第二章 債務者、パーティを組む
2-1 委員長
大岡川沿いを走る京急線、黄金町駅すぐ近くの高架下。
一昔前まで違法風俗店が軒を連ねていた川沿いの裏通りは、十数年前の浄化作戦で一掃され、今では若いクリエイターが家賃の安さに惹かれて集うアーティスト通りになっている。
うだるような暑さの中、高架下の日陰に置いてあったアートなベンチに座ると、俺は天を仰いだ。
「はあああっ……これからどうすっかなあああ」
初ダンジョンを終え家に帰ると、楽園だった四畳半は、取り立て屋の浄化作戦で一掃されていた。
ゲームやパソコン、私物は全部売っ払われたみたいで、部屋には引っ越し後のがらんとした空気しか残されていない。
エアコンもベッドもない部屋で、暮らしていけるわけもなく。せめて客間で寝泊りさせてくれと頼んでも、「利息も払えん債務者に、部屋を貸す道理はない」とオヤジに言われ、家を追い出されてしまった。
もう一度ダンジョン潜ろうかとも考えたけど、所持金ゼロの俺に、目くらまし以上の<散財>は無理なわけで。
足首も痛むし、まずは今夜の寝床を確保するのが先決――とスマホを覗くも、オヤジと母親以外の連絡先は、さっき登録したナデコとアメリアしかいない。
ナデコは寮を追い出されたって言ってたし、アメリアに連絡したところで無下にされるか、ギャングがたむろする危険なストリートに放置されるかのどちらかだろう。
ベンチで途方に暮れてたら、近くの長屋の扉ががらっと開き、中から出てきた女の子と目が合った。黒髪ロングをポニテに結んだ眼鏡っ娘は、白Tシャツにデニムというラフな格好に、絵具で汚れまくったエプロンを付けている。
「あ」
アーティスト通りではよく見かける、絵描き志望の大学生?
いや、俺と同い年くらいかも……って、どうして俺に詰め寄ってくるの!?
「あの……もしかして、猪高くん?」
不意に名前で呼ばれ、俺は「ひぃっ」と情けない声を漏らした。
まさかこの子も……借金取り立て屋⁉
「やっぱり猪高くんだよね⁉ どうしてこんなとこにいるの? 何やってるの?」
見知った様子の見知らぬ女の子は、矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。
気安い言葉遣いから、三大裏稼業じゃないみたいだけど……俺は記憶のシナプスを総動員するも、画家志望の知り合いなんて全く心当たりがない。
「ええと、ごめん……誰だっけ?」
「あ、そっか。こんな格好じゃ分かんないよね……これなら、分かるかな?」
女の子はポニテのゴムを取り、眼鏡を外した。
夏風に黒髪をたなびかせた美少女は、笑っていてもどこか
その困ったような微笑みが、俺の数少ない高校生活の記憶を蘇らせた。
「もしかして……委員長!?」
「正解! こんな汚いカッコじゃ、分からなくて当然だよね。ごめんね」
そう言って眉をへちょんと下げた彼女は、確かにクラス委員長。
入学早々ヒコキモった俺を本気で心配してくれた、クラス唯一の良心だった。
* * *
「狭いけど、入って入って」
「お邪魔しまーす……」
足首の腫れに気付いた委員長は、手当するからと、長屋の一室に招待してくれた。
入ってまず目に飛び込んできたのは、壁一面の巨大キャンバス。
高さ二メートル、横幅一・五メートルくらいはあるだろうか。ブルーを基調としたパステルカラーで彩られた抽象画は、いわゆる現代アートというヤツだろう。
「救急箱取ってくるから。座って待ってて」
二階に上がった委員長を待つ間、俺はなんとはなしに、海か山か沙漠か空かも分からぬ巨大キャンパスを見つめ感慨に
何が書かれてあるかはさっぱりだが、これだけ大きい絵を描けるだけですごい。
真面目で美人だけど大人しい、言ってしまえばそれ以外あまり特徴のない委員長に、こんな趣味があったなんて。正直意外だ。
ほどなく救急箱とお湯ポット、タオルを手に、委員長が降りて来た。
俺の足首をお湯で洗ってシップを張り、サポーター代わりの包帯を巻いて固定してくれる。
「ありがとう。随分手慣れてるんだね」
「まぁ割と。女子力高めな委員長で、通ってますから」
照れ笑いで答える委員長に、ドキッと胸が跳ねてしまう。
これだから、陰キャ童貞ヒキコモリは……女の子にちょっと優しくされると、すぐ惚れそうになってしまう。
俺は慌てて視線を外し、巨大キャンパスを仰ぎ見た。
「女子力高めな女子高生は、現代アートもたしなむのか」
「あはは、どう……かな?」
委員長は包帯を巻き終わると、上目遣いで絵の感想を聞いてくる。
期待と不安がないまぜの表情……俺は素直に、思ったままを伝える事にした。
「俺、アートとかホントによく分かんないけど……すっげーなって思った」
その途端、委員長は目をキラキラ輝かせて、前のめりで訊いてくる。
「すごいってホント!? どのへんがすごいと思った!? 猪高くんはどこが好き!?」
「あ、えと……よく分かんないけど……大きいとこ、とか?」
女子の急接近にドキマギしながら答えると、委員長もハッと気づいたようで、頬をほんのり染めながら自分の椅子に座り直した。
「ごめんなさい……こんな風に聞いちゃったら、いい事しか言えないもんね」
「いや! すっげーって思ったのはホントだよ! 入って一目見た時から、すっげーとしか思ってなかったから!」
ああ、なにわけわからんフォローを必死で入れてるんだ俺は。これじゃ余計、嘘だと思われるかもしれないじゃんか。
それでも委員長は、にやける口元を手で隠しながら「ありがと」と言ってくれる。
キャンパスを見上げる横顔は、まるで背が伸びた我が子を見るような、幸せに満ちた眼差しで――そりゃあ俺も、すぐ委員長だって気付かなかったわけだ。
だって俺が覚えてる委員長は……監視カメラのモニタ越し。震える肩を抱いて、猪高組の門前に所在無げに立つ、セーラー服の女の子。
出てきた下っ端ヤクザに、「今日も、行かないそうですぜ」と言われ、小さく肩を落とす姿。
それでも「明日も来ます」と言い残し去っていく、細い背中の
あんなに怯えて傷心しきった委員長が、こんなにも明るく優しい女の子だったなんて。
もしあの時勇気を出して、一緒に学校行っていたら……そんな後悔を繰り返したくない。
俺は思い切って、委員長に訊いてみた。
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