第11話 王子の苦悩、エレノアの苦悩


 王都で眠れずに思案に暮れていたエレノアの関係者は他にもいた。

 エレノアが攻撃魔法を使用しかけた際に、現場近くにいた第二王子のエドワードである。彼は罪悪感に苛まれ、深いため息を吐き、眠れぬ夜を過ごしていた。

 彼は思い悩む原因はエレノアの扱いにある。

 本来ならば、家格の低い令嬢や令息が公爵令嬢であるエレノアに対し、無礼を働いたのだ。処分されるべきは彼らの身であっただろう。

 だが、その場には王族であるエドワードがいた。令嬢たちの振る舞いに気付き、エドワードが駆け付けたことがエレノアの罪を重くしたのだ。

 自身の行為でエレノアの罪が重くなったことに、エドワードは良心の呵責を覚えていた。


「彼女の行為は貴族として正しいものだったのに……」


 エレノアは自らのために感情をあらわにしたのではない。自身につく異国のメイドを侮辱され、訂正を求めたのだ。

 だが、彼らは自らの態度を改めることはなく、メイドへの中傷を止めることはなかった。彼らにとってそれは常識であり、異端なのはエレノアとそのメイドだと本心から信じていたのだ。

 その様子に気付いたエドワードは侍従が止めるのも聞かず、彼女の元へと駆け出した。少しでもエレノアの力になれればというその思いからだ。

 それは真逆の結果となり、エレノアは王都から離れた正道院へと送られた。


「彼女の行いは王族である僕たちが行うべきものだった。なのに、僕は彼女に謝ることすら叶わない」


 立場ゆえに謝罪することすらエドワードには許されない。

 エドワードはエレノアの姿を思い出す。 

 感情を滅多に出さないエレノアが他者のために怒り、攻撃魔法をかざす姿、それは凛々しく高貴で美しいものだった。

 窓の外の星々を眺め、エドワードは考える。

 あの聡明で麗しい令嬢に自身は本当に何も出来ないのかと。立場ゆえに出来ぬことがあるのならば、立場ゆえに出来ることもあるのではと、何度も何度も答えを探し、考えあぐねるのだった。

 


*****


 

 一方、健やかな眠りを得たエレノアもまた悩んでいた。

 することが何もないのだ。正道院で貴族研修士ヴェイリスがすべきことが何一つない。


 早朝に目覚めたエレノアはカミラに身支度を頼み、そわそわとヴェイリスとしての職務を果たそうと祈祷舎に向かった。

 グレースからはヴェイリスの職務に関する説明はなかったが、おそらく朝起きてまずするべきことは祈りを捧げることだとエレノアは考えたのだ。

 シルバーと出会った祈祷舎の扉を開けると、そこには誰もいなかった。既に祈りの時間は終わってしまったのだと青ざめたエレノアだが、仕方なく一人で祈りを捧げた。

 前回と同じように「どうかこの世界でもお菓子作りを楽しめますように」、これが清らかなのか、慎ましやかなのかもエレノアにはわからないが心からの祈りである。

 祈りを終えたエレノアはカミラを連れ、他の研修士を探す。この後の務めを確認するためだ。

 

 それから数十分、誰に話しかけても「どうぞ祈りを捧げてくださいませ」としか言われないのだ。

 結局、エレノアは第一庭園と呼ばれる菜園で、植物を手入れするラディリスたちの姿を羨ましく思いながら眺めている。


「ねぇ、カミラ。『祈りを捧げてくださいませ』って結局、何もするなってことじゃないかしら?」


 その割に祈祷舎では他のヴェイリスたちの姿は見かけなかったが、自室で静かに祈りを捧げたり、謹慎を行っているのだろう。貴族令嬢は何かしらの理由があって謹慎目的でこの正道院へと来たのだ。


「ですが、これ以上エレノアさまの尊い祈りを捧げてしまえば、次は神とやらが自ら降臨しかねません。ほどほどに致しましょう」


 そう話すカミラの黒い瞳は真剣そのものだ。エレノア至上主義である彼女は白い狐の降臨もすんなり受け入れた。カミラにすれば奇跡を起こすなら、エレノア以外にあり得ないのだからそうおかしなことでもないのだ。


「……朝の祈りは務めとして果たしていくわね。まぁ、ここにいても邪魔になるわ。散策でもしましょうか」


 肯定も否定もせずに、することもないエレノアは仕方なく正道院の散策へと乗り出すのだった。



 貴族用の別棟は平民用の棟とは造りも異なる。

 ある意味では普段見慣れた造りでもあり、エレノアとしては興味を引くものもないまま、歩いていくと徐々に華やかさより実を取った造りになっていく。

 すると、エレノアの棟内へ期待は一気に高まり、優雅ではあるが足取りも少し早くなる。実を取った造りは裏方の仕事の場、そこには貴族用の厨房もあるはずなのだ。

 すると、甘い香りと共に何やら騒がしく話す声がエレノアの元へと届く。

 中を覗くと、昨晩の厨房より広く整った設備と何事かを話し合う料理人たちの姿、そして昨日案内をしてくれたグレースが困惑したようにそこにいた。


「今から言われても到底間に合いっこないし、この材料じゃ彼女たちが満足するような菓子は用意できないよ。いずれにせよ叱責されるなら、出来ないと伝えて早めに謝罪した方がいいだろうね」

「……えぇ、私から話してまいります。ご無理を言って申し訳ありません」

「そりゃ、お前さんのせいじゃないだろうに。まったくラディリスのご令嬢にも困ったもんだね」

「――どうかなさったの?」


 厨房へと入って来た令嬢の姿に料理人たちはひゅっと息を吸い込む。薄紫色の頭巾トゥラスで髪を覆う彼女は間違いなく貴族の令嬢なのだ。今の話を聞かれていたら、当事者でなくともラディリスへの批判と受け取られかねない。

 だが、グレースはエレノアが怒りを抱いたわけではなく、本当に何があったのかと尋ねているのだと昨日の様子から悟る。


「実は他のご令嬢方から茶会の準備を申し付けられたのですが、もう一品何かないかと先程おっしゃられて……」

「正道院で茶会の準備……?」

「い、いえ、そんな大規模なものではないのです。お仲間内での交流を深めたい、そんな可愛らしい理由ですわ」


 そもそも理由があって謹慎目的で正道院にいる令嬢たちの振る舞いとしてどうなのかと思うエレノアだが、それより目の前で頭を悩ませているグレースたちの方が気にかかる。


「食材はそんなに少ないの? こちらには砂糖や小麦粉、製菓に必要な材料が支給されているのでしょう?」

「えぇ、ですがその、菓子専門の料理人はこちらにはいないのです」

「料理人がいない? それでは茶会の菓子はどうしたのですか?」

「あたしらが作ったよ! 菓子の知識なんかないから、もう必死さ」

 

 甘味は贅沢の象徴であり、かつては貴族や強い力を持つ信仰会がその調理法をそれぞれで秘匿していた。貴族か正道院所属の料理人であれば、製菓に詳しい者もいるがどうやら彼女たちは外部からの雇用らしい。


「それは大変でしたね」


 労いの言葉をかけつつ、エレノアは作業台の上に視線を移す。

 そのうえには新鮮なベリー、ホットケーキと蒸しパンの中間のようなもの、生クリームやジャムが並ぶがその量はどれも半端である。


「ご令嬢の人数は何人いらっしゃるの?」

「えっと、三名。いずれも貴族のご令嬢、ヴェイリスの方々です」

「あと一品、それで良いのなら私が作りましょう」

「えぇ……え? コールマンさま今なんと?」


 グレースは驚きで何度も瞬きをして、うろたえた様子だ。

 昨日来たばかりの公爵令嬢が急に厨房に現れ、調理をすると言い出したのだから無理もない。エレノアの意図はわからぬが、高位貴族に調理をさせることも、またそれを下位となる貴族令嬢に出すというのも問題の予感しかしない。

 冗談かとその表情を窺うが、こちらを見たエレノアはにっこりと柔らかな微笑みを浮かべるだけだ。

 仕方なくグレースはエレノア付きのメイドに視線を送る。令嬢の行動に口を出すには側に控えるメイドが一番だろう。


「素晴らしい……頭を悩ませる使用人たちのために自らお作りになることで問題を解決するおつもりなのですね! このカミラ、崇高なお考えに感銘を受けました。どうぞ、私にご指示を!」

「ありがとう、カミラ」


 止めてくれるかと期待したメイドは目を輝かせ、己の主人への忠誠心をさらに深めたらしい。グレースはもはや、エレノアを止められる者がこの場にはいないことを悟った。

 

「でもさ、あたしらにとってはいいんじゃないかい。グレース」

「アレッタさん……ですが」

「あのお嬢ちゃんって昨日は言ったお偉いお嬢ちゃんなんだろ? だったら、他のお嬢ちゃん方も料理には文句言えないだろうさ」

「確かに……あ、先程のお付きの方の言葉はそのような意味なのですね。コールマンさまは私たちのためにあえてご自身が前に出ようと……なんてお優しいの」


 カミラもグレースたちも大きな誤解をしている。エレノアはただ菓子を作りたいだけなのだ。

 なぜか皆の雰囲気に許された雰囲気が漂うのを察し、エレノアはにっこりと淑女らしい微笑みを浮かべて宣言する。


「それでは、最後の一品は私が作らせて頂きますね」


 グレースは初めて貴族令嬢が、その立場を他者のために使う姿を見て、グレーの瞳を涙で潤ませるのだった。


 


 

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