第20話 好きな人と一緒にいるのに 

 しばらく考えても何も答えは出ず、私はベッドからモソモソと起き上がった。何かしている方が気がまぎれるだろうとキッチンに向かい、肉をドンと出すと大きく切って、鍋にぶち込んだ。


 料理をしよう。


 モヤモヤには料理がいい。


 兄が来ているから肉料理を作る事にして、香草と一緒に肉をトマトで煮込みながら、トントンと野菜を切って行く。


 野菜を切る音だけが部屋に響き、規則正しく野菜を刻んでいくが、心はぐちゃぐちゃに乱れていた。


 新しい鍋に刻んだ野菜を入れ、スープを作る。ぐるぐるとスープをかき混ぜていると少し落ち着き「ふう」と溜息が出た。


 どうしよう。


 ディラン様、優しいと思ったけど、嘘だったら?


 いや、嘘じゃない。ただ、恋人では無くて愛人と思っているだけで。


 兄が所長と話をしたいと言っていたけど、私も相談したほうがいいのかな。ただ、所長は今朝から出張だ。帰って来るのは三日後で、それからも週末の集会の準備で事務所にはいない。


 火を止めて、鍋に蓋をしているとドアがトントンとノックされた。



「あ、もう帰って来た」


 手を拭いて玄関に向かい「おかえりなさい、早かったのね」と言って開けると、そこには驚いた顔のディラン様が立っていた。



「あ」


「突然すまない。クレア嬢。先程出張から戻ってきた。元気だっただろうか?」



 目の前のディラン様に驚いた。



「あ、あの。はい」


「私を誰かと間違えたのか?お土産を持ってきたのだが、焼き菓子なのですぐに届けたくて来てしまった」



 兄からドアを開ける時は確かめろと言われたのに。


 顔を赤くしながら、「ええ」と言うと、ディラン様はにっこりと笑って、「すこしお邪魔してもいいだろうか?」と言った。



「ああ、すみません。今、夕食の準備をしていてこんな恰好で」


「構わない。素敵だと思う」



 はしたなくはないが、くたびれたワンピースにエプロン姿はやはり恥ずかしい。兄の言う事を聞いておけばよかったか、と反省しながら、「散らかってますが、どうぞ」と言って私がドアを大きく開けると、「お邪魔する」と言って眼を細めながらディラン様は部屋に入って来た。


 そして兄と似た行動をした。


 部屋をゆっくりと見回し窓の方へ行くと窓を開けて外を眺め、窓を閉めると部屋の奥に移動してキッチンに来て「失礼」といって洗面のドアを開けて頷いていた。



「あの?」


「ああ。不審者がいないか調べていた」


「ああ。そうなんですね。兄と似ていたので、驚きました」



 私はディラン様に椅子を勧めて、お茶の準備をした。



「ディラン様、お茶にミルクとお砂糖は?」


「結構だ。兄上?」


「ええ、先程。兄は軍団隊員なんですけど、暫く王都で仕事になったので私の家に滞在するんです。今は兄が詰所から帰って来たかと思いました」


「そうか、兄上と間違われたのか。では、こちらは二人で食べて欲しい」



 そう言って、可愛い籠に入った焼き菓子をテーブルに置いた。クッキーやスコーン、フルーツケーキが見えている。



「有難うございます。美味しいそうですね、あ、その前にディラン様、お帰りなさい。出張、お疲れさまでした」


「ああ・・・。もう一度良いだろうか?」


「え?ありが」


「いや、その後だ」


「えっと、ディラン様、おかえりなさい。出張お疲れさまでした」



 ディラン様は目を細めてゆっくりと微笑んだ。あ。その顔好きだな。


 私の手をゆっくり握ると、ディラン様は嬉しそうに笑った。



「ああ。ただいま。クレア嬢」



 あ。




 トスンっと、心臓が掴まれた。ああ。キュンってなった。


 握られた手が熱いし、その顔でただいまって言うのはずるい。


 優しいのも、大きな手も、低い声も、怖いと言われた赤い眼も、私には全部素敵に見える。


 私、ディラン様の事、好きだ。


 私がディラン様をじーっと見ていると、ディラン様は「んっ」と咳払いした。



「焼き菓子は出張先で人気の店らしい。次の出張でもクレア嬢にお菓子を沢山買ってこよう」


「ディラン様は食べられたんですか?」


「いや、食べてない。ああ、私も事前に食べるべきだったか。申し訳ない」


「違います。宜しければ一緒に食べませんか?」


「では一つだけ」



 私がどれにしようかな、と考えていると、ディラン様が「お勧めはキャラメルらしい」と言ったので私はキャラメルが練り込まれたクッキーを取り、ディラン様はレモンの皮が入っているマドレーヌを取った。


「うー!!美味しいですね!ああ、ナッツもちょっと入ってました!ディラン様は美味しい物を沢山知っているんですね。差し入れの焼き菓子も、とても美味しかったです」


「それはよかった。また買ってこよう。出張に行く楽しみが出来た」



 ディラン様の笑顔に胸がツキンと痛んだ。


 私の胸は忙しい。煩く鳴ったり、痛んだり。


 ディラン様に聞いてみようか。「私はたまに会う予定の恋人なんですか?愛人として付き合うのですか?ディラン様が結婚するまでの相手なのですか?」って。


 はっきり聞いたらいいんじゃないかな。


 でも、もし、「ああ。そうだよ」と言われたらどうしよう。


 そう言われたら別れた方がいいだろう、でも、別れたくないし、私が、「愛人は嫌です」っていったら「じゃあ、別れよう」って言われるのかな。それなら聞かない方がいいのか。


 いざ、ディラン様を目の前にすると喉の奥で言葉は止まって、出てこなかった。


 兄の言葉が頭に響く。(別れた方がいい)


 ディラン様はにこにこしてお茶を飲み私の手をゆっくりと握っている。



「クレア嬢に会いたかった」



 ディラン様は嬉しそうに笑ってくれる。その言葉は嘘ではないかも知れないけど、本当でもないかもしれない。


 聞きたいけど聞けない。



「クレア嬢からのレモンのキャンディーは大切に食べさせて貰っている。クレア嬢はレモンが好きなのだろうか?」


「レモン、好きです。イチゴも」



 ディラン様、私達に将来は無いんですか。



「そうか。イチゴか。クレア嬢、来週末、我が家でお茶をするのはどうだろうか?」



 貴族のお茶ってお茶会の事?お茶会なんて行った事ない。


 誰が来るんだろう。何を着て行けばいいか、どうしたらいいかわからない。


 兄の言葉がまた響く。(お前が貴族の家を切り盛りできるのか?)


 でも、来週末は仕事だ。



「ディラン様。来週末は魔力事務所の集会があるんです。私は受付をしないといけないので、残念ですがお茶会に参加は出来ません」


「おや。残念だ。そうか、では再来週・・・は私の都合が悪いか。ああ、中々会えないな。こうやって時々会いに来て良いだろうか。昼休憩の時に少し会うだけでもいいが」


「休み時間があえば」



 忙しいディラン様は王宮に行かれている事も多いと所長が言っていた。色々な部署やそれこそ、私が助けたと言った、学園にも行く事があるらしい。


 私と近所の食堂に一緒に行く事がディラン様の為になるのかな。



「ああ。良かった。楽しみだ。クレア嬢といると新しい発見が多い」



 嬉しそうに笑って、眼を優しく細められて私も笑って返した。


 物珍しいのかな。飽きたら捨てられちゃうのかな。(俺達とは世界が違いすぎる)兄の言葉が頭を巡る。



「クレア嬢?どこか気分が悪いのだろうか?」



 私の顔をディラン様が覗いてくる。目が合って、はっと我に返った。私はディラン様の手を離しお茶の入ったカップを握った。



「いえ。なんでも」



 じっと私をみるディラン様の眼は鋭い。私は下を見ながらお茶を飲み、顔を上げるとその時にはにっこりと微笑んでくれていた。



「そうか。なんでもないなら良かった。今度はお茶の葉を持って来よう。一緒に飲むお茶は美味しい」



 私はお茶を飲んでも、喉のつかえがとれず、胸がキュっと苦しかった。好きにならなければよかった。そしたら苦しくなかったのに。好きな人と一緒にいるのに、苦しくなるなんて変だ。



「ええ。お茶、いいですね」



 その後はディラン様から何が好きか、どんなお茶を飲みたいかなど、質問をされて私が答えて行き、「突然申し訳なかった」と言われてディラン様は帰っていった。


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