♰Chapter 48:みぃつけた

水族館内を油断なく歩きながら、EAによる通信を交わす。

屍食鬼の瘴気によるあらゆる通信妨害はまだ発動していないようだ。


「オレと姫咲は現在ブライトランド併設の水族館にいる。外にはまだ被り物をした屍食鬼が徘徊している可能性が高い。これからどうする?」


姫咲がオレたちを分けたのは神宮寺のことを気遣ったからなのだろうが、戦力を分散すると各個撃破される可能性が高まる。

だからといって彼女の判断が間違っていたとは口が裂けても言えない。

神宮寺を現状の安全地帯に連れて行くことで民間人である彼女の命を守ることができるからだ。


ただオレ一人では姫咲を完全に護衛しきることは困難なことも事実。


”私たちがそちらに合流するわ。幸い、こっちに屍食鬼の監視はない。ただ――”


EAは周囲の会話や雑音を意図しない限り通さない。

ただ水瀬の声からかなり窮屈な思いをしていそうなことは読み取れた。


”こっちは混雑している場所にいるから合流まで少し時間がかかるかもしれない”

「分かった。ひとまずその間はここで身を潜める。あとは状況次第で臨機応変に動くが構わないか?」

”ええ、盟主にも制圧作戦を前倒しで急ぐよう伝えるわ”


通信が途絶えると小さい水槽で小魚を見ていた姫咲に声をかける。


「今後の動きだが楽しいレジャーは終わりだ。水瀬たちが合流するまでは館内に潜伏する。できるだけ屍者との交戦は避けるつもりだが戦う心構えだけは作っておいてくれ」

「分かった。わたしもできるだけ気配に気を付けるね」


すでに館内は最終入場時刻を過ぎ、前半部分の水槽の近辺に客はいない。

半ば貸し切りのような状況だ。


仮に屍食鬼が入ってきたときには人の目がない点では迎撃しやすい。

だが基本的に照度が低いため、物陰に潜まれたら相当に厄介だ。


小さい水槽から大きい水槽へ。

周囲を警戒しつつも視界には美しい水生生物たちの楽園が映り込む。


ブライト水族館の目玉の一つと呼べる展示コーナーにやってきた。

一階と二階が吹き抜けの大広間で大階段を通して移動できる。

最も大きい水槽には鮪や鮫といった迫力のある魚が泳いでいる。


どれくらいの時間が経過しただろうか。

そのとき姫咲が小さく袖を引いた。


「……おにーさん」

「何体だ?」

「入口付近に三、ううん四体かな。たぶん屍食鬼だけ」


数の不利はある。

だがオレと姫咲なら十分に対処できる範囲だ。


「高位屍食鬼がいる可能性を踏まえて、やり過ごせるならやり過ごす。だが異常な行動を取る奴がいれば迎撃する。行けるか?」

「あの夜もやったことよ。大丈夫」


オレと姫咲は死角となる壁に背を預け、わずかに顔を覗かせる。

光源は高い天井の仄暗い照明と大水槽の鮮やかな青だ。


やがて静かな館内に湿っぽい音が響く。


――ずちゃ……ずちゃ――ずるっ……ずっ…………。


「……っ!」


姫咲の息を飲む気配。

通路から現れたのは三つの着ぐるみだ。

そのうち一つに引きずられるようにしてもう一体がいる。


「受付の――!!」


たった数十秒しか顔を合わせてなくとも忘れるわけがない。

あの顔、あの制服は水族館の受付で応対してくれた女性だ。

いやだった、というべきだろう。

口元から血を流し、衝撃的な表情のまま固まって動かない。


ずりずりと重そうな足取りで大水槽前を徘徊している。

やがて一体がオレと姫咲の隠れる壁際の方へ転進した。


「――――」


物音一つ立てずなおのこと息を潜める。

いざという時のために短刀はいつでも取り出せるようにしてある。


”はあぁぁぁぁぁぁ……”


壁一枚を挟んで手が届くところを屍食鬼が歩いている気配を感じる。

数秒が、数分のように長い。


幸いオレは見つからずに、次は姫咲の方の壁付近を通過しようとしているようだ。

彼女は口を押さえ、冷や汗を流しながらもその恐怖に耐えている。


そのまま通過すると思われたが不意に足が止まる。


――なぜそこで止まる?


屍食鬼は無造作に着ぐるみの頭を持ち上げるとその場で投げ捨てた。


黒ずんだ生気のない肌、渇いた血液が張り付いた様子は屍食鬼で間違いない。

その動きが明らかに何かを感じ取ったようにその場を重点的に探し始める。


よく見れば姫咲の瞳が桃色から緋色に変わっている。

血は先程飲んだため原因は不明だが何らかの因果があることは間違いない。


――こうなればせめて先手を取って――……。


――かつん。


静かな空間には小さな音でもよく響く。

凄まじい反応速度を見せた屍食鬼を含め、四体とも大水槽前に集合した。

その足元にはブライト水族館の記念コインが落ちている。

来園客が土産屋で購入し、落としてしまったものに違いない。


”あぁ……ああああああああああああああ!!!”


先程着ぐるみの頭を脱いだ個体が耳をつんざくような悲鳴を上げる。

とんでもない声量に思わず耳を塞ぎ、身体が委縮する。


やがて湿っぽい音と何か硬いものを砕くような音がし始める。

再び大水槽前を見れば着ぐるみを着ていない元受付職員の屍食鬼が他の屍食鬼に捕食されていた。


身の毛がよだつほどにグロテスクで凄惨な光景に、姫咲の口元を抑える手が震えている。


「大丈夫だ……落ち着いて呼吸しろ」

「でもっ……っ……!!」


屍食鬼が屍食鬼を喰らう。

こんな現象は初めてだ。

少なくとも幻影では誰も観測したことはない。


ならその理由は?

オレだったらなぜそういう行動を取る?


”みぃつけた”


咄嗟に繰り出した短刀で牙を防ぐも、上に圧し掛かられる形だ。

四つん這いで天井から落下してきたのは屍食鬼だ。


「おにーさん!」

「出口まで走れ!!」

「でも……!」

「オレのことを信じると言った言葉は嘘なのか!?」

「っ」


数の不利だけなら二人で対処できる。

ただこの屍食鬼は言葉を話した。

すなわち生前の言葉を真似する高位屍食鬼だ。


そして恐らくこいつは最低限の頭が回る。


姫咲は屍食鬼は四体だと言った。

それはこれまでの彼女の実績から疑いようのない事実だろう。

だがそのままだと計算が合わない。

大水槽広間に最初に入ってきたのは着ぐるみの三体と受付の女性。

そして今は四つん這いの屍食鬼を加えた五体だ。


つまり、このうち一体が屍食鬼でないことになる。

そうなると結論は明白だ。


――受付の女性はただの死体であり、屍食鬼になっていない。

それなのにただの死体を引きずってきた理由はオレたちに誤認させるためだ。


姫咲は笑う膝を奮い立たせ、駆けていく。

それを見届けると眼前に迫る人ならざる化生に抗う。


がちがち、と牙を噛み合わせ、今にもオレを喰らおうとしている。

身体強化の基礎魔法を使っていても人間の力で屍食鬼の膂力には敵わない。


「燃えろ!!」


遠隔で基礎火魔法を生成する。

射線上にオレ自身もいるが多少の自傷を覚悟しなければやられる。


だが火球が直撃する寸前に高位屍食鬼の姿が消える。

まるで煙のように完全に姿を眩ましたのだ。


「っ」


自分の魔法をすんでのところで躱し切る。

拘束からは解放されたがやや離れたところにいた屍食鬼三体が一斉に駆け寄ってくる。

すでに被り物は脱いでおり、屍食鬼の武器である牙と爪が襲い掛かる。


後退しながらも短刀で複数の攻撃を捌き切る。

だが消えた高位屍食鬼に気を回しながら三体を相手するにはやや力不足だ。

固有魔法の鎖は見えない敵からの警戒に備えて動かせない。


不意に視界の端に陰りを感じた。


「上――っ!」


四足の屍食鬼が落下の慣性を付け、飛び降りてくる。

即座に飛び退いたことが功を奏したが、掠めた爪が服を切り裂いた。

傷は肌にまでは達していない。


何度も何度も執拗に鎌のような爪を振り下ろしてはまた消えていく。

すぐに他の屍食鬼が無茶苦茶な体当たりを繰り出すため、オレは隙を突いて一体の首を落とす。


だが小さな柱状の水槽がいくつも割れて床は水浸しである。


「しまっ……」


屍食鬼の接近を気に掛けるあまり、足元への注意が鈍った。

水に足元を取られ体勢を崩す。

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