第51話 益州の乱戦
「投石車とは、要するに車に乗せた超大型の弓です。矢を射るかわりに、石を放ちます。大きな石をひとつ投げることもできるし、多数の小石を散弾として発射することもできます」と魏延は説明した。
劉備は投石車を見て感心し、龐統は見たこともないものを前にして、なんだこれは、と驚いた。
「大きな石は、城壁を破壊するために投じます。今回は城兵を傷つけるために用いるので、多数の小石を放ちます」
魏延は実際に投石してみせた。
小石は城壁を飛び越えて、城内に落下した。
「もう少し狙いを低くせよ」
魏延の指示で投石の角度が修正され、今度は城壁の上に立っている敵兵たちに命中した。城兵は逃げ惑った。
「これで敵は混乱します。その隙に掘を埋め立てます」
龐統は敗北感を味わっていた。魏延にはかなわない……。
魏延は次々に新しい投石車をつくり、最終的には戦線に十台並べた。
投石攻撃により、埋め立て工事は劇的に進んだ。
雒城側も抵抗し、投石を受けながらも矢を放って工事の妨害をしたが、二か月ほどで掘はすべて埋められた。
「籠城八か月。掘はついになくなってしまったな……」と劉循はつぶやいた。
「敵は総攻撃をかけてくるでしょうね。いよいよ正念場です」と張任は言った。
「僕はあきらめない。死ぬまで戦うよ」
「簡単に死ぬと言わないでください。生きるために戦いましょう」
「勝算はあるのか? 劉備軍は強いぞ」
「我らも新たな作戦を発動しましょう。巴郡に猛将厳顔がおります。彼を動かして、劉備軍の背後を突かせましょう」
劉循はその策を採用することにした。
戦場になっている広漢郡の西は守るべき成都がある蜀郡で、東には巴郡がある。
劉備軍は益州の真ん中にいるわけで、益州の総力を挙げれば、撃退は可能だと張任は考えていた。
「劉璝、厳顔に会いに行き、彼を動かしてくれ。劉備軍を東から攻撃するんだ」
劉循は劉璝に命令した。
劉璝は夜陰にまぎれて雒城から脱出し、巴郡へ向かった。
劉備軍は投石車とはしごを使って、総攻撃を開始した。
魏延は投石車隊を指揮し、黄忠、李厳、孟達の隊が猛然と城壁に取り付いて、登り始めた。
「登り切らせるな! 敵を落とせ!」
劉循は懸命に城兵を指揮した。
城壁の上から石を落下させ、劉備軍の登壁を阻止した。
防戦を行う劉循軍の兵士たちにも、投石車が発射した礫が雨あられと降ってくる。
乱戦。
劉備軍にも劉循軍にも、多数の死傷者が出た。
「しぶといな……」と劉備はつぶやいた。
総攻撃を何度か行ったが、雒城は落ちない。
敵将の劉循が城壁の上を走り回って、配下の兵を励ましている。彼は城兵に慕われていて、敵の士気はなおも高かった。
その上、巴郡の兵をまとめて、厳顔が広漢郡に入ってきた。
「背後から襲われると、我らは危機に陥ります。涪城で食い止めましょう」と魏延は言った。
「誰かを涪城に派遣せねばならんな」
「李厳殿に行ってもらいましょう」
「うむ」
劉備は李厳に五千の兵を与えて、涪城へ行かせた。
「益州軍は、劉循の指揮で活発になっています。わが軍も総力戦をせねばなりません」
魏延は劉備に熱く語った。
「総力戦とは?」
「荊州から援軍を出してもらうのです。広漢郡の西、巴郡を攻める軍、南の犍為郡を制圧する軍が必要です」
「張飛と趙雲を使うか」
「そのおふたりなら、やれるでしょう。我らの総力を挙げて、益州を取るのです!」
魏延は溌剌としていた。
劉備は伊籍を荊州に送り、張飛と趙雲への出撃命令を伝えさせた。
魏延や黄忠らは、雒城攻撃を続行した。
出る幕がない、と龐統は思った。魏延の投石車は多大な戦果を挙げ、彼の献策で荊州から援軍が来る。私は必要ない……。
龐統は放心し、戦場にぼうっと突っ立っていた。
その周りに矢が何本も飛来した。
「死にますよ!」
女の声がした。龐統は手を引かれて、矢の射程距離外へ連れていかれた。
龐統に声をかけ、手を引っ張ったのは、孫尚香だった。
「奥方様……」
「龐統様、しっかりなさってください」
「私がいなくても、戦はうまくいくのです……」
「魏延様たちがうまく戦っているのなら、それでいいではないですか」
「私は自分が不甲斐なく……」
「龐統様は、もっと視野を広く持てばよいのではないですか?」
尚香は微笑んでいた。
「魏延様は戦がお得意なのです。きっと勝って、益州を取ってくれるでしょう。しかし、益州を統治するのは、戦とは別の能力が必要です。そのとき、龐統様の力が必要になる気がします」
龐統は、急に目の前が開けたように感じた。
「奥方様、あなたは不思議な方だ。なぜそのようなことを思ったのです?」
「さあ? なんとなくですよ」
尚香は雒城攻防戦を眺めた。戦場の風に吹かれ、彼女の艶やかな髪がなびいた。
雒城の戦いは一年を越えた。
投石攻撃により城壁はあちこちが破壊され、無惨な様相を呈していたが、劉循の戦意は衰えず、抵抗をつづけていた。
だが、ついに城内の食糧が尽きた。
厳顔軍も涪城で足止めされ、張飛軍と激闘して、劣勢となっていた。
万策尽きたか、と張任は思った。
劉循はなおも城壁の上に立っていた。死ぬまで戦うだけだ……。
「突撃!」
涪城戦線で、張飛は叫んだ。
彼は厳顔軍に躍りかかり、劉璝を斬り、厳顔を捕らえた。
「虜囚になどならん! わしを斬れ!」と敵将は叫んだ。厳顔は誇り高い老将だった。
「勇敢な将を殺したくはないな」と張飛は言った。
「おれと一緒に戦わないか? 劉備兄貴のもとにいれば、もっとすごい戦いができるぜ」
猛将と言われる張飛の意外なやさしさに触れ、厳顔の気が変わった。もうしばらく生きてみるか……。
雒城では最後の総攻撃が行われた。
張任は討ち死にし、劉循は城壁から落ち、気を失っているところを捕らえられた。
劉備は、粘り強く戦った劉循と話してみたいと思った。
縛られた劉循が、劉備の前に連れられてきた。
「劉封、ほどいてやれ」
劉備の養子が、劉璋の実子の縄を解いた。
「劉循殿、よく戦われた」
「負けました。もう生きている気はありません。処刑してください」
劉循はさばさばしたようすだった。
見事な若者だ、と劉備は思った。
「きみはまだ若い。益州のために、まだまだ働けるのではないか?」
「あなたのもとでですか」
「そうだ。おれのもとでだ」
劉循は一年以上戦った敵の総帥の顔を見た。
怯えている父の顔と比べると、遥かに精悍だった。
益州はこの人のもとにあるべきか……。
「僕は益州の民のために働くのですよ。それでもよろしいですか?」
「それでよい」
劉循の背後には、一万人近くの飢えた捕虜たちがいた。
「彼らに腹いっぱい食べさせてやってください」と劉循は言った。
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