第12話 トライフル ~つまらないもの~
手をしっかりと洗ったエレノアは作業台への前へと戻る。
新鮮なベリーにホットケーキと蒸しパンの中間のようなもの、生クリームやジャムなど食材は数点あるがどれも半端である。
だが、エレノアは気にした様子もなく調理を始める。
「砂糖はあるのよね? どなたか魔法コンロで砂糖と水でシロップを作って頂けますか?」
「あいよ! 誰か手の空いてるもんは作ってくれるかい? あたしゃ、お嬢ちゃんを手伝うからさ」
アレッタは腕まくりをしてエレノアの近くへと向かってくる。庶民的で気のいいその雰囲気はエレノアにとっても接しやすく感じられた。
昨日も使った魔法コンロだが、エレノアの記憶には火のつけ方の記憶がない。そのため、シロップは他の者に頼むことにしたのだ。
「小さめの可愛らしい透明なグラスとかないかしら?」
「それに盛りつけるんだね。確かに器がいいと料理も映えるからねぇ。まぁ、他のお嬢ちゃん方も同じ貴族のお嬢ちゃんが作ったのなら文句は言いにくいさ、気軽にやんなよ」
「ア、アレッタさん!」
コールマン公爵家の一人娘エレノアは王家の血も流れているのだ。アレッタの言動にグレースは眩暈を感じながらも必死で止める。
そんなアレッタに気を悪くした様子もないエレノアは用意された食器から、料理に合うものを選んでいるようだ。
「えぇ、失敗したら私が謝ればいいもの。これがいいわね。可愛らしいし、きっと見栄えがするわ。ありがとう、アレッタさん。あ、出来上がったシロップはボウルに入れておいてください。ありがとうございます」
「は、はい! かしこまりました!」
シロップを作った料理人はエレノアの言葉に恐縮したように頭を下げた。
エレノアはほんのり温かいシロップを刷毛でパンケーキのようなものにしみ込ませていく。少しパサついていた生地がしっとりとしていくのを確かめたエレノアは、半端なそれをさらに一口大に切り分ける。
透明なグラスに真っ赤なジャムと生クリームをそっと落とし、切り分けたパンケーキ、少量のベリーと交互に重ねていく。最後の段はジャムを全体に乗せ、さらにたっぷりの生クリームとベリーを飾る。
小さな透明なグラスに鮮やかな赤と白のコントラスト、ちらりとのぞくパンケーキ、余り物から作られたようには思えない愛らしいデザートがそこにはあった。
だが、エレノアは満足していないようで何かを探す。
「ハーブってあるかしら? ミントとか、ほんの少しでいいのだけれど」
「は、はいこちらに!」
「ありがとう。これを乗せて完成よ」
上にちょこんと乗ったミントの葉、その爽やかな緑が加わると、愛らしいデザートはさらに引き締まり、洗練された雰囲気に変わる。
「トライフル、そういう名前のお菓子なの。どうかしら?」
そう尋ねるエレノアにアレッタは感心し、グレースはその愛らしさにため息を溢す。半端な余った食材で作ったとは思えない完成した菓子を公爵令嬢であるエレノアが瞬く間に作り上げたのだ。
「凄く、凄く素敵です! 可愛らしいですし上品で、ご令嬢たちもきっと気に入ってくださると思います。……本当にありがとうございます!」
「半端な食材でも使い方によって全く印象が変わってくるね。あたしらが焼いた不揃いなケーキも切れば目立たないし、お嬢ちゃんたち向けになる。こりゃ、気付かなかったね」
どうやらここにいる人々からの評判は上々のようだ。だが、貴族令嬢は気まぐれで高慢なこともある。エレノアとしては味も保証できるのだが、彼女たちに難癖をつけられることも考えられた。
「もしお出しして不評であれば、私の名を出して。好評であれば、不要よ。面倒なことは困るから」
「好評でもですか……。そうですね、わかりました。あらためてコールマン公爵令嬢のご協力と寛大な御心に感謝いたします」
グレースが頭を下げようとするのをエレノアはそっと彼女の肩に手を触れて止める。グレースは平民研修士ラディリスであり、エレノアの使用人ではない。そもそも、菓子を作りたいと言ったのはエレノアなのだ。
「楽しかったわ。皆さん、ありがとう。申し訳ないのだけど、片付けをお願いしてもいいかしら」
「何言ってるんだい! それがあたしらの仕事だよ。ありがとう、助かったよ! えっと、コー……」
「エレノア、エレノア・コールマンですわ。では、また」
貴族研修士ヴェイリスの薄紫の頭巾、トゥレスが翻る後姿も美しい。凛としたその振る舞いに圧倒されつつ、貴族用厨房の料理人とグレースは去っていくエレノアの姿をぼんやりと見つめていた。
廊下を歩くエレノアは高揚した気持ちを抑える。やはり、菓子を作るのは楽しい。そう実感し、ついつい口元が緩みそうになる。
昨晩のシルバーの話では、ハルとして菓子を作りたいこととエレノアとして家族とカミラと生きること、この二つは両立できるとのことだった。
実際、昨晩はフレンチトーストを作り、今はトライフルを作ることが出来たのだ。詰んだと思った転生人生が急にぱあっと明るく開けてきたように感じられる。
そんなエレノアの後ろでカミラが低い声でぽつりと呟いた。
「…………お嬢さまはいつから調理がお出来になったのですか?」
「実は以前から書籍を読んで学んでいたのよ。だから、魔法コンロの使い方はわからなかったのよ」
「…………そうでしたか」
それ以上何も答えないカミラにエレノアは動揺する。もしや、以前のエレノアではないと既にカミラは気付いているのではないか。それを探るためにこの問いかけをしたのではないか。そんな不安が一気に押し寄せる。
だが、カミラの思いはエレノアの予想とはまったく違う方向にある。
自身の女神ともいえるエレノアがやはり非凡で才覚に溢れる令嬢であることに感極まっているのだ。不用意に口を開けば、涙となってその思いは溢れるだろう。
そんな理由からカミラは言葉少なにエレノアに対応する。
「えっと、さっきのお菓子はトライフルっていって……つまらないものっていう意味なの。あ、味は美味しいのよ?」
「…………えぇ(あのように繊細で美しい菓子をつまらないものとはなんと謙虚な)」
「そ、それで、もしかしたらまた作ったりするかもしれないけれど、よろしくね」
「…………えぇ(またあの者たちの力に……? なんて寛大で清らかなのでしょう)」
エレノアとしては不安とカミラへの心苦しさを抱きながら歩みを進め、一方のカミラは主への敬愛を深めながら歩みを進める。
異なる思いを抱いたまま、その後も二人は散策を続けるのであった。
*****
すっかり夜も更けたが、部屋の中ではエレノアの紫の瞳が輝いている。
結局、あのあと誰に聞いても祈りを捧げること以外に求められる仕事はなく、
エレノアはカミラと共に自室に戻るしかなかったのだ。
することがなければ疲れも少なく眠りも浅い。隣ですやすやと眠る白い狐を軽く見て、ため息を溢したエレノアはそっとガウンを羽織る。
そう、再び使用人用の厨房へと足を運ぶためである。誰もいないかもしれないが、もう魔法コンロの使い方は見て覚えた。眠れずに起きているのならば、何か菓子を作ればいいのだとエレノアは笑みが零れる。
エレノアはそっと扉を閉めると、足音を立てずに厨房へと向かうのだった。
廊下をしばらく歩き、窓の外を見ると今夜もまたラディリス用の祈祷舎には小さな灯りがある。おそらく誰かが祈りを捧げているのだろう。
そのひたむきな様子にエレノアはシルバーが言った「清らかな願い」が本当に自分でいいのかと戸惑う。静かに祈る見知らぬ誰か、その思いはまっすぐで清らかなのではないかと思えたのだ。
聖女という名前も肩書もエレノアにとっては不要なもの。ハルもエレノアも聖女になることなど願ってはいない。穏やかな日々を過ごすという点である意味、二人の願いは一致してもいた。
(そっか、私がエレノアでもハルでもお菓子を作って家族やカミラと穏やかに過ごす。これならお互いの希望が一致するんだわ)
魂はハル、だが記憶は二つ存在する。
複雑な状況ではあるが昨日シルバーが言った通り、エレノアの願いとハルの願いは矛盾しない。そもそもハルの魂を引き寄せたのはエレノア自身なのだ。
どこか安心したエレノアは厨房から零れる光に気付く。
「今夜は誰がいるのかしら……使わせて貰えるといいのだけれど」
中からは女性たちの声が聞こえる。
誰がいるのか不安を感じるエレノアに聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
「ペトゥラさま、やはりいらっしゃらないかと思います。明日、改めて伺ってお礼をおっしゃった方がいいかと」
「マーサ。私たちは他家に仕えているんだから、公に伺うことは出来ないよ」
「エヴェリンの言う通りです。それが出来ないために、僅かな可能性にかけ、こうして厨房にいるのですから……もう帰りましょう。明日も早いですからね」
そう言って扉を開いたペトゥラたちは、待ち人のエレノアがいたことに目を見開き、声を出さないように必死で口を押える。
そんな三人の様子に、秘密を共有する仲間が見つかったような気がしてエレノアはついつい笑みを溢すのだった。
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