07 ふたりの権力者
神妙な顔つきで、祭司長カーザナ・キンロップは占い師の額から手を放した。
「熱はないようだな。だが、幾日も高熱が続いたかのように衰弱している。癒し手を呼んでもよろしいが……」
そこでキンロップはちらりとコルシェントを見た。
「宮廷魔術師殿は異論がおありかもしれんな。こちらのご婦人は魔術師であるようだから」
「神官の癒しを忌避するというようなことはございませんが」
魔術師リヤン・コルシェントは静かに言った。
「私には、魔力を使い果たした状態と見えます。失礼ながら、ピルア・ルーやラ・ザインの癒し手殿では治せますまい」
「ほう?」
キンロップとコルシェントは視線を合わせた。それは睨み合うと言うほど強くはなかったが、決して親しげなものでもなければ、相手の意見を尊重しようと考えている様子でもなかった。
「コルシェント術師」
ジョリスは宮廷魔術師を呼んだ。
「魔力を使い果たしたと仰るが、仮にそうであるとすれば、魔術師には治すことが可能だということであろうか」
「ええ」
コルシェントはうなずいた。
「判りやすい言い方をすれば、失われた分を注ぎ込むというところですね。ある程度の技術を持つ魔術師であれば誰にでも可能なやり方です」
「では、お手数だがそれをやっていただけないだろうか」
騎士が言えば、祭司長が片眉を上げた。
「――私にはその差異は判りかねる。ただ、癒し手を待つ間、何もしないというのも愚策だと」
仕方なくジョリスは、キンロップに向けて言った。魔術師の方を信じると言うのではなく、効率の問題だと告げたのだ。
「それは、オードナー殿の仰る通りだ」
こくりと祭司長はうなずいた。ジョリスは胸を撫で下ろした。こんなことで機嫌を悪くされても困る。
ピニアの卒倒を「ちょうどいい」などと言うのは語弊があったが、実際、ちょうどよかったと言えた。彼女の様子を見てもらいたいという理由でキンロップ祭司長とコルシェント宮廷魔術師を呼べば、ふたりに同時に話ができるからだ。
「しかし、術を施す前に説明を聞きたく思います」
気遣わしげに眉をひそめてコルシェントはジョリスの方を向いた。
「ピニア殿と言えば、王城の行事の吉凶をも占う、力ある占い師。協会でもきちんと学び、自らの魔力についてよく把握しているはずです。魔力を使い切ってしまうような、愚かしい真似はしないと思うのですが」
「私には判りかねる」
ジョリスはまた言った。
「だが、気を失う直前、彼女の様子は奇妙だった」
そう前置いてからジョリスは、ピニアの様子が突然変わり、男のような声で話したことを説明した。
もっとも、その内容については語らなかった。もう一度ピニアから聞きたいと思ったためもある。
「それは憑依に似ている」
言ったのはキンロップ祭司長だった。
「神を降ろす巫女が陥る状態のようだ。だが彼女は巫女ではない」
「私たちは憑依とは言いません」
コルシェントが首を振った。
「別人の声音と聞こえても、それは外からの声ではなく、当人の言葉なのです。強い力を持つ者であればそれだけ、自らの力の制限をかけ、容易に表に出さないようにします。ですが重要な局面ではその鍵を外し、本来の力を顕す。力を解放してしまったのであれば、このような状態になるのも道理です」
「力の解放と仰るが」
キンロップが首をかしげた。
「私は城内で大きな力を何も感じなかった。これは私が鈍かったということかな、術師」
「……いえ」
わずかにコルシェントが顔をしかめたのは、キンロップの物言いがいささか皮肉めいていたためかもしれなかった。
「ご指摘の通りです。私も、解放されたと言うほどの大きな魔力は感じませんでした」
「ではふりだしのようだ」
祭司長は息を吐いて首を振った。
「ピニア殿に何が起きたかは判らない」
「倒れる前、稀にあることだ、と話されていた」
ジョリスは補足した。
「彼女に尋ねれば判ることもあるだろう」
「それにしても」
ちらりとキンロップはジョリスに視線を寄越した。
「何故、ピニア殿がオードナー殿と? どんな話をなさったのか?」
「それは」
彼はふたりの高位能力者を交互に見た。
「例の『黒騎士』の件で」
「何ですって」
「その件は貴殿には関わりのないことのはずだ、騎士殿」
ふたりの表情が険しくなった。ジョリスは片手を上げた。
「ナイリアンの騎士として、いえ、一国民として、かの人物の悪逆非道を見過ごすことはできない。無論、この件についての責任者はおふた方と理解している。それ故、包み隠さずお話しするつもりだ」
黙っていることもできたがそうしなかった、というジョリスの言葉はふたりの反論を抑え込んだ。
「ご理解いただきたいのは、ピニア殿がおふた方にお会いになりたくても容易ではないということ。彼女は私に告げるしか方法がなかった」
王も信頼する占い師がふたりの権力者よりも〈白光の騎士〉を贔屓したと取られぬよう、まずジョリスはそう言った。
「ピニア殿は、こう仰った。不穏な星が三十年前と同じ動きをしている、そしてそれは出来事ではなく『人』の動きだと」
「『人』」
「まさか」
「――ヴィレドーン」
能力者たちもその名に思い当たった。
キンロップは四十代の後半であり、コルシェントは三十代の半ばだ。かの反乱のこと、コルシェントはかろうじて、キンロップの方ははっきりと覚えているようだった。
「噂の黒い剣士がヴィレドーンそのものだとでも言うのか」
キンロップはうなった。
「まさか、そのようなことがありましょうか」
コルシェントは顔をしかめた。
「ピニア殿ご自身、ヴィレドーンだと明確には仰らなかった。同じ星の動きであるとだけ」
「再来、とでも言うところでしょうか」
両腕を組んでコルシェントは考えるようにした。
「子供を殺して回っている例の剣士と、騎士や王を殺害した裏切りのヴィレドーン……黒衣を身につけているという点以外、共通するようには思えないのですが」
「こう言っては失礼ながら、占い師殿はその唯一の共通点を無理に結びつけただけではないのか」
祭司長は口の端を上げた。宮廷魔術師はちらりとそれを見る。
「彼女が星を読んだと言うのであれば、それは事実となります、祭司長」
「魔術師の理だな」
「真実の予言は避けられない。ええ、それは確かに魔術師の理です。神官の予言は、避けられるのでしたね」
「先視は警鐘。神からの知らせだ。避けられぬ災いに人々が右往左往するのを眺めているとしたら、それは悪神ではないか」
「魔術の理に神は関わりませんから」
彼らは声を荒らげることなく穏やかに言葉を交わしていたが、その裏にある反目はどうにも消しきれるものではなかった。間にいるのがジョリスではなかったら、冷や汗をかいて胃を痛くすることだろう。
「もっとも、ピニア殿が星を見たと言う、そのことまでは否定せん。コルシェント殿の仰る通り、見たと言うのであれば見たのだろう。そしてそれが三十年前と同じであるという、それが何を意味するかが重要だ」
「ヴィレドーンと決めつけるのは早計である、と仰るのですね」
「そのようなところだ」
祭司長はうなった。
「死者は、蘇らぬ。だが忌むべき存在に関わった者は……」
ジョリスははっとしてキンロップを見た。
「いや」
だがキンロップは首を振った。
「そのようなことは、考えるだけでも悪いことを招きかねぬな」
呟いて神に仕える男は聖なる印を切った。
その言葉は「裏切りの騎士」の不吉な復活が有り得るという意味に取ることもできた。だがキンロップはこれ以上語らないだろうということは判った。
少なくとももっと何かがはっきりするまでは。
「では私たちの話し合いはこの程度にして、ピニア殿から直接、お話を伺いましょう」
コルシェントは提案した。
「ジョリス殿。ほかに何か、私たちがあらかじめ聞いておくことはありますか」
ゆっくりと宮廷魔術師は問うた。
「――いや」
考えてからジョリスは首を振った。
「ピニア殿から直接お聞きいただきたい」
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