第26話 飛び立つ魔法鳥


 エレノアが放った魔法鳥の訪れに、初めに気付いたのは兄カイルだ。

 急ぎ、自室を出て父の執務室へと足早に向かう。

 カイルが部屋に着いたときには、父が既に手紙の封を開け、読み進めていたところだ。エレノアからの手紙を先に読まれていたことに、少しカイルは機嫌を損ねる。


「そこに座れ、カイル。お前にも関係のあることだぞ」

「当たり前です。エレノアのことなのですから、僕に関係ないわけがありません」

「ほら、お前も読むといい。だがいいか、落ち着いて読むんだぞ」


 父の手から便箋を受け取ったカイルは、嬉しそうにエレノアの手紙を読み進めていくが、その表情は徐々に苛立ちに変わっていく。

 そんなカイルの予想通りの反応を気にした様子もなく、父ダレンは椅子にゆったりと腰かけながら、優しくエレノアの魔法鳥を撫でる。愛娘の手紙を長旅の末、届けた魔法鳥を労うダレンだが、カイルは整った顔に怒りを浮かべていた。


「つまりヒギンス伯爵家が、エレノアの聖なる甘味作りを妨害しようとしているんですね。おまけに正道院内でも圧力をかけようだなんて、許されることではない」

「……正確にはクーパー侯爵家のスカーレット嬢に、だな。だが、お前の言う通り、これはコールマン公爵家としても見逃すことが出来ない」


 貴族令嬢も暮らす正道院内への介入、秩序と安全を脅かしかねないヒギンス伯爵家の行動は信仰会へ報告する必要がある。

 商業で名を挙げたヒギンス現当主だが、きな臭い噂をダレンも耳にしている。

 ヒギンス伯爵家は新興貴族であり、貴族としての地盤も信頼も他家には及ばない。

ローガンを他家に婿入りすることでその地位と立場を次代に繋げようとしているのだろう。

 負債を背負わせ、クーパー侯爵家と婚約を結び、体の弱い長男を遠ざけていこうとする、そのやり方の卑劣さに不快そうにダレンも眉を顰める。


「エレノアの言う通り、菓子を普及し『聖なる甘味』の名誉挽回に努め、この件に関して信仰会への報告と現状の改善を申し立てる必要があるな」

「ですが、それではクーパー侯爵家の問題はどうなりますか? 僕としては興味はありませんが、エレノアが心を痛めるのは望みません。あの子は優しい子ですから」


 エレノアからの手紙を見つめながらカイルが言う。

 ダレンとて思いは同じ、愛娘がこのような手紙を寄こしたのだ。その力になりたいと考えている。

 今、カイルに話したのはあくまで正攻法の話なのだ。


「クーパー侯爵家の負債、親類縁者に頼れないまで莫大に膨らんだのはおかしい」

「初めから仕組まれていたと考えた方が自然ではありますね」

「一代で名を挙げるには綺麗ごとばかりではなかろう。叩けば埃が出る。必ずな」


 ダレンの言葉にカイルは片方の口角をくいっと上げる。その不敵な笑みは表では決して見せない表情、そんな息子カイルにダレンもまた笑みを返す。それは穏やかで柔和な普段のダレンとは異なる、豪胆さが垣間見えた瞬間だ。


「まぁ、結果的にエレノアが迷惑を被るかどうかが、僕らにとっては重要なのではありませんか?」

「それに関しては全くもって同感だな。エレノアの菓子の販売を妨害したその責任をヒギンス家には絶対に負わせる。必ずだ」


 不思議そうに小首を傾げる魔法鳥にダレンが柔和に微笑むと、安心したようにふわりと消えていく。あとにはエレノア手製の数個のマドレーヌが残る。

 長い睫毛を伏せて悲し気にカイルが呟いた。


「他の貴族に渡し、味を確かめて貰う必要があるんですよね……」

「でなければ、評価を挙げていくことは出来ないからな。エレノアが世話になった家庭教師などに贈ればよいだろう。彼女たちはどこかの家と必ず繋がりがあるからな」


 教え子はもちろん、その家族や使用人など噂はさまざまなところから広がっていく。「聖なる甘味」として注目を集めるエレノアの菓子を渡し、その味と安全性を確かめて貰うのだ。安全性は高位貴族であれば、魔法で確かめることも可能である。

 今回の菓子は全て貴族向けに配布するつもりだ。エレノアもそのつもりで送ってきたのだろう。

 あまりに悲痛な表情を浮かべる息子カイルに、ダレンは小さくため息を吐いて、ある提案をする。それは娘のためにも、息子のためになる案だ。


「よし、聖リディール正道院に朝一番で魔法鳥を飛ばそう。正式に注文としてエレノアの菓子を届けさせよう。夜会を開き、招いた来客、ご令嬢方に配るといい。頼んだぞ、カイル」


 今度はカイルがため息を吐く番だ。

 だが、それがエレノアのためになるならば、カイルとて拒む必要はない。


「もちろん、私が食べる分も注文して頂けるんですよね?」

「……当然だ。『確実にエレノアが作った物を2個』別途包んでおくように手紙に書くので問題ない」


 ダレンの言葉に満足げにカイルは微笑む。

 この微笑みでカイルが配る夜会の菓子は、ご令嬢方は必ず受け取ることだろう。

 エレノアの予想とは異なるが、兄も父もエレノアのために力を尽くすその意志を確認し合うのだった。



*****



 身支度を整え、朝食を終えたエレノアは昨晩書いた手紙を確認する。それは今まで世話になった人々に、マドレーヌと共に添える手紙だ。

 昨日兄に送った手紙には、その相手の名が記されている。兄たちには他の人々に菓子を送ってもらうためである。


《清らかな魂の子》

「なあに、シルバー」


 手紙の宛名と共に贈る菓子も綺麗に包み、確認するエレノアにいつになく真剣にシルバーが話しかけた。


《汝の願いならば、我が叶えることも出来る》

「え? どういうこと?」


 ちょこんと座る小さな狐はこちらを澄んだ瞳で見つめている。

 吸い込まれそうな青い瞳に映るのは、エレノア自身だ。


《汝にとって災いとなる者であれば、その存在を跳ね除けることも可能だ。清らかな魂の子よ、汝は何を願う》


 シルバーの言葉にエレノアは目を大きく見開く。

 確かに神の遣いであるシルバーの力ならば、この困難を打開することはたやすいのだろう。

 エレノアはじっとシルバーを見つめ、沈黙が流れた。

 だが、それはほんの数秒のこと。エレノアは微笑みを浮かべる。


「ありがとう、シルバー」

《では、我が力を貸すか?》


 その言葉にエレノアは微笑みながら首を振る。


「でもね、これは私たちの問題だから、協力し合って解決しないと」


 ソファーの上に座るシルバーの近くへと、歩みを進めたエレノアはその柔らかな毛を、撫でながら話しかける。


「じゃなきゃ、今後何かあったときに困るでしょ?」

《……良いのか? 清らかな魂の子よ》

「自分たちで乗り越えなきゃ。私ひとりじゃない、皆がいるもの」


 そう言って笑うエレノアを見つめ、シルバーは目を細める。

 圧倒的な力がある者が近くにいて、その力を貸すと言ったにもかかわらず、彼女は自分たちで立ち向かうことを選んだのだ。

 

《そうか……。清らかな魂の子は、やはり清らかな魂を持っているのだな》

「何、それ。変なの」

《汝らが困難に立ち向かう姿を、我は見守ろう》

「……ありがとう、シルバー。心強いわ」


 兄や父に協力を頼んだが、ここ正道院で起きたことにはエレノアたち自身が向き合い、立ち向かわねばならないのだ。

 ぎゅっとシルバーを抱きしめたエレノアは、そのふわふわの手触りと温もりに気持ちも軽くなる。


「ねぇ、シルバー。私の魔法はお菓子作りをしたい、そんな私の夢を叶えるための魔法なのよね」

《うむ、言ったであろう。汝の強く清らかな願いに基づいたことならば、属性に囚われずその膨大な魔力を行使できると》

「そう、それじゃあきっと大丈夫ね。聖なる甘味を届けられるわ」

 

 不思議そうなシルバーをそっとソファーの上に降ろすと、エレノアは皆と約束した第一庭園へと、カミラと共に向かのだった。



*****


 

 エレノアは青い空を見上げる。

 風が少しあるものの、心地よい春の日だが、集まった者たちの表情は少し硬い。

 第一庭園には、正道院長イライザを始め、グレースにリリーがいる。

 そして今、スカーレットとマーサたちが訪れた。

 その中に、エレノアが初めて見る少女たちが三人ほどいる。

 

「クーパー侯爵令嬢からお話は聞いていますわ」

「……よ、よろしくお願いいたします」


 エレノアが話しかけると、少女たちは緊張しながらも挨拶をする。

 同じヴェイリスの服を身にまとってはいるが、公爵令嬢のエレノアに気後れしている様子である。

 

「本日、魔法鳥を飛ばすのにご協力いただけるとのこと。嬉しく思っておりますわ。クーパー侯爵令嬢がこうして皆さまに、お声がけくださったこと感謝しています」

「いえ、わたくしにも何か出来ることはないかと……あなたのお姿からそう思いましたの」


 エレノアの言葉にスカーレットは、固い表情ながらも笑みを浮かべる。

 ラディリスとヴェイリス、使用人と共に菓子を作るその姿にスカーレットは心が震えた。この正道院に訪れてからも孤立し、スカーレットは悲観した。

 だが、エレノアに謝罪に訪れたこと、そんな彼女に連れられ、菓子作りに勤しむ者たちの姿、共に活動するエレノアの姿を見たことで彼女の思いは変わったのだ。


 今日はエレノアが言った魔法鳥に菓子と手紙を託し、貴族の知人に送る日である。

 だが、飛ばせる魔法鳥に制限はある。そのため、スカーレットは他の令嬢たちに声をかけたのだ。

 孤立しているスカーレットにとって、それは勇気のいることである。

 しかし、実際に声をかければ貴族令嬢の中の数名は、スカーレットの話に耳を貸し協力を申し出てくれたのだ。

 昨夜、エレノアにカミラが告げたのはこのことだ。

 

「……あの、私たちの魔力では菓子まで運べるか不安があります」

「えぇ、私もです」


 貴族令嬢たちは不安げなのは、今回魔法鳥に菓子を持たせるためである。

 本来、手紙のみを運ばせる魔法鳥に荷を持たせる場合、魔力量もコントロールも異なるのだ。不安になるのも無理はない。


「その場合、私が魔法で補佐いたします。魔力量は人より多いと言われるんですよ」


 彼女たちの魔法鳥の補佐を、エレノアは自身の魔力で行うつもりである。

 そんな言葉に貴族令嬢、スカーレットも魔法鳥を出す。その鳥たちにカミラが魔法鳥を差し出すと、ふっと吸い込まれるように消える。

 エレノアは彼女たちの魔法鳥に手を触れ、願う。

 この鳥たちが、望む場所へと無事に舞い降りることを。

 その願いに呼応するかのように魔法鳥は皆、青空を見上げる。


「……コールマン公爵令嬢、私の魔法鳥もお願いいたします」

「イライザ正道院長……!」


 ヴェイリスの薄青の頭巾を被るイライザの腕には鋭い目の魔法鳥がいた。

 その姿を皆、驚いて見つめる。平民で魔力を持つ者は少ないのだ。


「平民出身ゆえ、遠くまで飛ばす自信はないのですが、挑戦しないことには始まりませんからね」

「ありがとうございます。イライザ正道院長」


 彼女の魔法鳥にもエレノアは願いを込める。

 菓子と手紙を届け先にきちんと無事に送れるようにと。

 鋭い目の魔法鳥はイライザの腕に留まったまま、バサバサと力強く羽を動かす。その姿は今にでも飛び立たんとする気概があり、イライザに似ている。

 エレノアの自身の魔法鳥を出す。真っ白な魔法鳥を見つめ、手紙と菓子を託すと吸い込まれ、くぅと小さな声で鳴いて羽ばたいていく。

 エレノアの魔法鳥に続くように、形も色もさまざまな魔法鳥たちは空へと飛んでいく。青い空に羽ばたいていくその姿に、皆は希望を託す。


「私たちは今、この聖リディール正道院で出来ることを致しましょう」


 正道院長イライザの言葉に、エレノアもスカーレットも自身に出来ること、すべきことを少しでも探そうと決意するのだった。


 

 

 






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