狩れ山水

小狸

短編

「つまりこういうことだ。君は、その問いに対して答えることができず、煩悶して僕のところに来たという訳だ。成程ね」


「何だい、その取ってつけたような言い方は。私だって悩んでいるんだよ」


 彼の自宅の近くにある、喫茶店での話である。


 首都圏郊外の土曜日の昼間であるのに、喫茶店には、私達以外の人間は誰もいない。この店にはいつも来店するのだが、大抵そうである。店の経営は大丈夫なのだろうかと、部外者ながら心配になってしまう。そんな私を憂うかのように、店内のレコードからは、チャイコフスキーの「憂鬱なセレナード」が流れていた。


 不安と心配に塗れた私と違って、目の前の友人は、さっぱりした様子であった。


 彼はいつもそうである。


 人、というか、人間というそのものに興味が希薄なのかもしれない。それでいて存在感がない訳では無いのだから、まるで小説の登場人物のような友人である。


「悩んでいるから何だい。君のことだ、明日になったら忘れていることが大半じゃないか」


「それが忘れられないから、こうして君のところに来て相談しているんじゃないか」


 コーヒーが運ばれてきたので、手を付けた。


 僕はブラック、友人は砂糖とミルクが付いていた。


「意外だな、君がブラック以外を飲むなんて」


「僕も人間だからね。その日の気分というものがある。君こそ、莫迦の一つ覚えのようにブラックコーヒーを飲んで、カフェイン中毒にならないでくれよ。ここで倒れられたら面倒だ」


「全く、君はいつだってそうまくし立てるなあ」


 そう言って、コーヒーを少し飲んだ。


 うん、美味い。


「それで、私の悩みの話なんだが――」


 私は話を続けた。


 私は、作家志望である。


 平日の仕事の傍ら、土曜、日曜の殆どの時間を、小説の執筆に費やしている。書いている作品は――私は推理小説を書いているつもりなのだが――幻想的私小説だとか、そういう評を、編集部の選考委員の方々からは投げられることが多い。まあ、推理小説であると、私が思いたいだけなのだ。


 そしてまたそれと同時に、インターネット上に小説を投稿している。これは、公募の小説ばかりだと息苦しくなってしまうと判断したために、2年前から私が始めた活動である。幸い令和の今、世は小説投稿に対してかなり明るいと言っても良い。私が知っているだけでも、十以上の小説投稿、閲覧サイト、というものがある。その中の一つ、有名なものの三つのうちの一つに登録し、延々と短編を投稿して、先日その数が百を超えた。


 基本的に主軸は公募の小説なので、ネットでの投稿は完全に息抜きである。だからこそ、反応や反響は基本的に見ていない。投稿して、Twitter――現Xに告知をして、その他の時間は公募の時間に費やしている。


 だから、そのコメントを見つけるのに、少し時間が掛かった。


 いつものように日曜日の昼頃、息抜きの2,000~3,000文字程度の小説を投稿しようと、サイトを開いた時のことであった。


 Xに、ダイレクトメッセージが来ていることが分かったのである。


 はて、何かしただろうかと、私はそのメッセージを開いた。


 開かなければ良かったと、今なら思っている。





『どうしてそんな意味のない小説ばかり書いているのですか?


 公募なり何なりすれば良いのに、意味のない短編ばかり投稿していますよね?


 誰かが目を付けてくれて、小説家になれるとでも思っているのですか?


 


 理解不能です』





 と。


 端的にまとめると、そんな内容だった。


 その投稿主は、所謂捨てアカウントとでもいうのだろうか、プロフィール画像が設定されておらず、フォローフォロワー数もほとんどない者からの、メッセージだった。


「全く、そんなどうでも良い奴のことなんて、気にしなければ良いじゃないか」


「私だってそうしたいさ。でも、つい引っ掛かってしまったんだよ。私は公募で小説を応募しているけれど、実際それで小説家になることができる人間はごく僅かだろう。賭けにしてはあまりに博打な事をしている自覚はあるんだよ。ただ、私は気付いてしまったんだ」


「気付いた、何に」


「『そんなことをして、何が楽しいのですか』という問いに対して、私は答えられないということに、だよ」


「ふうん」


 嫌そうな表情をして(これが素の面持ちである)、友人は頷いた。いや、噛んで含めたのだろうか。


「何が楽しいのか、か。実際どうなんだい、君は、小説を書くことが、楽しくないのかい」


「楽しいとか、楽しくないとか、そういう次元ではない、と思うよ。私が書き始めたのは中学校の頃からだった、当時は楽しかったよ。自分の好きなように、登場人物を動かして、物語を構築するのはさ。でも、今は、分からない。ただ、作家になりたいという目標のために、邁進している、それだけなんだよ。だから――楽しいか楽しくないか問われると、返答に窮してしまうんだ」


「それで良いじゃないか」


 友人は、砂糖とミルクの入ったコーヒーを攪拌しながら続けた。


「え」


「別に返答する必要なんてない、と僕は言っているのだよ。君の中には、確固たる書く信念、理由があるのだろう。察するに、その輩は、先を見据えて、それで羨ましく思ってしまったのではないかな」


「先を、見据えて」


「困難なく、苦痛なく、書き続け、投稿し続けることができている君のような人間が――成功を手にすることをさ」


「困難や苦痛がないだって? そんなことはないさ――小説を書くことに慣れたとは言い条、書くのが面倒になること、大変な描写だってある」


「でも、画面の向こう側の相手に、それは伝わらないだろう?」


「…………」


 それは、その通りである。


「結果、君は継続的に小説を投稿し続けることのできる、また公募も行う余裕のある人間と見られる訳だ。そんな君に対する、とげとげしい嫉妬心が、そのメッセージを送った者の本音だろうさ。隣の芝生は何とやら、だ。僕には、これを見て苦労しろ、苦悩しろ、という意図が、ありありと見て取れるね」


「じゃあ、私は――」


「ああ、今まで通り、小説を書いて書いて、書き続ければ良いんだ。報われか報われないかは、君次第だが」


 どうやら私は。


 またもこの友人に、励まされてしまったらしい。


「……ありがとう、今回は奢らせてくれ」


「君が作家になった時の出世払いということにしてくれ。人に恩を作るのは、苦手なんだ」


 そう言って、友人はコーヒーを飲んだ。


 苦々しい顔をした。

 

 私は笑った。




(了)

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