神の家
ムラサキハルカ
山の中にある神様のお家
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待ち合わせ場所は山奥の古びた神社の鳥居の下だった。
社を囲むようにしてある鬱蒼とした森からはセミの声が絶えず聞こえる。平日の真っ昼間ということもあってか――あるいは、そうでなくてもなのかもなのだけど――人の気配はどこにも窺えなくて、途方に暮れた。
本当にここで合ってるんだろうか? 当然のように浮かぶ疑問。そこから湧きあがる不安を紛らわせたくてスマホで時刻を確かめようとしたけど、なぜだか画面は真っ黒。
小さくため息を吐いてから天を仰ぐ。なんで、こんなところに来てしまったんだろう?
先日、下宿が燃え滓になった。巻き込まれて、下着も置いておいた教材も消えた。
今まで奨学金やバイトで誤魔化していた大学生活の終わりが迫ってくるのを感じつつ、なんとかしなければと思ったものの、なにも浮かばない。一時の宿こそ学友に頼ってしのいだものの、いつまでも頼るわけにもいかない。
大学を辞めて実家に帰るしかないのかな? そう思っていたところで、泊めてくれていた友人が、サークルの先輩が格安の家を紹介してくれるかもしれない、という話を持ってきてくれた。
私としても乗らない手はなくて……
冷静に考えれば怪しさ満点だった。百歩譲って、紹介の話を聞いた時点では善意だと判断したしても、こんな山の中で待ち合わせようなどという輩が怪しくないはずもない。
たちの悪い冗談や欠陥住宅であればまだましで、ヤクザや半グレ絡みで埋められたり、連れ去られて海外で売っ払われたり臓器を取り出されたりするかもしれない。……これはこれで、想像の飛躍が過ぎるかもしれなかったけど、まともな話ではないだろうな、という確信は徐々に深まっていく。
いっそ何も言わずに立ち去ってしまおうか。
「どうも。こんなところまで来てくれてすまなかったな」
背後から若い男性らしき声がかかり、振り向く。
狐面を被ったほっそりとした誰かが立っている。
よし、帰ろう。
「はて? 何のことですか?」
「君だろ。家を借りたいっていう娘は」
「家?」
「そうだよ。住むとこが燃えちゃって困ってるっていう」
寂しそうな後ろ姿を見て、一発でわかったよ。勝手に話を進めようとする男性に、更なる誤魔化しを重ねようとして、
「君の言いたいことはわかってる。俺ってあからさまに怪しいしな」
男性も自覚はあったらしく、一人でうんうんと頷きはじめる。だったら、もう少しまともに振る舞って欲しい。
私の胸の内を知ってか知らずか、男性は、とはいっても、と呟いてから、
「目標はもう半分くらい達成されてるんだけどな」
などと付け加えた。それってどういうことですか、と尋ね返したところで、男性は小さくため息を吐いた。
「君に紹介する格安の家は、この山そのものだ」
意味がわからなかった。
鳥居を潜った先にある社へと向かいながら話す男性は、家主は神様だと言う。
「昔から花が欲しいから誰か連れて来いって、俺に言ってくるわけ」
「家を貸すかわりに、神様と結婚させられたりするわけじゃないですよね」
ほとんど信じていなかったけど、万が一ということもあるので確認する。
「『
そういうのが一番危ないのでは? 心の声を響かせたところで、賽銭箱の前に立った男性は、
「連れて来たぞー!」
仮面越しに大声で叫ぶ。なんの反応も返ってこない。もしかして、この話自体が男性の巨大な妄想の一部なのでは、と疑いを深める。
『お主はいつもうるさいのぉ』
天から女性の声が降ってきた。咄嗟に天を仰いでみるものの、誰もいない。
「昼頃、連れてくるって言っただろ。なんでいないんだよ」
『人の時間など妾にとっては瑣末な問題よ。それよりも今は水浴びがしたくてな』
「ってことは、あそこか。今から行っていいか?」
『なぜ、許可などとる?』
「前、覗きとか言われたしな」
『ああ、そんなこともあったなぁ。瑣末なことを覚えておるとは、相も変わらず、どこもかしこも小さな男よな』
「ほっとけ」
慣れ親しんだやりとりに置いてけぼりにされつつ、やっぱり帰ろうかな、と考えていると、
『そこな娘』
急に矛先が私に向く。
「私のことですか?」
『お主以外に誰がおる。
近うといわれてもと戸惑ったあと、社に歩み寄る。
『もそっと近う』
合っていたらしい。とはいえ、もそっと近付きたくとも、まっすぐ行くと賽銭箱に引っかかる。やや躊躇いつつ、箱の横を歩いて更に社屋への距離を詰める。
『ほぉ』
どことなく艶かしい溜め息のあと、
『いい』
短い女性の声。
『いい娘を連れてきたのぉ。ひょっとして好いておったのか?』
「後輩からの紹介だ。神の癖に、記憶力は鶏なのか?」
『妾にとって、綺麗な娘が来るということ以外どうでもいい。とにかく、よくやった。ほら、早う連れてこんか』
「わかったから、ちゃんとお利口さんにして待ってろな」
子供扱いするでない。天から降ってくる叫声に男性は背を向けたあと、私の耳元に面を寄せる。
「気に入られたみたいだ」
「そう、みたいですね」
「誘っておいて今更ではあるが、帰った方がいいかもしれない」
急な態度の変わり様におおいに戸惑う。男性は、
「あの神様、気に入った相手には手段とか選ばないから」
などと口にしてから、俺からなんとか説得して穏便に済ませるからさ、と結ぶ。
元から帰るつもりだったし。頷こうとした矢先、ふと、女性の、ほぉ、というため息が耳の中で蘇り、
「大家さんに会ってみたいです」
そう答えていた。
神様のいると言う水場に行く途中、花畑があれば、
『妾が寄りすぐった花の数々はどうじゃ』
などと天から話しかけられ、つるつるに磨き上げられた巨岩に出逢えば、
『今風に言えば、いんてりあ、というのか。ここまで綺麗にするのに、何百年もかかったぞ』
と天から自慢され、洞穴の横を通りがかれば、
『ただの洞穴と思うことなかれ! 妾の隠れ家じゃ。お主にだったら特別に貸してやってもかまわんぞ』
天から自信ありげに中を覗くよう促された。
やっぱり、人が住む環境ではないのでは? 頭の中の冷静な部分はそう告げていたが、足はどんどん進んでいく。その度に、隣りにいる男性の顔がこころなしか曇っていっている気がした。
そうこうしているうちに、一本の河川が現れた。すき通った水の穏やかな流れの横、半裸を晒す若い女性がいた。その黒く長い髪から水を垂らしながら、凄絶に笑っている。
「ご苦労じゃったな」
女性からのねぎらいの言葉に、男性はどこか苦々しげな様子で狐面に手を当てる。
「なんじゃ、不満かえ。妾が他に目移りするのがそんなにいやかぇ?」
「わかってて聞いてるだろ」
「ああ、そうじゃ」
告げるやいなや、自ら飛び出た裸体の女は仮面の男に抱きつき、面を外す。現れたのは色白の細面の青年の複雑な表情だった。
「お主の苦しみは最高に甘美じゃからな」
「最悪だな」
「その逆じゃろ。この愛が伝わらんか? なんなら、今すぐお主の子種で孕んでやってもかまわん」
「だから、そういうことじゃ」
「そういうことじゃよ」
言い切ったあと、女性は、どこまでいっても妾とお主は共犯よ、と告げ、くるりと私の方を向く。
「近う」
あの声だ、と実感すると一人出に足が動く。
「もそっと近う」
じりじりと距離を詰める。程なくして、ほぉ、というあの溜め息とともに、掌が頰に触れる。とても冷たく、それでいて吸い付けられるみたいだった。
「いい顔じゃ」
「……どうも」
「とはいえ、まだ顔が妾のいっとう好みだということしかわからん。だから」
尖そうな犬歯を覗かせた笑みは悪魔じみていた。
「妾の別荘に相応しいか、隅々まで内見してやろう」
抗えないと感じると同時に、私は、
※
後はいつも通り。
裸にされた後輩の女は、山の神に裸にされ、隅から隅まで触られたところがないところまであらためられ、弄ばれた。女も魅入られたのか、まったく抗うことなくされるがまま、神の指と舌を受け入れ、愉しんだ。
そうして日が暮れるまでとっぷりとお愉しみだった神は、川原に女を打ち捨ててから、俺の方へと向き直った。
「感謝するぞ。またまたいい別荘を持ってきてくれた」
「……」
黙りこむ。押し寄せてくるのは後悔ばかり。今までもこれからも、俺という駒を使って、神は別荘を求めるのだろう。
「そう、暗い顔をするな。そんな顔をされると、ますます火照ってしまう」
冷めていく俺の心とは対照的に、神はより興奮しているらしく、べちゃべちゃになった体を押し付けてくる。
「
「失礼な。とはいえ、本邸のお主と体を寄せるには、別荘の
告げるやいなや、体ごと川へと引き込んでくる。夜の水の冷たさに目が覚めそうになったところで唇を押し付けられた。暴力的な舌先に窒息しそうになる。
やがて、唇と唇が離れたあと、
「やはり、お主は格別じゃのう」
ほの見える、犬歯。途端に自己肯定が肥大化する。俺は、神に愛されている。
「とはいえ、本邸の良さがわかるのは、別荘の味があってこそじゃ。だから、これからも」
「わかってるよ」
なにかしら理由をつけて、人を連れてくればいい。そうすれば、満たしてもらえる。
川原に寝転がる後輩の女を見やる。これまで、俺が山に連れて来て、神に散々弄ばれポイ捨てされた数々の者たちの姿が頭を過ぎった。おそらく、この女も同じ未来を辿るだろう。そして、おそらく、いつかは俺も……。
「愛しとるぞ」
あっけらかんとした軽い調子の言葉。
「あっそ」
素っ気なく応じてみせるが、心は完全に尻尾を振っている。
月明かりの下、神は満足げに笑い、体をしなだれかからせてくる。俺も重力に身を任せてら川の中へと深く深く沈んでいった。
神の家 ムラサキハルカ @harukamurasaki
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