んふふふー!」



 〜〜オラクロン・街中〜〜



「なんでシェナもついてきたの?」


「アンタの巻き添え喰らったのよ!」



 怒鳴りながらも追従するシェナを伴って、

 ベリルは早速課題の消化へ向けて歩を進めた。

 まず問一。『オラクロン大公の名前』について。

 これはそこまで時間が掛からないと踏んだ少年は

 誰に聞いても答えてくれそうな問題を後回しにして

 知識と見識が必要そうな難問から取りかかる。


 即ち、設問二、三、四。

 ――『オラクロンと隣接する大国三つの国名』。

 ――『それら三国とオラクロンの関係』。

 ――『上記とは別の三国の特徴』についてだ



「急ごう。日没まで時間が無い」


「ん? 期限は今日中じゃ無かった?」


「日が暮れる前に帰ってくるよう言われてるから」


「門限あるの!? ああもう、あと数時間じゃない!」



 一人で答える気などサラサラ無いのか、

 シェナは自分の刻限をベリルの刻限と合わせて慌て出す。

 そんな彼女の目にふと、ある一軒の店が映り込んだ。

 多くの冒険者や旅人が往来する、酒場であった。



「は! 前に情報集めなら酒場って聞いた事あるわ!」


「そうなの? じゃあちょっと行ってくるね」


「あ、待ちなさ――」



 ~~~~


「ガキは帰んな!!」


 ~~~~



「駄目だったわ」


「でしょうね! アンタはまだ子供なんだから!

 はぁ……ちょっとそこで待ってなさい

 私がちゃちゃっと聞いてきてあげるから」


「うん。あ、でも――」



 ~~~~


「だからガキは帰んなって!!」


 ~~~~



「駄目だったわ」


「シェナも別に見た目は大人じゃないもんね」


「悔しい……!」



 そんなこんなで二人は移動を再開する。

 宛ても無く流れ着いたのは街の本流、大通り。

 幾つもの商店が並ぶその道は、

 本来十分な横幅が確保されているはずなのに

 それでも尚「狭い」と感じてしまうほど

 人々の往来で賑わっていた。



「はぁぁ面倒くさ……ん」


「? 何この手?」


「はぐれたら余計に面倒でしょ、早くしなさい」



 顔も向けずに伸ばされたその白い手に、

 ベリルはゆっくりと自分の小さな手を合わせた。

 そして往来の激しい人の河を、

 彼は先導するシェナに護られながら進んで行った。


 その道中にも多くの情報が耳に入る。

 左右の商店で取引する店員と客の会話や、

 道の真ん中を堂々と進む冒険者同士の談笑。

 ベリルはそれらの一部に耳を傾けてみた。



「君ィ? この商品もう少し安くならんかね?」

「そこで俺が剣を抜いて言った一言が……」

かなでの国『ヴァルシオン』で開催予定の幻想祭で――」



「シェナ! 今、国名が出たよ!」


「奏の国? 確か西の果てだって聞いた事あるわね」


「そうなの? じゃあ違いそう」



魔導機構マシナキアの素材が足らねぇなぁ……」

「喧嘩だー! 向こうの通りで野郎共が喧嘩してるぞー!」

「へへっ、極東の島国『波羅ハラ』でのみ手に入る玉鋼で――」



「波羅! 波羅だって!」


「島国っつってんでしょ、そこも違うわよ」



「例の人攫い組織、噂じゃ本部がこの国に……」

「勇者様が失踪して早五年か……」

「聞いたか? 南の廃城で炎の魔物の目撃情報が……」



「全然出ないね、国名」


「別件で気になる話はあったけどね」



 ただ歩いているだけで情報が流れ込む。

 しかし二人が欲しい話題はそう都合良く出てこない。

 やがて人混みの多さに疲れを感じ始めた頃、

 ベリルはふと、とある出店に置かれた品物に目がいった。


 魅了されたのは彩色鮮やかな絹織物。

 複雑な模様とそれ単体では奇抜過ぎる色合いが、

 絶妙なバランスで成立している奇跡の品々だ。

 無論幼いベリルの目はそこまで見ては居なかったが、

 それでも一目で「良い品」だと魅入られていた。


 するとそんな少年の姿に気が付いて

 店の奥から女の店員がにこやかに声を掛けた。



「いらっしゃい。お気に入りは見つかった?」


「あ、いや……見てただけで……」


「ウチの商品に見惚れるなんて才能あるね

 ここにあるのは全部『チョーカ帝国』の製品よ」


「「――!」」



 国名の登場に二人は目を輝かせた。

 そして乗り込むほどの勢いで

 ベリルたちは店員から情報を聞き出すと、

 彼女は他の二国も含めて答えをくれた。


 問二、オラクロンと隣接する三大国。

 解答――北にあるのは、落葉の帝国『チョーカ』。

 次いで西にあるのは、魔導大国『セグルア』。

 そして南にあるのは、砂漠の王国『ナバール朝』。

 これで解答欄の一つが完全に埋まった。



「セグルアは知ってる。魔導機構マシナキアの盛んな国だね

 ……チョーカが落葉の帝国って言われてるのは?」


「確かに。ほか二つの通称は何となく分かるけど、

 これだけなんか詩的というか、抽象的よね?」


「えっと……それは……」



 恐らく帝国出身なのだろう。

 店員は答えにくそうにモジモジとしていた。

 するとそんな彼らを見かねたのか、

 通りすがりの冒険者二名が会話に割って入る。



「チョーカ帝国は今すごーく不安定なんだ

 宰相の汚職がバレて、そっから一気に崩れた」


「「え?」」


「告発したのは当時の勇者一行だ

 元々彼らに非協力だったのもあってか……

 国内外から批判の的、内需減少、財政グラグラ!」


「人類圏最長の歴史と最大の国土を持つのに、

 今じゃその大樹も枯死寸前。正に『落葉』だ。」


「なる、ほど?」


「ちょっと難しかったか?

 まぁとにかく『今は元気の無い国』って事だ」


「その点、オラクロンの大公殿はやっぱ賢いよ

 帝国ののにイチ抜けしたんだから」


「へぇそうなんだ……そうなんだ!?」



 意外な情報にも驚きつつ、

 ベリルは課題を進めるために他の質問もした。

 熱心に答えてくれる大人は三人。

 課題は予想よりも順調に消化されていった。


 問三、三国とオラクロンの関係。

 結論から言えば――現在全てと『中立』だ。


 まず先の会話にもあったように

 オラクロン大公は帝国貴族出身であり、

 当然、彼の建国を中枢の人間は快く思ってはいない。

 だが同時にチョーカ帝国には魔導大国セグルアという

 近年目まぐるしい発展を遂げる巨大な敵がいた。


 勇者パーティに多大な貢献をしたセグルアと

 協力する事の出来なかったチョーカとでは、

 その後の国際情勢への発言力にも差が生じ、

 現在両国は覇権を巡って緊張状態となっていた。


 しかしそれでも、やはり両国共に商売はしたい。

 チョーカの伝統工芸品もセグルアの魔導科学技術も、

 どちらも市場に放り込めれば金になる。

 その中継ぎとしてオラクロンはあまりに有用過ぎた。


 加えて六年前までは魔界領域のせいで

 分断されていたナバール朝とも交易路が繋がり、

 結果として新興国『オラクロン大公国』は

 人類圏の三大強国から中立の立場を勝ち取る。



「次は問四……これって何を書けば良いのかな?」


「さぁ? 特産品でも適当にまとめといたら?」


「お、次の宿題は特産品についてかい?

 だったらチョーカは絹や陶器、セグルアは魔導機構マシナキアだな!

 ナバール朝は……行った事ねぇな? 何があるっけ?」


「主要産業は貴金属や魔法素材の地下資源だな

 一度は行ってみると良いぞ。彼処の都市が一番面白い」


「へぇー……」



 興味関心の声を上げながら

 ベリルは小さな手で必死にメモを記入し続けた。

 すると彼が書き終わるまで暇になったのか、

 冒険者たちは二人だけで勝手に世間話を始める。



「ナバール朝と言えば、あの国はまだ魔物が出るらしい」


「そりゃあ良い! 最近どんどん減ってきたからな!

 俺たち冒険者はやっぱ魔物をぶっ殺してナンボよ!」



 緊張が走り、ベリルの手が止まる。



「まぁ同意だな。俺たちはそれで生計を立ててる

 もっとも、そうで無くても魔物は狩るべきだが」


「……魔物なら、必ず殺すの?」



 ベリルは思わず聞いてしまった。

 聞かずにはいられなかった。

 当然シェナは彼の発言にギョッとするが、

 冒険者たちはそれに気付かず応答する。

 人間の子供に言うように――



「そうだぞ坊主。魔物は見つけ次第倒さにゃならん!」


「……もし仮に、仮に……

 魔物の子供を育てている母親が居たらどうなるの?」


「? なんだそりゃ? まぁ――だわな!」


「そうだな。そんな危ない女は、こう、だな」



 冒険者は首を掻ききるジェスチャーをしていた。

 子供の空想に付き合うように、お遊びで。

 しかしそれが余計に彼の神経を逆撫でする。



「ッ――」



 その時、渦巻く殺意ごと少年の体は引っ張られた。

 シェナが彼の腕を引き、その場から退散させたのだ。



 ~~~~



 数分後、二人は建物の影で涼しい小道に入り、

 日陰となっていたベンチに座っていた。

 一連の出来事ですっかり疲れてしまったのか、

 ベリルは既に深い眠りについていた。


 シェナは眠る少年の額に手を添える。

 魘される彼の顔は熱く、苦しそうに見えた。

 そんなベリルの姿を幻魔は嫌った。



「不安定過ぎ、危なっかしいわね……」



 ふと彼女の脳裏には出会った時の記憶が蘇る。

 森でシェナに記憶を喰われそうになったベリルが

 憎しみの眼と共に告げた忘れたくないという発言を。



「さぞや大切な記憶なんでしょうね……でも――」



 記憶捕食種は冷めた口調でそう呟くと、

 ゆっくり少年の首筋に口を近付けた。



「少しくらい毒抜きはしなさい」



 再びベリルが目を覚ました時、

 彼はシェナの膝の上に頭を乗せていた。

 そして彼が目覚めたのを確認すると、

 桃髪の少女はニヤリと笑みを浮かべて口を開く。



「何か言う事は?」


「……ごめん、それと、ありがとう」


「はいはい。どういたしまして」



 〜〜〜〜



 長らくの睡眠としばらくの休息を終えて、

 すっかり日は地平線の彼方へと沈み始めていた。

 流石にそろそろ帰らねばと身支度を始めていると

 彼らの元に一人の人間が近付いてきた。

 それは黒髪を頭の天辺でちょんまげ状に結んだ、

 ベリルより二つ三つ歳上の男の子だった。



「あのー?」


「何」


「ひっ! いやこれ、落としましたよ?」



 彼が渡してきたのは、

 宿題の解答を書いていたメモ用紙であった。

 シェナは奪うように少年の手からそれを取り上げる。



「あ!? 危っな! 私落としてたのね!」


「シェナ……まずはありがとうじゃない?」


「うぐっ! そうね。ありがと」


「い、いえいえ……! 宿題か何かですか?」


「うん宿題。ねぇ君、問五の答え教えて」


「ちょ、ベリル!?」



 ベリルからしたら歳上でも、

 シェナからしてみれば目の前の少年は歳下。

 聞く相手が違うのでは無いかと彼女は慌てた。

 しかしそんなシェナの考えとは裏腹に、

 黒髪ちょんまげの少年は意外にも良いヒントをくれた。



「大国三つはどんな状態だったっけ?」


「取引してる、けど別に仲良しじゃない

 戦争まではしてないだけで、睨み合ってる?」


「そうだね。みたいだ」


「あぁ、なるほど」



 ベリルはようやく情勢を理解した。

 そしてそれを自分なりの言葉で言語化する。



「『魔物が減って、さぁ大変』っと」


「ははっ! 面白い表現だね!」



 我が意を得たりという顔で

 少年は満足そうに笑いながら立ち去った。

 不思議な子だなと魔物ながらに思いつつも、

 ベリルはようやく問五の答えを埋めて満足する。



「ふぅ、何とか片付いたわね」


「そうだね、帰ろっか」



 魔物たちも満足げにそう語り合う。

 いつの間にか日も完全に沈み、

 辺りはすっかり暗くなっていた。

 往来する人の姿などもう何処にも無いのに、

 二人は自然と手を繋ぐ。


 そして、パタンとメモ用紙の束を閉じると、

 其処には空欄のままな問一の設問が現れた。



「「ああぁーッ!?」」



 問一、オラクロン大公の名を答えよ。

 最も簡単だったために後回しにした課題が

 此処に来て二人に牙を剥く。



「ちょ! 早く聞き込みしないと!」


「でももう周りに人が居ない……それに門限が」


「言ってる場合じゃ無いでしょ!」



 シェナは叫びながら振り返る。

 そして彼女の背中を追うようにして

 ベリルもまたその小さな一歩を踏み出そうとした。

 ――がその時、彼は自身の背後で腰を落とし、

 顔を近づけメモを覗き込む大人の存在に気が付いた。



「うぅわああああああ!?」



 叫び声を上げるベリルを余所に

 その人物は彼からメモを奪って立ち上がる。

 沼のように濁った瞳と白髪混じりの傷んだ黒髪。

 そして万物に興味が無いかの如き冷めた顔。

 冷酷という言葉を人の型に当てはめたような男が、

 警戒するシェナにも構わず紙束をパラパラと捲っていた。


 やがて張り詰めた緊迫が最高潮に達した時、

 彼は抑揚の無い平坦な声を発する。



「オスカー」


「「……へ?」」


「オスカー・フル・ビクスバイト

 フルは称号で意味は『ビクスバイト家のオスカー』

 ……問一の答えだ、小僧」



 そう言うと彼はメモ用紙を返却し、

 黒い外套を翻して夜の闇へと消えていった。

 とても奇妙な体験ではあったが、

 二人は無事に全ての設問への解答を得る。



 ~~数分後・ベリル宅~~



「ふーむ、問四の解答は特産品じゃなくて、

 もっと国自体の特徴を書いて欲しかったですねぇ

 まぁでも――概ね上出来でしょう!」



 帰宅後すぐにギドの採点が始まった。

 彼は一部解答に不満を抱きつつも

 合格の二文字を与えてくれた。

 そして疲労の見える若者二人を、

 いつものニコニコ笑顔で労ってくれた。



「さてベリル。ようやく貴方の質問に答えましょうか」


「……何だったっけ?」


「私がこの国を潜伏地に選んだ理由ですよ」


「ああ……もういいよそれ、大体分かったから」


「おや? では何だと思います?」


「『各地の情報が物凄く集まるから』でしょ?

 ギド好きだったもんね、情報……」



 今日一日だけでベリルは情報量に圧倒された。

 少し歩くだけで様々な会話が聞こえてきた。

 数時間巡るだけで欲しい情報を集められた。

 頭数が少なく、力を蓄えるべき魔物陣営にとって、

 この要素は間違い無く反撃の糧となる。


 それを自力で悟り、ベリルは満足した。

 満足して、自宅のように寛ぐシェナと共に

 再び深い深い眠りにつくのだった。

 そんな彼に毛布を被せると、

 ギドはいつも以上に穏やかな顔でこう告げた。



「半分、正解です」



 魔物たちはオラクロンにて潜伏する。

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