42、二度目の公子と約束の話

 先見の公子は、他人事のように淡々と話を続けた。


「父はその時、私に教育をしたのだと思われる。『小動物に情を抱く軟弱な男子になるな、非情であれ』あるいは『大事な物なら簡単に手放すな』と言いたかったのかもしれない」

「き、厳しい教えですね」

「一度目の私は、思えば軟弱であった。父の言いなりになり、大したことを成し遂げることもできず、運命に流されるだけだったように思う」

 

 青年の声は涼やかで、瞳は、風のない湖の水面みたいに無感情だ。

 長い睫毛が目元に醸し出す影には特有の色香がある。


 言っている内容は、ちょっと謎だ。「一度目の私」ってなに?


「二度目の私は、父に礼をした。『教育は不要なので、今後は隠居していてください』と親孝行なことを言い、隠居させてあげたのだ」

「ん? えっ、あっ、それ……あれぇ?」

 

 謎に引っ掛かっていたら、突然とんでもない話になった。

 紺紺は頭を抱えた。

 

「えっと……『私を怒らせると父親でも容赦しない』とか、そういうことを仰りたいんでしょうか? あと、猫さんを手放した時って、先見の能力にはまだ目覚めていらっしゃらなかったんですよね? でも、白家を乗っ取るだけの能力はあったと……うん……? なんかおかしい気が?」


 怖いお話をして、「私の言うことを聞きなさい」と脅しているのかな?

 あれー? あれー?

 

 紺紺が考え込んでいると、先見の公子は首を横にした。


「当時の自分には悲しみや怒りもあったように思うが、私が言いたいのはそういうことではない。それに、妹も言っていたけれど、現在の私には『感情』がない」

彰鈴シャオリン妃ですね。あ、その仰りようだと、ご自分がふにゅっ、様だと認めふにゅっ、しゅびませんでした」


 名前を呼びかけた頬がふにっとつままれて邪魔される。

 

 それにしても、「感情がない」とは。

 実際、紺紺も「先見の公子様って感情がないみたいで怖い」と何度も感じたけど、本当に感情がない人間がいるだろうか?


「猫や鳥にも感情はありますよね。私、先見の公子様に感情がなさそうで怖いと思ったことはありますけど、本当に全く感情がないんですか?」

「ないんだ」

「ないと思ってるだけで、あったりしませんか? 恥ずかしがってすっごい奥の方に隠れんぼしてるとか」

「私がないと言うのだから、ないのだ。君は私の感情をなんだと思ってるんだい? 紺紺さん、感情は恥ずかしがって隠れんぼしたりしないよ」

「しますよ」

 

 この人、頑固だ。

 この「自分の意見、絶対」って譲らない感じは感情とは違うのだろうか?

 そもそも、感情の定義とは……?


「うーん……」

「紺紺さん。君、今……私が猫や鳥以下だと思っているかい?」

「いえ、そんなことは思っていませんが」

「私は、二度目に猫を見かけた際、猫を拾うのをやめた。同時に、もし拾うならば、猫と家族は一緒に拾うべきとも考えたのだ」


 また「二度目」とか言ってる……。

 ちょっと質問してみようか?


「先見の公子様って、一度目とか二度目とか仰いますね。それって、白家特有の言い回しとかですか?」

「ああ。私は一度死んで人生をやり直しているのだ」

「あ~~、そうでしたか、それで……え、えぇ……?」


 うわ~~、さらっと意味不明な返答が返ってきた。

 

 どうしよう!

 もう、何か喋るたびに「?」が増えていく。

 最初は「?」だったのに、「??」になって「???」になって、どんどん増殖して頭の中が「?」だらけにされちゃいそうだよ!


「ど、ど、どっかんー」

「紺紺さん。たまに口にするソレはなんだい?」

「あっ。げ、元気が出るおまじないです」

「ほう」


 それにしても、「それはなんだい?」と聞く心情は「好奇心」じゃないだろうか? 

 「ほう」から感じられる心は「疑問が解けてすっきりして嬉しい」という「感情」じゃないだろうか?


 感情、ある気がするけどなあ。

 ないのかなぁ?


 紺紺は不可解な思いを持て余して星空を観た。


 あー、星が綺麗。

 悩みなんて大したことないよ、って気分になってくる。

 

「話を戻そうか、紺紺さん。さて、私は人生が二度目であり、一度目の人生の知識を活かして先見の能力者のふりをしている。私や君の行動の結果、未来は変わった。一度目の人生では、この時期、すでに私たちは死んでいたのだ」

「ふぁっ……」

 

 ……このお話、聞いちゃって大丈夫?

 紺紺は怖くなった。

 

「先見の公子様……待ってください。私のびっくり受け入れ脳が限界です」

「そんな脳があったのか。しかし、待たない」


 青年は、容赦なかった。

 きっと、「二度目の人生であること」「先見の能力がないこと」を打ち明けるかどうかをさっきまでは検討していたのだ。

 そして、「教えよう」と決めた。決めたらもう、他者が何を言おうが断行する――それが彼という人物なのだ……。


 紺紺が軽く現実逃避しつつ青年の人物像を分析していると、「油断するな」とばかりに言葉が情報の刃を持って心臓に殴り込んでくる。がつんと。


「紺紺さん。君が討伐しようという妖狐は、君の母君だ」


 どきり、と心臓が跳ねる。

 今、なんて?


「私は、一度目の人生の死に際に、とある高貴な方と約束をした。彼女は、彼女の母君が邪悪な妖狐として討伐され、歴史に悪名を刻まれてしまうのが嫌だと仰った。私は、『母君が悪名を残さず、討伐されないようにする』と約束した。『あなたを幸せにする』……とも誓った」


 満天の星空を背負うようにして、青年は静かに紺紺を見つめた。

 

 その瞳が、声が、先日観た夢の中の霞幽カユウと重なる。

 

「私はその約束を叶えたい。そのために、感情を代償にして人生をやり直す機会を得たんだ」


 声には、切実さがあった。ひたむきさがあった。

 

 それをひたすらに望み、そのためだけに二度目の人生を生きているのだ、という必死さがあった。

 

 「この人は真実をさらけ出してくれている」と感じさせてくれる声だった。

 

 安心させようとするように作る笑顔は美しくて、目が笑っていない。

 紺紺は、それが悲しいと思った。

 

「君に信じてもらいたい。信じてくれるだろうか?」

 

 優しい声に、紺紺は悟った。


 自分が観た夢は、きっと彼との一度目の人生の終幕だったのだ。

 

 紺紺は確信しながら、そっと名前を口にした。


「はい、……霞幽様」


 彼が名呼びを邪魔することは、もうなかった。

 その現実に、紺紺は「自分たちの関係は、たった今、何かが変わったのだ」と思った。

 それは、すごく不確かで、言語化の難しい、もどかしい「何か」だった。

 

 けれど、きっと悪い変化ではない――紺紺は、そう思った。


「私が後見する子が泥だらけで夜更かししているのは、保護者として見過ごせない。今夜はお風呂に入って寝なさい。妖狐についての対策は、また明日しよう……いいかな?」


 彼はそう言って立ち上がり、手を差し伸べてくれた。

 

 重ねた手は暖かかくて、紺紺は「この人は味方なのだ」という実感を胸いっぱいに噛みしめながら頷いたのだった。





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