小狸

短編

 私には、地雷がある。


 それはある小説家である。


 その人は、小説家を職業としており、「近き世にその名聞こえたる」ではないけれど、ある程度の著名人である。


 私はその人が、地雷だ。


 勿論もちろんその意味は、地面に埋め、踏むと爆発する地雷ではなく。


 タブーという意味である。


 私はその人の作品しょうせつを、読むことができない。


 その人は、私より年齢が三つ下でありながら、さる小説新人賞にて、審査員全員一致で受賞し文壇に立った人である。


 そして私は、これは個人的な話ではあるけれど、小説を執筆している。


 執筆――と表現できるほど、私の活動に意味があるわけではない。ただネットの小説投稿サイトに、定期的に、陰鬱な短編小説を投稿している程度である。


 多少過激な表現を書けば、ある程度の数の「いいね」が貰える。


 評価してもらえる。


 そうして私は、承認欲求を満たしていた。


 いや、いや、いや。


 下手な能書きは止めよう。

 

 もうこの際、はっきり言ってしまおう。


 私は、その小説家に嫉妬している。


 その人が私と同じ女性ということも相まって、より羨望が強い。


 受賞者の言葉を見る限り、幼い頃から友人がおらず、友達が欲しくて小説を書き始めた、と言っていた。


 そんな自分より幼い者が、私が適度に適当に生きている間に、頑張って努力して積み重ねて精進して、夢を叶えている。


 その現実を、私は受け入れることができなかった。


 受賞作は読んだ。


 その他、止めておけば良いのに、他何作品かも読んだ。


 小説は、濫読派である。


 基本的に何でも読む。


 そういう主義だからこそ、「読むのが苦痛になる」「読んでいると自分がいたたまれなくなる」という体験は、初めてだった。


 面白かった。


 とても、面白かった。


 それが、悔しかった。


 私は何をしているのだろう――と。


 ついわが身を振り返ってしまったのだ。


 勉強も運動も平均より少しできる程度、休みの日は大して厳しくもない部活と友達との遊びにあけくれ、将来の夢は公務員、なんてつまらない、下らない人生を送っているのだろう。


 その小説家は、私がのうのうと過ごしている時間、努力していたのだ。

 

 頑張っていたのだ。


 積み重ねていたのだ。

 

 精進していたのだ。


 その現実を受け入れるのに、苦労した。


 いや、正直に告白すると、未だ受け入れられていないのかもしれない。


 要するに私は、自分より年下の作家の誕生に、嫉妬しているという――ただそれだけなのだ。


 そして何より私が嫌だったのは――そんな現実を目の当たりにしても、私は「努力しよう」「頑張ろう」「積み重ねよう」「精進しよう」「小説家になろう」という風になることができない自分だった。


 悔しさは、バネにならない。


 妬ましさで、エンジンはかからない。


 実際そうだろう。


 大体人が何かしらを極めるスタートラインに立つまで、おおよそ一万時間が必要だとされている。

 

 でも、私は。


 私は?


 確かに悔しいし、妬ましい、羨ましいと思う。


 でもだからって、自分もそうなりたい、なることができるとも思えない、それくらい努力して追い越して見せる、と思えない。


 そんな感情が私の脳髄に渦巻いた。


 数年が経過した。


 私は、私立の法学部に入学した。中堅の大学である。


 別になりたいものもないし、何かになれるとも思えない、そして何かになれるほど努力を積み重ねようという根気もない。


 ただ就活が有利そうだという理由で、学部も選んだ。


 私の人生は、こうして消費されてゆくのだろう。


 その間にも、件の小説家は、一定のペースで小説を発売し、世間に認められている。


 本屋には、めっきり行かなくなった。


 あの小説家の小説を、見たくないからである。


 どうやら本屋大賞を受賞し、ますます躍進を遂げる、あの新鮮気鋭の小説家の著作が、ポップ付きで大々的に販売されている所なんて。


 まず、平静に見られるはずがない。


 小説は、滅多に書かなくなった。


 自分の文章とあの人の物語を、無意識に比較してしまうからである。


 若くして大勢にその努力を認められ、職業小説家として名を馳せて、今も尚成長を続けている天才が、私と同じ人間だなんて。


 まず、冷静に認められるはずがない。


 こうして。


 私のつぼみは、地雷になった。




(了)

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