05 占い師

 ジョリスはサレーヒに告げた通り、ナイリアン国中を走り回って噂の真実を確かめてきた。

 その内で彼は、これまで伝わってこなかった話も耳にした。

 何でも幾人かの子供たちは、切り裂かれた衣服の下に傷を負っていたらしい。それは服を破られた際にたまたま傷ついたというものではなく、意図的に傷つけられたものに見えたと言う。

 だがそれが何を意味するのかは判らなかった。「黒騎士」の仕業であるのかも、全ての犠牲者がそうした傷を負っていたのかも。

 子を亡くした親たちは涙ながらに、早く悪人を捕まえて絞首台に送ってくれとジョリスに訴えた。

 必ず、とジョリスは誓った。騎士にとって「誓い」は神聖なものであり、容易に口に出すことはしないものだった。だが彼は誓った。全ての親たちに、何度も。

 初めてその話を知ったときも強い憤りを抱いたが、こうして話を聞いて回れば怒りで身がはち切れそうだった。感情に任せて行動することは破滅を――自らのみならず、周囲の者を巻き込んで――呼ぶこともある。そうと判っているジョリスだったが、それでも激しい怒りを抑えることはできなかった。

 何故。何のために。

 いや、どのような理由があろうとも許せることではない。決して。

 彼は馬を駆った。そうして風を切ることで、少しでも感情を抑えられたらと思った。

 もしも彼の友たるハサレック・ディア――〈青銀の騎士〉であった男が生きていたなら、共に怒り、共に走って、彼の感情を少し和らげてくれたことだろう。

 ハサレックはまっすぐな気質を持つ気持ちのよい男で、ジョリスとふたり、ナイリアンの双刃と呼ばれた人物だった。だが彼はあるとき、子供を助けるために命を落としてしまった。その死は非常に惜しまれ、ジョリスも深く哀しんだが、ハサレックらしい最期とも言えた。

 それ以来〈青銀の騎士〉の座は不在となっている。そうなれば赤銅位から上がるというものでもなく、二年に一度の審査で新たに選ばれることになっていた。もちろんその際、赤銅や黄輪の騎士が挑戦してもかまわないのだが、彼らにそのつもりはなさそうだった。

 向上心がないというのではなく、感傷だ。彼らはみなハサレックを好いており、まだしばらく青銀位をハサレックのものにしておきたいという気持ちがあるのだった。

 ジョリスにもそうした感傷はあったが、彼がそうであってはいけないという思いも抱いていた。彼はひとりの若者に、青銀位の審査を受けるよう誘いかけてみるつもりだった。年は二十歳を超したばかりだが、その剣技は流麗にして完璧。立ち会いをしたらジョリスでも三度続けて勝てる自信はなかった。

 しかしかの若者は〈白光の騎士〉に過剰なほど――とジョリスには見える――強い尊敬の念を抱いており、自らが騎士としてジョリスに肩を並べることなど考えてもいないようだ。少しずつ説得しなければならないだろう。

 ナイリアンを愛し、弱き者たちのために戦うことのできる者であれば、誰でも資格はある。

 もちろん技術や教養はあ必要である。大っぴらには言われないものの、家柄も関わるとされた。少なくともジョリスはオードナー侯爵家の二男だ。

 だがこれは家柄自体が重要だと言うより、幼い内から良質の師について剣技を学ぶことができた結果だ。才能のある子供でも、学ぶ機会のないままであれば開眼することはできない。

 また下々では「騎士になるには容姿も物を言う」などと言われた。「人々の憧れ」であるためには外見も重要だ、たとえば同じ実力の者がふたりいれば、見場のよい方が選ばれるだろうと。

 実際のところそのような選定基準は存在しなかったが、少なくとも現在の騎士たちは容姿端麗と言える者たちばかりだった。人々は騎士を「天に選ばれし実力者」と考えた。

 ともあれ、ジョリスが想定している若者は、ナイリアンの騎士として相応しい実力を持った人物だった。

 だが彼はまだ若く、迷いも多い。

 必ずしも国のためではない、人のために剣を振るうのだということを彼に判ってもらいたかった。そこを理解してもらえれば、考え方も変わってくるだろうとジョリスは信じた。もとより彼自身、迷いがない訳ではない。

 もっとも、そうしたことは言葉で伝えても駄目だ。いくらかは時間をかけねばならないだろう。

 近い内に彼は首都にジョリスを訪れる予定となっていた。そのときに話をしてみようと騎士は考えていた。審査はまだ先のことだからこの調査に騎士としての彼の手を借りることはできないが、年の若い者には背負わせたくない事件でもある。サレーヒがもっと積極的に動いてくれればと思うところもあったものの、彼の考え方もまた一理ある。

 サレーヒは赤銅位だが、年長者として若手を引っ張る、現在では実質第二位の騎士だ。そのサレーヒがジョリスと一緒になって行動すれば、〈無傷の腕に包帯を巻かれる〉ようなもの。つまりジョリスの台頭を警戒する者たちから要らぬ疑いを招くことになるだろう。自分が好き勝手に行動する分、サレーヒが首都でかまえていてくれるというのは安心できるとも言える。

「疲れた顔をなさっておいでですわ」

 そう言ったのは、薄紫色のヴェールをかぶった二十代半ばの若い女だった。緑色の瞳がじっと騎士を見ていた。

「薄い霧のようにナイリアン国中を覆う噂のこと、私も耳にしております。ジョリス様がいち早い解決のために日夜努力なさっていることも。ですが、休息はお取りにならなくては」

「お気遣いは有難い、ピニア殿」

 ジョリスは丁重に礼をした。

「だが私は、私にできることをしなくてはならない」

「それは、ろくに休まずに行き倒れることではないと思いますけれど」

 ピニアは言い、ジョリスは片眉を上げた。

「何かご覧になったのか」

「いいえ、幸いなことに」

 女は首を振った。ヴェールからのぞく淡い茶の髪が揺れる。

「幸い?」

「ジョリス様。占い師ルクリードが『何かを見た』とき、それは必ず、現実となります。いえ、『見たから現実になる』という訳ではありませんが……真実の先視さきみとは、決して避けられないものなのです」

 そっと手を合わせて占い師ピニアは言った。

「ですから『よく当たる占い師』というものは……避けられぬ悲劇を多く知ることにも、なるのです」

「すまなかった」

 ジョリスは謝罪の仕草をした。

「いえ、ジョリス様がお謝りになるようなことでは」

 慌ててピニアは手を振った。

「お判りいただけただけで、十二分です」

 かすかに頬を赤らめ、ピニアはうつむいた。

 彼女はナイリアールでも有名な占い師であったが、〈白光の騎士〉と話をするときはまるでただの娘のようだった。

「あの、ですが、そうは言っても私ども占い師は未来を視ることを使命とも思っております。ジョリス様のお役に立てるのであれば、わたくしは、どんな未来でも」

「有難う、ピニア殿。だが、そうであっては、『次の凶行』を読んでいただく訳にもゆかぬな」

 占い師ピニアの言によれば、それが判るということは必ず犠牲が出るということだ。

 もとより、占いというのは通常、そこまで詳細を言い当てるものではない。つまり、「黒騎士と呼ばれる剣士が次にどの町の近くで目撃される」などと具体的な予言はできず、「いまどこにいるのか」となれば既に占い師の領分ではない。

「いえ、ですが」

 ピニアは躊躇いがちに、ジョリスに一歩近寄った。

「聞いていただきたいお話があるのです。本日はそのこともあって、こうして王城へ」

「何なりと」

 騎士は婦人に対する礼をした。ピニアはぱっと顔を赤くした。

「実は……件の『黒騎士』のことなのですが」

 赤面を気取られまいとばかりに彼女はまたうつむいた。

「ぜひお聞かせ願いたい」

 彼は周囲を見回した。

「こちらで」

 ジョリスは空いている小部屋に彼女を招いた。彼に憧れを抱く占い師は一瞬だけ躊躇ったが、もちろんそのような場合ではない。こくりとうなずき、招きに従った。

 それは細長い卓と椅子が数脚あるだけの簡素な部屋で、使用人の待機部屋であった。本来なら最高位の騎士たるジョリスが使う場所ではないが、彼の気は急いていた。

 情報が得られるのであれば、少しでも早く。

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