第30話 水魚の交わり

 劉備玄徳ならば、曹操に対抗できるかもしれない。

 だが、劉備軍団は小さすぎる。

 新野城には、一万しか兵力がない。

 孔明は悩んだ。

 荊州を乗っ取るくらいのことをやらなければ、曹操とは戦えない。


 劉備は、彼の幕僚たちに孔明を紹介した。

 関羽、張飛、趙雲、簡雍、麋竺、糜芳、孫乾がいまの劉備の重臣。そこに孔明が加わることになる。

「諸葛亮孔明。若く、聡明な男だ。彼に軍師になってもらう」

 劉備はにこにこしながら言った。


 簡雍は首をかしげた。

「諸葛亮殿、軍事の経験はあるのか?」

「ありません。私は農民でした」

 麋竺は腕組みをしていた。

「いきなり軍師なんてできるのですか?」

「わかりません」

 孫乾は顎に手を当てた。

「武術の心得は?」

「剣を持ったこともありません」

 

 劉備の家臣たちは不安になった。

 ただ劉備だけが孔明の才を信じ、微笑んでいた。

 ふたりはよく一緒にいて、長らく話し合った。


「孔明、おれはこれからどうすればよいのだろう」

「荊州を支配なさいませ」

「しかし、この州は劉表殿のものだ」

「劉表様は老い、しかも重病に罹っています。襄陽城を急襲すれば、奪うことができるでしょう。まもなく曹操が荊州に攻めてきます。殿が守らなくては、荊州は曹操のものになってしまいます」

「おれはかつて劉表殿に救われた。その恩を仇で返すようなことはできねえ」

「劉表様の息子はふたりとも凡庸です。殿にしか荊州を守ることはできないのです」

「うーん。悩むなあ……」


 劉備は息子の阿斗を孔明に抱かせたりもした。

「若君、この諸葛亮、あなたにも忠誠を誓います」

「孔明、こいつはまだ言葉もわからないのだ」

「可愛らしい顔立ちをされています」

 孔明の腕の中で、阿斗は笑った。


 劉備と孔明の仲があまりにも良いので、関羽と張飛が嫉妬した。

「兄者、ひとりの部下と親しくしすぎると、他の者が嫌がります」

「兄貴、おれとも遊んでください」

 劉備は苦笑した。

「おれが孔明を部下にできたのは、魚が水を得たようなものなのだ。おれはいま、新天地にいるような心地だ」

 義兄がそう言ったので、義弟たちはますます孔明をうらやましがった。


 孔明は、荊州の情勢に目を配っていた。

 荊州牧の劉表には、ふたりの息子がいた。

 長男の劉琦と次男の劉琮。彼らは異母兄弟だった。

 劉琦の母はすでに亡くなり、劉琮の母の蔡夫人が劉表の寵愛を受けている。

 蔡夫人の弟、蔡瑁は荊州の別駕従事となり、病床にいる劉表にかわって、実権を握っていた。

 蔡夫人と蔡瑁は、劉琮を劉表の跡継ぎにしようとして、陰謀をめぐらせていた。

 劉琦は、暗殺されるかもしれないと怖れた。


 劉表の長男は、劉備を尊敬していた。

「私は蔡瑁に殺されるかもしれません」と相談した。

「孔明に知恵を借りればよい」と劉備は答えた。


 新野城の一室で、劉琦は孔明に「助けてください」と頼んだ。

「あなたは劉琮様と争い、荊州牧になりたいのですか?」

「そんな地位に拘泥はしていません。ただ命を永らえたいだけです」

「それならば、手はあります」


 その頃、江夏郡太守の黄祖が孫権軍に討たれ、太守の座が空席となっていた。

「劉琦様は、江夏郡太守になりたいと言えばよいのです。蔡瑁様は、厄介払いができると喜び、賛成するでしょう。荊州牧になることはできなくなりますが、あなたは江夏郡で生きていくことができます」

 劉琦は「孔明殿は命の恩人です」と言って感謝した。

 彼は孔明の策に従って太守となり、南郡襄陽城から江夏郡西陵城へ移った。


 208年夏、劉表は病没し、劉琮が跡を継いで荊州牧となった。

 曹操が五十万もの大軍を率い、荊州を襲おうとしていた。

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