21、左利きの侍女頭(2)
「この扉の向こうに
待っている間、扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
花の装飾が凝らされた扉の向こうで交わされる会話は、普通の人間なら聞き取れない声量。でも、紺紺は耳がいいので会話が丸聞こえだ。
「まあ、
「
「
「いつどのような
「……諍いに巻き込まれて、毒をどのように使いますの? わたくし、今よりも上の地位を目指す気はありませんの。現状維持で、諍いに巻き込まれないように平穏に過ごすつもりですの」
……不穏な会話。
紺紺がついつい耳を澄ませていると、時間を知らせる声が二人の会話を遮った。
「お話中、失礼します。新人の侍女が挨拶に参りました」
「もうそんな時間でしたか。通してくださる?」
金木犀をあしらった薄黄の上衣がよく似合っていて、柿色の帯に若菜色の紐飾りを重ね結びしているのが可憐だ。
腕にかける薄紗の布は
手に持っている二つの黒い陶器の壺は、桜綾から渡された毒物だろう。
受け取ってしまったらしい。彰鈴妃は少し迷ってから侍女頭の
そして、紺紺に着座を勧めた。しかも、自分の座る隣を手で示して。
「立っていると疲れるでしょう。お座りください」
「え、あ、ありがとうございます……っ?」
普通、侍女は主人の隣に座らない。
この待遇はおかしいのでは?
周囲を見るが、
いいらしい。
……本当に?
いきなり「無礼者」とか言い出さない?
「いいのよ」
「あっ、はい」
ちょこんと座ると、彰鈴妃は何かを運ばせた。
……揚げ芋?
「わたくしは、彰鈴です。お名前を教えてくださる? あ、この揚げ芋さん、わたくしが育てたお芋さんです。お料理も、わたくしがしたの。召し上がって」
「ふぇっ? 今、なんて……あ、名前は、紺紺です」
「変わった名前。紺は青地に赤色を挟みこんだ色。一色に染まらず複雑な色合いを見せる夜空の色。そして、文字自体は縁を紡ぐより糸の形と甘の形で造られている……素敵なお名前ですわね」
「ありがとうございま……」
「育てた」とか「料理した」とか聞こえた気がする。気のせいかな?
そして、なぜ揚げ芋を箸で挟んで「あーん」と食べさせようとしてくるのかな?
「召し上がって」
このちょっと逆らいにくい雰囲気は、兄の霞幽に似ている。
ほくほくの揚げ芋を味わいながら、紺紺は思った。
「美味しい? あなた、病気がちなのですって? わたくしが美味しいものをいっぱい食べさせてあげるから、元気になりましょうねえ」
「おいひいです……私は元気です……」
「たんと寝て、栄養を摂取して、わたくしと一緒に傾城様ごっこをしましょう。健やかになりますわ」
儚げな微笑で、よくわからないことを言っている。
彰鈴妃は、不思議な妃だ。
謎なところは「兄君と似ている」と言えなくもない……かもしれない?
「んふふ。
「はい……!」
彰鈴妃は「妹が増えましたわ」と微笑み、揚げ芋を持たせて個人部屋に返してくれた。本日は、挨拶だけでお仕事が終わりらしい。
「優しい方でよかった」
どちらかというと、優しすぎてびっくりかもしれない。
自室に戻った紺紺は、霞幽からの二枚目の手紙を開いた。
『
妹について――
年齢ニ十歳。好物不明。嫌いな人物は私。
お気に入りの侍女は
何がしたいか不明。
何を考えてるか不明。
悪女としてお気に入りの侍女と断罪されるかもしれない。詳細不明。
おまけ、主上が羊に「めえこ」と名をつけました』
「……悪女としてお気に入りの侍女と断罪されるかもしれないっ?」
あの優しそうな方々が?
それにしても、「参考になれば」と言う割に不明情報がいっぱい。何を参考にしたらいいのだろう。
それに……「めえこ」の情報、いる?
「今日はもう就寝時間だし、寝ようかな」
おやすみなさい、と呟いて灯りを消すと、部屋が真っ暗になる。
臥牀は寝心地がいい。
でも、「おやすみ」に返事してくれる人は誰もいない。
「……」
そよそよとした外の音が聞こえる。
集団房室と違って、誰かの寝言や寝息が聞こえてきたりしない。
誰かがごそごそ寝返りを打ったり、ぐすぐすと泣き出したり、厠に起き出したり、「ねえ起きてる?」と囁き声で夜更かし話をすることもない。
静かな寝室は、伸び伸び過ごせる一方で、ちょっとだけ寂しい……。
「みんな、今日どんなお仕事したのかなぁ」
どんな出来事があって、何を感じたんだろう。
親しい人たちの顔を思い浮かべて寝返りを打ったけれど、寝付ける気がしない。
そんな紺紺の耳に、部屋の外の声が聞こえてきた。普通の人間の聴力では聞こえない、小さな声だ。
「こんな時間まで大変ね」
「桜綾さんも」
「ねえ、今日配属された新人がいるでしょう?」
どきりとした。それは、自分のことだ。
「
「へえ……そうなんですか……」
「あなた知ってる? この前ね、
「えっ、やだ。そんなことを仰ったんです……?」
会話していた人たちが遠ざかり、やがて声は聞こえなくなった。
声が完全に聞こえなくなってから、紺紺は耳を塞いだ。
聞かない方がいい会話だった気がする。
少なくとも、聞いていて良い気分はしなかった。
今のは、陰口だ。
それも、「良い人だ」と思っていた
「実は悪い人? それとも、良い人だけど悪く言われてる? ……どっちが?」
紺紺は布団の中で悶々として、夜明け近くになってからようやく眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます