59、酉の刻、朱雀の珠

 酉の刻(夕方18時)。


 沈みかけの太陽は、黄金の光で周囲をふんわりと明るくしている。

 反対側の空は夜の色に冷えていて、月がうっすらとした光をみせていた。

 

 人々が集う広場は、賑やかだ。

 頭上に赤と緑の提灯が揺れている。

 壁は金銀の燭台が火を灯し、花模様の灯篭は地面と池の水面に設置され、夜の暗さに抗うように地上を照らしていた。

 

 克斯国こくしこくと黒家の関係者は拘束され、皇帝は改めて「式典は成功したのだ」「罪人は処刑する」と宣言した。

 

「皆の者、清明節はまだ終わっていない。清め、祓い、祈り、遊べ。今日という日を良き思い出として刻み、明日に向かおうではないか」


 城下の民は日中に墓参りを済ませていて、予定通りにご馳走にありつき、祭りを楽しんでいる。

 そんな中、「桜綾ヨウリンの声を聞いた気がする」と言って雨萱ユイシェンが墓に向かっていく。

 父と一緒に自分たちを三人の宮女のもとに導いてくれた霊は、桜綾ヨウリンだったのかもしれない。

 

 式典会場は宴席に変わり、酒と料理が振る舞われていた。

 侍女としての仕事が終わった紺紺は、皇帝と石王が語り合う酒席に同席した。妖狐と羊が上座に祀られていて、注目されている。

 宝石商人と先見の公子も一緒だ。

 

めい。これをあげましょう」

  

 宝石商人――紫玄シシェンは柳の枝を象った紫水晶の煌めく花釵かんざしを髪に挿してくれた。


「私は母に連れられて当晋国とうしんこくに来たのですが、母は理性と暴性の間でかなり不安定なようでした。冷静な部分では、世継ぎである私を守り、正晋国せいしんこくの再興を目指す臣下を見つけて、彼らと国を取り戻させたいと考えているようでした」


 兄の話によると、母である妖狐は当晋国とうしんこくで一度正気を取り戻したのだとか。

 「自分たちがいる場所はどこで、討たないといけない相手は誰で、どこにいるのか。頼れる臣下は存在するのか、この子をどうすればいいのか」と人の姿で途方に暮れたらしい。


 そこに、紅家に縁のある宝石商人が通りかかった。


 商人は母の美貌に夢中になって、生活全般の援助をしてくれた。

 母は情報収集して反乱拠点を作り、紫玄シシェンを探す正晋国せいしんこく の旧王朝派を拠点に集めて潜伏させた。

 紫玄シシェンには「保身第一で身分を隠しなさい」「機を窺って王権を取り戻すように」と言い聞かせ、母自身は自分が妖術を籠めた珠を回収して岳不群を支援した他国の関係者を討とうと画策し、紅家の侍女になって後宮に潜入した。


 そして、その後は……。


「私が市井に潜伏して人助けをしていたところ、術の腕を見込まれました。『人ならざる者を差別する風潮を変えたくて、常人離れした能力者を探して集めている』と説明されました。半分妖狐である自分は、良き政策だと思いました。それに、皇帝と良好な関係をつくっておけば、王権を取り戻すときに当晋国とうしんこくの後ろ盾も得られると思ったのです」


 なるほど、紫玄シシェンは「理想への共感」と「目的のための打算」の二点を理由に九術師になったらしい。


「結果、当晋国とうしんこくの協力を得られました。よかったです」


 紫玄シシェンはそう語り、妹を撫でた。


「めいは、兄と一緒に一緒に正晋国せいしんこくで暮らしますか? それとも、当晋国とうしんこくの暮らしが気に入っていますか。どちらでも好きにして構いません」

「お兄様。私、『過去は捨てる』と、霞幽様に誓ったんです」

「ふむ? 先見の公子とはどのような関係なのですか?」

「えっ。保護者と被保護者? 同僚? ――元夫婦……?」

「めい? 結婚して、離婚していたのですか?」

「あ、言え。複雑な事情がありまして……ご健在でよかったです、お兄様」


 それにしても、石王が気になる。

 筒袖に左衽(左前)の上衣にズボンという胡服姿の石王は、酒杯を手ににっこりと微笑んだ。


「お嬢様! 少し見ない間にご成長なさいましたね。見違えました。爺やはうれしゅうございますよ~~!」


 あっ、これは石苞だ。もう間違えようがなく本人だ。


「石苞、どうして王様になってるの」


 酒を注ぎながら問えば、石苞はヨモギ餅と子推燕しすいえん(小麦粉で小鳥の形をしたお菓子)が並ぶお皿と緑茶を勧めてくれた。

  

「俺の親戚が王権を巡って争っていたんですよ。その知らせが耳に入った当時、後宮に入ることが許されず、門兵や霞幽様に腹を立てていた俺は、思いついたのです。俺が王になったら見返してやれる、と」

「え、ええ……」

「なので、紺兵隊の連中と一緒に北に行き、この腕でどっかんと王権をもぎ取ってきたわけです」

「ど、どっかん」

「どっかんですよ、お嬢様っ」

  

 「見返す」と言われた霞幽を見ると、涼しい顔で皇帝と酒杯を交わしている。


「主上におかれましては、ご立派にお勤めを果たされ、霞幽は敬服いたしております。さすがは我がご主君」

 

 霞幽の声は、普段よりもどことなく誇らしげに聞こえた。


「はっはっは。東宮にも『父上、すごかったです』と慕ってもらったぞい」

「それはなにより」


 ヨモギ餅は特融の味わいで、緑茶との相性が抜群だ。美味しい。

 

「女色に惑い、すまなかった。しかし朕は、あの悪女を未だに愛してる」


 皇帝はしんみりと語る。


「女というのは、笑っていても怒り散らしていても、善良な振る舞いをしていても悪しき企みをしていても、味わい深く愛しくなるのだ。知れば知るほどにはまっていく想いであった……この想いは明日からは決して口にすることがないが――妻が悪女であれば、更生させるのも夫の務め。朕は夫として不甲斐ない男であった」


 寂しそうに呟く皇帝に、霞幽はなぜか同情するような眼になっている。

 なぜ。


「主上、そのお気持ちはわかります」


 優しく共感を示している。

 なぜ。


 首をかしげていると、銅鑼どらが鳴る。

 すると。


「……?」

 

 妖狐がのそりと身を起こし、霞幽が席を立ち、一緒に演舞台に向かっていく。

 演舞台で注目を集め、霞幽は声を響かせた。


「古き時代に、人里に悪戯をする妖怪が出没した。天帝は天仙を地上に遣わし、人々に知恵を授けた。人々は爆竹を鳴らし、人の暮らす里を守るようになった。天仙は天に還った」


 何が言いたいのだろう? 


「人の里は、人が生きる場所。人だけが生きる場所」


 霞幽が厳かに言うので、紺紺はどきりとした。


「普通の人間とは思えない九術師を英雄として崇めるようになっても、『人里は人外の者の住む場所ではない』と思う者は、まだ多い。私が思うに、人と暮らせる者とそうでない者、人と呼ばれる者とそうでない者の線引きがどこかにある。例えば、人を傷つけてしまうだとか、影響力が大きすぎるとか」


 瞳が合うと、手招きされる。

 何が言いたいんだろう。半・妖狐の存在が許されないというのだろうか?

 

 恐々こわごわと舞台に近付くと、宝石商人が後ろからついてきた。兄は同じ立場で、絶対に味方だ。そう思うと、心強い。


 二人一緒に演舞台にあがると、妖狐は鼻先を近づけてきた。

 母の声が、耳元で優しく囁く。

 

「ごめんね」「生きていてくれて嬉しいわ」「大きくなったわね」


「お母様は、人間が滅びなく手良かったと今思えるわ。そう思って天に還ることができるのが嬉しいわ」


 ……あっ。


 紺紺はどきりとした。

 母は、明胡めいこは――……

 

「還っちゃうんですか」

 

 紺紺はおろおろした。

 母から話は聞いていた。もともと、天上で西王母に仕えていた母だもの。

 

「あなたたちは、わたくしよりも人に近い。だから、人の世界で生きなさい」

 

 母はそう言って、別れを告げた。

 

 そうか、お別れなんだ。


「わたくしは、天上が居場所なのです。人の社会にいると、わたくしにとっても人間にとっても、よくないのです」


 母はずっと、ずっと苦しんでいた。

 地上は、母にとって辛い場所なのだ。

 ……そう思うと、紺紺は何も言えなくなった。


 宝石商人――紫玄シシェンも、神妙な表情である。

 

「母上。不肖の息子にて、孝行ができずに申し訳ありませんでした」

「私もです、お母様」

「あなたたちは、お母様の宝です。孝行なんて……生きていてくれるだけで、お母様は幸せでいっぱい。孝行だわ」

  

 母の声はきらきらとしていた。


 愛されているのだ、と感じて、胸が切なくなる。

 

「家族と過ごした時間は幸せだったわ。あなたたちが生きていると思うと、胸があたたかくて幸せになるわ。ありがとう」

 

 母はそう言って、淡く全身を発光させて消えた。

 あとには、朱雀の珠が地面に残されていた。


「朱雀の珠……これは、紅家にお返ししないとですね、霞幽様……」

 

 朱雀の珠を拾い、霞幽を見る。


「……霞幽様?」


 紺紺は息を呑んだ。


 彼の全身もまた、うっすらとした光を帯びていたからだ。


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