第27話 祈りと再生のマドレーヌ


 その後、エレノアは菓子作りを行い、ひたむきに過ごした。

 貴族向けの注文がなくとも、平民向けの菓子はまだ皆、買い求めに来る。平民研修士ラディリスたちが菓子作りを行っているため、エレノアも彼女たちと共に作業しているのだ。

 初めは気後れする者もいたが、エレノアの熱心な様子に身分の差よりも、料理への関心が勝ったようでその作業をちらちらと見ている。木べらの動かし方一つとっても、やはり技術や経験の差は出るものだ。

 皆、エレノアの技術や姿勢を学ぼうと意欲的である。


「マーサ、スカーレットさまの元にいなくて良いの?」


 リリーと共に調理に勤しむマーサに尋ねると、にっこりと笑って頷く。


「はい。スカーレットさまは祈祷舎に向かってらっしゃいます」

「祈祷舎に?」

「はい、ペトゥラさんたちと一緒です。魔法鳥が無事に辿り着き、この状況が少しでも改善できるようにと祈られるそうです。昨晩もお知り合いの方に手紙を書かれていました!」


 どうやらスカーレットも自身に出来ることを探し、行動に移しているようだ。華やかな風貌を持ちながら、慎ましやかでおっとりとした気性の彼女が、現在の境遇から動き出すのには勇気がいったことだろう。


「そう、良い方向に向かうといいわね。私たちも頑張りましょう」

「はい! あ、もうそろそろお砂糖を入れますね!」

「マーサ、ゆっくりよ。あなた、おっちょこちょいなんだから」

「そんなことないわよ、リリーったらもう!」


 マーサもリリーも菓子作りに慣れてきて、賑やかな厨房では皆がエレノアの指示なくとも、てきぱきと自身の作業を進めている。

 もうマドレーヌは聖リディール正道院を象徴する菓子となっていた。

 

「マドレーヌ、凄く好評なんですよ。型から剝がれなかったり、形が崩れたのは少しお安くしたんです。そしたら、それを買う方もいたり……あ、ラスクも好評です」


 平民研修士ラディリスしか販売には携われないため、リリーはその情報をエレノアにもこうして伝えてくれるのだ。リリーの嬉しそうなその表情から、エレノアは街の人々が喜んでいる姿が思い浮かぶ。

 誰かがエレノアたちが作った菓子を喜び、それがまた作ったエレノアたちの喜びに繋がっていく。

 聖なる甘味の復活、それにより聖リディール正道院には新たな風が吹き始めていた。



*****

 


 エレノアたちが魔法鳥に手紙を託してから3週間ほど経ったある日、エレノアとスカーレットは正道院室に呼ばれた。

 スカーレットの表情は硬く強張っている。一見、毅然として見えるが自身の手のひらを合わせ、握りしめている様子からも明らかだ。

 そんなスカーレットを見守るようにペトゥラたちが後ろに控える。

 一方のエレノアは落ち着き払った様子で、正道院長イライザとグレースの言葉を待つ。


「……コールマン公爵家から届いた菓子の注文もあり、正道院での菓子作りに対する風当たりの厳しさは徐々にですが改善致しております。公爵家より頂いた注文に追いつけるか不安もあったのですが、その効果はあったかと思います」

「……そうおっしゃって頂けて光栄ですわ」


 この3週間エレノアの実家からの依頼で、マドレーヌを皆で作った。急なことではあったが大規模な菓子の制作、公爵家がそれを夜会で人々に配りたいという言葉は聖リディール正道院にとって吉報だった。

 エレノアとグレースやリリーといったラディリス、そしてマーサたちもが制作に協力し、公爵家へ菓子が送られた。コールマン公爵家からの注文は聖なる甘味の信頼の回復に繋がり、その味や価値を普及するのに大いに役立ったのだ。

 

「他の方々からも、送られた菓子への称賛、活動への応援の言葉が届いております。どなたからも温かい言葉を頂いているんですよ」

「……よ、よかったですわね」


 スカーレットがぱっと表情を明るくし、エレノアの方を見て笑顔を見せる。余程、緊張していたのだろう。緑の瞳は涙で濡れているように見える。

 そんなスカーレットに正道院長であるイライザは、厳しい表情で告げた。


「状況は改善されつつあります。ですが、クーパー侯爵令嬢。あなたはきちんと罪に向き合う必要があります」

「……はい」


 きゅっと口元を結んだスカーレットは長い睫毛を伏せる。

 どんな事情があろうと、スカーレットは謹慎のためにこの正道院へと訪れたのだ。そんな彼女が原因で、聖なる甘味の販売まで妨害を受けた。

 スカーレットはそこに大きな責任を感じていた。自身がいなければ、このような事は起きず、皆が穏やかに暮らせたはずだと自責の念に駆られていたのだ。

 厳しい表情でイライザの言葉を待つスカーレットを、じっとイライザは見つめ、ゆっくりと話しかける。

 

「ですが、今起きていることはあなたのせいではない。顔をおあげなさい」


 その言葉にはっとしたスカーレットは、イライザを見つめる。

 正道院長としてこの聖リディール正道院をまとめるイライザだが、研修士たちを導く立場でもあるのだ。


「ここは正道院。祈りと再生の場所、あなたたちが自身を顧みて、未来へと歩み出すための場所なのです。それを妨害する今回の行為は、許されるものではありません」

「イライザ正道院長……ですが、わたくしが」

「上層部にも連絡はしております。信仰会は迷い、悩む者たちのためにあるのです。あなたも、そしてエレノア嬢もこの場では同じ研修士なのです」


 自身を責める言葉を続けようとするスカーレットに、イライザは首を振る。

 いつもの厳しさが消え、優しい眼差しでイライザはスカーレットとエレノアを見つめた。それはどこか教師のようだとスカーレットは思う。

 まだ成長中で、至らない自分たちに注がれる眼差しは、温かいものだ。

 

「あなたはここ聖リディール正道院で成長していけるのです、スカーレット研修士。もちろんエレノア研修士、あなたもです」


 貴族と平民、それは完全には変えられない立場である。

 この社会に必要な身分の差であり、それにふさわしい行動と規範を取るように、エレノアもスカーレットも務めて生きてきた。

 だがそれを越えて、この正道院の中で育まれていくもの、それぞれの心の変化は必ずあるのだ。

 正道院長イライザも、平民研修士ラディリスと同じようにエレノアとスカーレットの名を呼んだ。そのことは研修士として認められたような、そんな実感へと変わっていく。

 安堵したようなスカーレットと嬉しそうに微笑みを浮かべたエレノア、そんな二人の様子をほっとしたようにペトゥラやカミラたちが見守る。

 まだすべてが解決したわけではない。

 それでも、スカーレットはイライザの言葉に「ここにいてよいのだ」そんな安心感を抱く。この正道院内にスカーレットはやっと居場所を見出したのだ。

 穏やかな午後の日差しが当たる正道院長室は、同じように温かな雰囲気に包まれていた。



*****



 「公爵令嬢のマドレーヌ」は再び評判となり、聖なる甘味の復活は正道院と街の人々を繋ぎ、罪を犯した令嬢たちの献身として評判になる。

 その裏にはエレノアの兄や父が知人に伝えたり、正道院上層部への手紙を出したことの効果があった。他家への影響力と人望は、エレノアたちの菓子への不安を払拭したのだ。

 一方で新興貴族であるヒギンス家に対する反発は強くなっていく。

 周辺を洗うと出てきたさまざまな疑惑や不正が新聞社に流れたのだ。誰がその情報を流したかは不明だが、そのどれもがきちんとした調査の元、裏付けまでなされていた。

 ヒギンス家からの正道院への圧力を、信仰会が公表したことで不当な権力の行使に対する抗議を、正道院に令嬢たちを預けた家々も行い始めたのだ。

  だが、ヒギンス伯爵家とクーパー侯爵家間の関係性は未だ改善されぬままである。


 貴族研修士ヴェイリスと平民研修士ラディリス、その垣根を越えて作られた菓子「聖なる甘味」には今まで以上の関心が集まった。

 それまで、「公爵令嬢のマドレーヌ」そう呼ばれていた菓子は、いつのまにか「研修士たちのマドレーヌ」と呼ばれ、その作り方は各地の正道院で共有され、創意と工夫に満ちたマドレーヌへと変わっていく。

 聖リディール正道院で復活した「聖なる甘味」は、各正道院に伝わり、その場でも多くの人々を笑顔にする菓子として愛されていくだろう。

 そんなきっかけを作ったエレノア・コールマンは、今日も白い狐とカミラに支えられながら、お菓子作りに腕を振るう。

 


 

 

 

 

 


 

 


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