41、一度目の公子と猫のお話

 桃瑚タオフー妃は、かけがえのない愛娘の温もりに涙しながら、自分の心を整理しようとした。

 

 友人である彰鈴シャオリン妃が最近気に入っている侍女は、名を紺紺コンコンという。

 

 夜空を溶かして流したような美しい黒藍の髪に、地味な化粧をしていても隠しきれない可憐な顔立ちの少女だ。華奢な体格で病弱だが姿勢はよく、良家で躾けを受けた様子の気品と教養がある。

 

 不憫な生い立ちだと聞くが、ひねた感じや擦れた性質は感じない。

 もしかしたら、心の奥底に弱音を秘めて気丈に振る舞っているのかも。

 

 十人が会えば八人までは「善良で愛らしく、健気だ。幸せになってほしい」と言いそうな子だ。

 

 ――けれど、桃瑚タオフー妃は十人中の二人に該当する人間だった。

 

 愛嬌があって、素直で、善良そうで、悪態をつかれても負の感情を見せることなく、前向きに健気に「もっとお仕事を頑張ります、たくさんお仕事します」という。

 そして、本当に人の何倍も仕事を頑張っていた。

 

 そこで「偉い子やな」と思うべきなのだが、桃瑚タオフー妃は別の感想を抱いてしまった。

 

 ……いい子ちゃんすぎて、自分が劣って感じる。と。

 

 「幼い子ならまだしも、十五ともなれば、人間って善良でお綺麗なままではいられないやろ? うちが十五の時は、くっそ高慢ちきで、注意されたら例え相手が目上で自分が悪くても『うちは悪くなーい』って不機嫌になったもんや。相手によっては平手打ちでわからせてやるとこやで」

 ……と思ってしまうのだ。

 

 友人の彰鈴シャオリン妃が猫可愛がりしているのも、なにやら面白くない。これは、嫉妬だ。

 夕餉の席に皇帝が呼びつけて同席させたという噂も、気になる。これも、嫉妬だ。

 

 そして何より、「若くて、容姿がよくて、性格がよい」と三拍子揃っているのが「うちの縄張りに現れたこのメスは、うちよりモテそう。危険!」と、危機感を抱かせるのだ。 

 女の勘、本能みたいなものが、「この娘が近くにいると、みんなの愛がそちらに向いてしまう。この娘はそんな危険な敵ではないか」と警鐘を鳴らすのだ。


 ……でも、この侍女が悪いことをしたかというと、何もしていない。

 それどころか、大切な愛娘、杏杏シンシンを見つけてくれたのだ……。

 悪いのは自分の心だ。相手は悪くないのである。

 

 身分の差を考えれば、黒貴妃のようにふんぞり返っていても誰も批難しない。

 

 けれど、だからこそ、謝罪し、感謝をするのが、人の道。

 貴き身分の者の『徳』というものだ。

 母として、妃として、立派な態度を取らねばならない――桃瑚タオフー妃は、大人の態度をとることにした。

 

「酷いことを言ってごめんなぁ。娘を助けてくれて、ありがとう」


 桃瑚タオフー妃は、紺紺に謝った。


「名門濫家、賢妃の矜持にかけて、このお礼はさせてもらいます」

  

 紺紺コンコンは、妃の本心は何一つ知らないまま、微笑んだ。

 母妃の腕に抱かれた杏杏シンシン公主を、ほんの少しだけ羨ましそうに見つめて。

 

「泥だらけなので、お風呂を使わせていただけたらそれで充分です」

 

 侍女――紺紺コンコンはそう言って、無欲に拱手きょうしゅした。

 

 その態度は、文句の付けようもない『徳』の高い態度であった。



 * * *


 侍女用のお風呂に向かうフリをして、紺紺は再び宮殿を抜け出した。


 向かう先は、承夏宮しょうかんきゅう

 南にある胡月フーユエ妃の宮殿だ。

 

 あの妖狐は、胡月フーユエ妃なのだろうか?

 宮殿に忍び寄り、妃の寝室を覗いてみれば、答えがわかるだろうか?

 

 水鏡老師は「妃の護衛任務をしている」と言った。

 妖狐は妃を狙っていて、水鏡老師が妃を守っているのだ。

 

 ……討伐してしまおう。

 

「妖狐は、やっぱり危険な存在なんだ。人に害を成そうとするんだもの」

 

 皇帝には「妖狐を見つけまして、妃を狙っていて狂暴だったので、討伐しました」と報告して、終わり。

 めでたし、めでたしだ。

   

 紺紺は庭の木に登り、屋根へと跳んだ。

 そして、屋根上を音もなく駆けて、宮殿の周囲を守る塀の上に飛ぼうとした時、名前を呼ばれた。


「紺紺さん」

「ふぁ! ふにゅっ」

 

 後ろから声をかけられて飛び上がって名前を呼びかけると、手で口を塞がれる。

 人間姿の先見さきみの公子だ。

 いつの間にか背後にいる。怖っ。


「ん、んンぅ~~っ!?」

「騒いで警備兵に見つかると面倒だ。静かにしなさい」

「……!」  

 

 頷いて離れようとすると、座るようにと指示される。

「座りなさい」 

 冷静で静かで、それゆえに「怖っ」と思ってしまう声色だ。

 

 立っていると無駄に目立つこともあり、紺紺はひとまず屋根の上に座った。

 それを見て、先見の公子も隣に腰を下ろした。


「無事、杏杏シンシン公主を見つけてくれたね。お疲れ様。ところで、どこに行くんだい」

「はいっ。私は妖狐討伐に行くところでした!」


 相手が水鏡老師だったら「一緒に行きます?」と頼もしくお誘いするところだったが、先見の公子は妖狐に近付きたくないらしいので、戦力外だ。紺紺は「それでは、また!」と会話を終わらせようとした。

 

 しかし、先見の公子は「待ちなさい」と引き留める。


「紺紺さんはお仕事熱心だね。しかし、君の任務に妖狐討伐は含まれていないが?」

「それがですね、先見の公子様。実は、御花園ぎょかえんに妖狐がいたんですよ」


 先見の公子は、妖狐がいたのを知らなかったんだ。

 紺紺はそう確信した。

 

 彼の先見の能力にも、色々と疑問点が出てくる。でも、いったんそれは心の中に仕舞っておこう。

 危険な妖狐の討伐が最優先だ。


「妖狐は妃を狙っているんです。危険です、討伐した方がいいです! あ、あと、東宮を呪う土器もありました。そちらは割ったのでご安心ください!」


 こんなに大きくて、牙が鋭くて!

 尻尾が八尾あって! 狐火を使って!

 と、妖狐の脅威を説明すると、先見の公子は考え込むような顔をした。


「先見の公子様? どうか、なさいました?」 

 

 この青年は、紺紺が見る限りいつも余裕があって落ち着き払っていて、物事に動じることがない。

 でも、たまに今みたいに「どうしようかな?」と分かれ道で迷っているような気配を見せる時がある。


「紺紺さん」

「はい」

 

 何をどう迷っていたのかは不明だが、先見の公子は迷いを振り切ったように笑顔を浮かべた。

 

 周りに侍女仲間がいたら黄色い声をあげそうな極上の笑顔だ。

 でも、目は笑ってない。

 

「君、疲れているね。妖狐はまた今度にして、今夜はもうお休みなさい」

「いやです」

「紺紺さん、妖狐はまた今度にして、今夜はもうお休みなさい」

「二度言われても、いやです」

「今夜はもう寝なさい」

「三度でもいやです」


 先見の公子は不思議そうに首をかしげた。

 しかし、紺紺からすると「なんで止めようとするの?」としか思えない。

 

 紺紺は気づいてしまった。

 この目の前の青年と自分、常識とか価値観とかが多分、いろいろ違いすぎるんだ……!

 ズレてる。すっごいズレてて、わかり合える気がしない!

 

「君は反抗期かい。紅豆の飯お赤飯を焚こうか?」

「結構です」

「お風呂に入ってから寝た方がいいと思うが、睡眠薬をあげようか?」

「結構です」

「君、私のことを信頼できない男だと思っているね?」

「そりゃ、いきなり接吻したり、お名前を偽ったり、人質を取ったり、皇帝陛下を退位させるとか、東宮を傀儡にするとか仰ったり、妖狐討伐を止めたりするからです」

 

 振り返ってみると、結構酷い。

 味方だと思った時もあったけど、妖狐討伐を止める今となっては、それも怪しい!

 

「そうか。それはすまない。ただ、信じてもらえないかもしれないが、私は君の味方だよ。君の幸せを願っている」

 

 先見の公子は、全く気持ちのこもっていない声で話を変えた。


「紺紺さん。君は、猫が好きだね?」

「っ? ええ、好きです」


「ところで紺紺さん、君は母親が好きだね?」


 ん? これは、罠かな?

 紺紺はサッと視線を逸らした。

 

「過去は捨てました」

「今だけ拾っておいで」

「ええ……」


 拾えといわれても。

 

「……好きです。好きでした」


 何でこんなこと言わせるんだろう。

 泣いちゃいそうだ。でも、泣くものか。

 

「そうか。では、少し話を聞いてほしい。まだ私が一度目……、無知で無力な六歳児だった時の話だよ」

「……え、……はい」

 

 先見の公子は、たまに変な物言いをする。一度とか、二度とか。

 奇妙だなと思いつつも、子供時代の彼が想像つかなくて、紺紺は好奇心を刺激された。

 

「六歳児の私は、猫を拾って飼ったことがある。普通の動物の猫だよ。茶色の縞模様の猫で、小さかった。子猫だね」

「それは、想像するとお可愛らしいですね」

「しかし、親は『猫は家族と暮らした方が幸せだ。拾った場所に家族がいただろうから、帰しなさい』と言って、私から猫を取り上げたのだ」


 親の言うこともわかる気がする。

 自分も、家族が恋しいと思う時があるから。

 

 紺紺はそっと「その言い分は、わかります」と呟いた。

 

 話は続く。


「私も、『猫が幸せになるならその方がいいのだ』と納得をした」


 先見の公子の言葉は、耳に心地よい。

 けれど。

 

「しかし、翌日、私の部屋の前には猫の死骸がわざとらしく転がしてあった」

 

 内容は、ちょっと衝撃的で、重かった。

 そして、こんな身の上話をして何がしたいのかも、わからない。


 ……いや。待って?

 これはもしかして「妖狐を殺さないでほしい」という主張につながるお話なのだろうか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る