39、二歳の公主、行方不明事件(2)

 二歳の杏杏シンシン公主が、延禧宮えんききゅうのどこを探してもいない!

 そんな恐ろしい事態に気付いて、大人たちは大騒ぎになった。

 

沐浴もくよくの後、臥牀しんだいにお連れして『おやすみなさいませ』とご挨拶申し上げたんです。公主様はお気に入りのお人形を抱っこしてお布団に入ってくださったので、安心しておりました。申し訳ございません!」

 

 公主のお世話係の侍女が、平伏して泣きべそをかいている。

 寝室や侍女からは、強い芳香がした。ちょっときつすぎるのでは、と思ってしまうような香りづけだ。


檀香たんこうを焚きすぎてしまったのが、よくなかったかもしれません。ちょっとだけうたた寝してしまって……も、申し訳ございません……」


 檀香たんこう檀木だんぼくから作られるお香で、香りが高く、心身を安らがせる効果がある。延禧宮えんききゅうでは、元気いっぱいの公主が眠ってくれるよう、寝所で檀香たんこうを焚くのが日常なのだとか。

 

 紺紺は眉を寄せた。

 彼女を見て、部屋のあちらこちらを見て、部屋の隅にあった几帳に目を留めた。

 

「あの、公主様のお世話係さん。お酒も飲まれましたか?」

 

 問いかけると、侍女はぴくりと肩を揺らして目を剥いた。


「飲んでません! 公主様のお世話をするお仕事中にお酒なんて、飲むはずがないじゃないですか! 言いがかりはやめてください!」


 そう言いながら、視線が一瞬、寝室の隅に置かれた几帳きちょうに向かう。

 

「匂いがしたので。すみません……あっ、肩に髪がついてます。失礼します」


 紺紺は侍女の抜け毛をつまみ、袖を合わせて拱手きょうしゅをした。

 侍女たちは揃って「気のせいじゃない? 私にはわからないわ」「わたしも」と視線を交わしている。

 

「うちの侍女は、そんなことせえへん。酒の匂いもないし……」


 桃瑚タオフー妃も「うちの侍女に言いがかりつけよって」と不満そうだ。


「はあ。すみません……」

 

 酒の匂いを誤魔化すために檀香たんこうを強く焚いたかもしれない。紺紺はそんな推理をしながら、袖に隠した人形を動かした。


 途端に。

「きゃあっ?」

 と悲鳴があがった。公主の世話係の侍女である。

「やだ、これ、なに? 体が勝手に動くのよ!」


「えっ、どうしたの?」

「急に何っ?」


 ――他の宮殿の侍女が指摘するより、本人の手で明らかにしてもらった方が妃同士の仲に亀裂が入らない。

 そう思った紺紺が、袖に隠していた小さな羊毛人形に彼女の抜け毛を入れて操ったのだ。

 

 操り人形と化した公主の世話係の侍女は、ぐるんっと全身を独楽のように回転させて、両腕を伸ばし。


「た、助けてえ! そこはダメっ……!」

 

 くる、くる、くるりと舞うようにしながら部屋の隅に移動して、『そこ』……几帳をバターンと倒してしまった。

 几帳の陰には、酒盛りの跡があった。まだ少し残っている酒杯の縁には、口紅がついている。

 それに気づいた侍女たちは、世話係の侍女に非難の目を向けた。


「まあっ、几帳の陰にお酒があるじゃない!」

「やだ、飲みかけの酒杯があるわ……慌てて隠したのね」


 世話係の侍女は、操り人形の糸が切れたように床に座り込んだ。その顔色は真っ青だった。


「あっあっ、こ、これは! ち、違っ……」

 

 桃瑚タオフー妃は驚いた顔で世話係の侍女に詰め寄った。


「子守り仕事中に酒盛りして寝こけてたんか! しかも誤魔化そうとして……!」

「ひぃぃんっ、申し訳ございません! 申し訳ございませぇん!」

「よりによってお客人の前で。うちの面目丸潰れや! それに、それに……」


 桃瑚タオフー妃は膝を折り、ワッと顔を覆って取り乱した。

 

杏杏シンシンの部屋で酒盛りなんて。なんと……なんという……それで、杏杏シンシンはどこ行ったんや? どこに……こんな夜中に。ゆ、ゆ、誘拐? あ、あ、暗殺でもされたら……」

「しっかりなさってください、桃瑚タオフー妃!」

桃瑚タオフー妃、お気を確かに……!」


 嘆き取り乱す妃に、慌てる侍女たち。

 現場は大混乱だ。


 杏杏シンシン公主は、世話係の侍女がお酒を飲んで寝ている間に寝室を抜け出した――そんな背景がわかったところで、紺紺は宮殿の外に向かった。ちゃっかり、公主のくしから抜け毛をもらって。


「妃の方々に気を取られてる間に子供を見逃すとか、あるかぁ? いや、やばいだろう」

 

 宮正の楊釗ヤンショウが大慌てで捜索隊を組み、「お前たちは北、お前たちは西」と指示出しをしている。

 部下と思われる宦官が呆れたようにつっこみしていた。

 

楊釗ヤンショウ様、妃の方々のお相手ならまだいいですよ、侍女に贈り物をしてて子供を見逃したと言われたらクビが飛びますよ」

「……お前ら、どうか黙っててくれ~~、頼む」

 

 混乱する現場は、抜け出す隙がいっぱいだ。

 妃に媚びるのは改善したらしいが、宮正はやっぱりいまいち頼りにならない。

 

 闇に紛れるようにして抜け出して、紺紺は宮殿周りを探してみた。


 幼い公主は、それほど遠くには行けないだろう。

 足跡がないか、物が落ちていたりしないか、匂いがしないか――と、探しているうちに、紺紺は杏杏シンシン公主の言葉を思い出した。

 

『かんじゃし』

『ぎょかえん』

『しってう』

  

「……あっ」


 あれって、もしかして?


 御花園へと向かってみると、途中で白猫が声をかけてきた。

 先見さきみの公子だ。


「紺紺さん。杏杏シンシン公主は御花園ぎょかえんに向かったようだよ。くつが落ちていた」

「先見の公子様! ……いなくなる前に先見があれば、防げたと思うのですが」

「君の貢献のおかげで、私が知っている未来は変わっているのでね。すまない」

「……?」


 暗闇に猫の目が光っていて、ちょっと不気味だ。

 それに、ご発言に違和感を感じた気がする。でも、何が違和感なのかはわからない。


「それより紺紺さん」

「あっ、はい」


 先見の公子はくつを見せてくれた。とても小さくて、おもちゃみたいな沓だ。


「紺紺さん。今回の事件は、誘拐でも暗殺でもないようだ。君が行けばすぐ連れ戻せると思うよ。私は人の姿になって宮正に『捜索が不要だ』と説明しておくから、御花園に行ってくれるかな?」

「かしこまりました、先見の公子様! 杏杏シンシン公主は私にお任せくださいっ! 後始末はお任せします!」

「役割分担ができてなによりだ。君は物分かりがいいところが好きだよ。いい子だね」


 杏杏シンシン公主が無事に連れ戻せそうでよかった!


 安堵しながら単身で御花園ぎょかえんに着いた紺紺は、そこで足を止めて目を点にした。


「……え?」


 到着してみるとそこは「ちょっと現実的じゃないな、なあにこれ?」と脳が思考を拒否してしまいそうなほど異常な状況だった。


「ふえーん、ふぇぇん」

 まず、杏杏シンシン公主が梅の花木の根元で座って泣いている。


 ……そして、公主を挟むようにして、『皇帝の九術師』の一人である序列五位の『水鏡みずかがみ老師』と、八尾の妖狐が睨み合っていたのだ!

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