遵法精神

「さて、これでよかろう。それで人間よ――」


「うぉぉ、ドラゴン!? マジか!? スゲー! でっけー!」


「あー、人間よ。お主がここに――」


「ヤベー! かっけー! 超スゲー!」


「話を聞かんか!」


「イテッ!?」


 ドラゴンの巨大な手、あるいは前足にペシッと引っ叩かれ、剣一が黙る。これだけの質量差なのに「痛い」で済んだのは、ドラゴンの側に剣一を害する意思がなかったからだ。


 そしてそれは、剣一の方も同じだ。もしその一撃にわずかでも自分を殺す意思や要素があったなら、今頃ドラゴンの手は宙を舞っていたことだろう。


 期せずして互いが助かった。だがどちらもそんなことは知るはずもなく、引っ叩かれた頭をさする剣一にドラゴンが呆れたように話しかける。


「全く、何なのだ貴様は!? やってくるなりベラベラと」


「す、すまん。いやでも、ドラゴンなんて初めて見たから……」


「初めて? 七の封鎖を解いてここに入ってきたのだから、ドラゴンくらいは目にしているであろう?」


 自分をここに閉じ込めた封印がどれほど強力なものであったかを、ドラゴンはちゃんと理解していた。それを破ってここに入る者が、自分ほど強く大きくはないにしても、他のドラゴンを見ていないはずがない。


 故に首を傾げるドラゴンに、剣一はばつが悪そうな笑みを浮かべる。


「へ!? いや、それは……あの、ほら、あの鎖? 直接斬っちゃってさ。へへへ……」


「斬った? 別に気にする必要はない。封じられるということは、いずれ解かれるということだ。そのために犠牲を出したとて、それはお主の罪ではあるまい」


「だ、だよな! そうだよ、封印なんだから解いてもいいよな!」


「? まあ、そうだな」


 ドラゴンのなかでは、封印を担う七つの凶獣を討ったことに罪はないと言ったつもりだった。あの鎖を剣で斬るなど、強大なドラゴンをしてなお埒外の行為なのだ。


 対して剣一は、扉を閉じていた鎖を直接ぶった切ってしまったことを許されたと判断した。あれが何なのかなど知るはずもない剣一にとって、鎖はただの鎖であり、ちょっとしたお洒落オブジェクトでしかない。


 そうしてまたも認識が食い違い……しかしだからどうということもない。ドラゴンは上げた首をゆっくりと元の状態に戻すと、床に顎をつけけだるげな声で剣一に問いかけた。


「まあよい。それで人間よ、お主は我に何を望む? 世界の破滅か? 強大な力か? 巨万の富、不老の体……かつてほどの力はないとはいえ、人の矮小な望み程度、我を解き放った褒美に叶えてやろう。何でも言うがいい」


「え、何でも叶えてくれるのか!? だったら…………いや、これは無理かな?」


「……無理? この我に不可能な願いがあるだと?」


 ぼそりと漏らした剣一の言葉に、ドラゴンの瞳に剣呑な光が宿る。


「不遜なる人間よ、一応聞いてやろう。一体どんな望みだ?」


「いやー、こればっかりは無理だと思うぜ?」


「聞いてやると言ったであろう! 言ってみろ!」


「じゃあまあ……実は今日から、新しい法律が施行されたんだよ。保有……えっと、何だっけな? とにかくその法律が、ちょっと俺に都合が悪くてさ」


 「保有技能のレベルに応じた異界の門探索における段階的侵入規制法」という法律の正式名称は、剣一には少々長すぎた。だが足りない分はドラゴンの知能が補い、言いたいことをおおよそ正確に理解する。


「国に布かれた法を変えて欲しいということか? なんだ、容易いではないか。王を廃し、お前が王になれば法など思いのままだ」


「いやいやいやいや、そんなの駄目だろ! てか俺が総理大臣とか、絶対国が滅茶苦茶になるから!」


 ドラゴンの言葉を、剣一は慌てて否定する。五歳の頃の剣一なら「やったー! おれがそうりだいじんだー!」と無邪気に喜んだかも知れないが、多少お馬鹿であっても一四歳なら現実が見えるし、テレビで国会中継を見たこともある。


 あんな場所に立って賢そうな演説をするなど、自分にはできない。剣一は己の適性をきちんと理解していた。


「王になりたくないとは、珍しい人間だな……であれば王の心を操るか?」


「心を操るって、洗脳か? そういうのも駄目だ! てか、殺すとかいいなりにするとか、言ってることが全部物騒なんだよ! もっとこう、平和的にどうにかできねーの?」


「平和的!? むぅ……」


 剣一の言葉に、ドラゴンは考え込む。殺して意思を奪うことも、干渉して意思をねじ曲げることも許されず、然れど結果だけは自分に都合のいいようにしたい。そんな無茶苦茶な願いの叶え方など、流石のドラゴンにも思いつかなかった。


「因果律に干渉するような力であれば、あるいは可能かも知れぬが……確かに今の我では無理だな。認めよう、その願いは叶えられぬ」


 ドラゴンは己の力に誇りがあったが、同時にできないことをできないと認めるだけの器もあった。故に素直に謝罪の言葉を口にしたドラゴンに、剣一も笑顔で答える。


「いいっていいって! 俺も無茶言ってるのはわかってるし……あと、俺には都合が悪い法律だけど、これが必要だったり、これのおかげで助かる奴だって沢山いるだろうからさ。うん、そうだよ、やっぱり俺の都合だけで、それを勝手に変えたりしたら駄目だよな」


 今回の法改正は、とある悲劇的な事故を発端としている。全国的に話題となり連日ニュースで報道していたので、剣一も当然その内容を知っており、それを考えれば自分の都合だけを押し通すのは、剣一だって本意ではない。


 なのでこの願いは、ただ言ってみただけ。叶わなかったからといってガッカリすることもないのだ。


「ならば他に願いはないのか?」


「願い、願いねぇ……あ、じゃあ俺をダンジョンの外に出してくれよ!」


「外? ふむ、それは構わんが、出てどうするのだ?」


「どう? いや、出してくれればそれでいいけど……?」


「……え? 本当に外に出すだけなのじゃ?」


「のじゃ?」


「ゲフン! あー、お主の体を地上に転移させる。それでいいのか?」


「おう! 歩いて出るのは面倒だなって思ってたんだよ!」


「……まあ、お主がそれでいいなら構わぬ。いいだろう、その願いを――」


「あっ、待ってくれ! もう一個願いがあった!」


「む……まあいい、言ってみろ」


 本来、叶える願いは一人一つとドラゴンは決めていた。だが「地上に転移させる」というのは、本来ならば願いを叶えた後に行う作業だ。それそのものを願いとされるのはドラゴン的にも予想外であり、追加の願いを口にすることを強欲だとは思わなかった。


「実は俺、ダンジョンの第一階層の転移罠からここに跳んできたんだ。あれ他の誰かが入ったら危ないから、俺しか使えないようにできねーかな? あ、ついでにこっちにも転移罠を作って、双方向で移動できるようにとかしてくれると嬉しいんだけど」


「つまりはこの階層と第一階層を繋ぐ道が欲しいということか? むむむ……」


「何だよ、それも難しいのか?」


「既にあるものを隠したりするのは容易い。だが存在しないものを創り出すのは大きな力を必要とするのだ。特に%&$#$%……あー、お前達が言うところのダンジョン、つまりこの場だな。ここに干渉するのは難しい」


「そうなのか……割とできないこと多いな?」


「ぐっ…………ま、まあ我はとらわれの身であったからな。生きるとはままならぬものだ。どれほど強大な力があろうとも自分より上は常に存在し、避け得ぬ理不尽に膝を屈することなど珍しくもない」


「そうだなー。わかった、帰りの転送罠は諦めるよ」


 ドラゴンの言葉に、剣一はウンウンと頷いて同意した。想像している「理不尽」の内容には天と地ほどの乖離があったが、共感する気持ちに違いはない。


「ふぅ……少し話しすぎたな。ではそろそろお主の望み通り、その体を地上に送ってやろう。上層にある転移罠は……そうだな、完全に個人を特定した結界などでは逆に都合が悪かろう。質量のある幻影の壁を配置し、相応の実力がなければ突破できないようにしておこう」


「お、そりゃいいな。ちなみに相応の実力ってのは、どのくらいなんだ?」


「縛りを強くすればするほど、幻影そのものの発する魔力で発見されやすくなってしまうからな。妥当なところでは、あの扉の向こう……漏れ出す我の魔力で強化された魔物共を軽く屠れるくらいの実力者、というところだろうか?」


「オッケー、それなら問題無しだ!」


 剣一が懸念していたのは、スキルレベルが一の初心者がうっかりあの転移罠に触れてしまい、この場所に跳ばされることだ。ここの魔物を楽勝で倒せる実力者でなければ発見できないという縛りなら何の問題もない。


「ではいくぞ…………さらばだ、人間よ」


「あっ」


 ドラゴンの大きな爪がそっと剣一の頭に乗せられると、次の瞬間パッと光が生まれ、剣一の体がかき消える。


 その意識がここから離れる寸前に剣一が見たのは、篝火の赤い光に照らし出される、寂しげに濡れたドラゴンの瞳であった。

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