世界樹の住み心地

燕子花

北の辺境砦(アロイス視点)

 〔叡智えいちの国〕。

 エルフの女王が治める、自然豊かな美しい国である。

 そしてここ〔北の辺境へんきょうとりで〕。

 叡智の国から北、魔王が支配する〔闇夜あんやの国〕との国境付近に建てられた、重要な防衛拠点だ。

 闇夜の国、そして南にある人間の王が統治する〔黎明れいめいの国〕に挟まれた我が国は、いつも両国の争いに巻き込まれ、決して少なくない被害を受けていた。

 とくに南北の辺境砦は、頻繁に国境を越えては悪さをする者たちが多すぎて、まるで対処が追い付いていない。

 ここの防衛は王都の兵士たちが交替で行うが、当然というべきか、不人気であった。

 だからといって、守らないわけにはいかない。

 女王陛下から任された大事な任務だ。

 どんなに気が向かなくとも、エルフの誇りにかけて、この場所は死守する。


 しかし意気込んだところで、どうにもならないこともある。


 毒。

 それも毒消しの魔法薬が効かない、特殊な毒。

 運の悪いことに、その攻撃を受けたのは老齢の治癒師。

 北の辺境砦で唯一、まともに回復魔法を扱える者だった。

 

 充分に用意されていた魔法薬は、すでに底を尽きかけている。

 前線で使うような品質の高い魔法薬を作成できる者は貴重で、こんな危険な場所に滞在しているわけがない。

 近くの集落から分けてもらえるように頼んではいるが、品質に期待はできない。


 治癒師が毒に倒れたのち、早い段階で王都に援軍の要請を出していた。

 治癒師、あるいは魔法薬の補充を頼んだが、あとどれくらいで到着するだろうか。

 治癒師に優先して魔法薬を与えているが、彼は老齢だ。

 体力的にも、気力的にも、そろそろ限界だった。


 砦全体が暗い雰囲気に包まれている。

 敵の侵入は日に日に増えるばかりで、重傷者も多い。

 回復手段がないため、戦える者は減る一方だ。

 いまだ死者がでていないのが不思議なくらいであった。


 援軍より、全滅するほうが先かもしれない。

 そんなことを考えながら、ぐったりと横たわる治癒師の世話をしていると、部屋の外が騒がしいことに気づく。

 また敵か。

 そう思ったのも束の間、


薬師くすしだ! 王都から薬師がきてくれたぞ!」


 そう、喜色を隠しきれない声が聞こえてきた。



 同僚の一人に連れられて部屋に入って来たのは、怪しげな女性だった。

 我らが友好国〔神風の国〕の者が好んで着ている、キモノという服にゲタという靴。ゆったりとした黒のローブ。フードを被り、顔には……鳥のくちばしのような形をした白い仮面。それは顔の上半分を覆っていて、口角の上がった小さな赤い唇になぜか不安を覚える。

 その姿はよく見ると透けていて、足は地についていない。霊体なのだろう。死霊の類いだろうか。それにしては禍々しいオーラがでていないが。


「そちらが、毒を受けた治癒師の方ですか?」


 見た目の怪しさとは裏腹に、優しく澄んだ声だった。


「ええ、彼は治癒師のヴィリ。私はアロイスといいます」


 まずは彼女が、本当に陛下からの援軍であるかを確認しなくては。

 敵がヴィリにとどめを刺しにきた可能性が、ないとは言えないのだから。


「失礼ですが所属国とお名前、ここを訪れた目的をお伺いしても?」


 彼女は私の言葉に一つ頷くと、胸元から封筒を取りだし、こちらに差し出した。

 しかし受け取らずともわかった。

 見えた封蝋が、王家のものだ。

 そしてよく集中しなければわからなかったが、陛下の魔力もわずかに感じる。

 本物だ。

 であるならば、私がそれを検分することはできない。

 その封筒の中身は、彼女に宛てられたものなのだから。

 近衛ならまだしも、私が触れるべきではない。

 首を振って固辞すると、封筒は再び胸元へしまわれた。


「申し遅れました。私は夕星ゆうづつ。所属は神風の国ですが、今は友好国であるこの国で、微力ながら薬を配り歩いています。旅の薬師と思っていただければ、相違ないかと」


 想像以上に丁寧な返しがきたが、どことなくこちらをからかっているような感じで、居たたまれない。


「救援、感謝します、夕星ゆうづつ殿。──さっそくですが、ヴィリを診ていただけますか?」


 横にずれてヴィリの前をあけると、夕星殿は滑るように移動してきた。

 そしてうなされているヴィリをじっと見つめた夕星殿はしばし首をかしげると、何かに納得したように大きく頷き、こちらを振り返った。


「毒消しの魔法薬が効かないわけです。かかっているのが、毒ではありませんからね」


 そんな……しかし減り続ける体力は、毒を受けたときの効果と似ている。

 他になにが──


「これは呪いですよ」


 呪い。

 かけられた者は解呪するまであらゆる能力が半減し、体力と魔力が減り続けるという。

 強力だが扱いが難しく、使用者は少ない。

 

 盲点だった。

 なぜ思い至らなかったのか。

 知識があっても、使えなければ意味がないというのに。


 しかし困ったな。

 呪いは魔法薬で治すことはできなかったはず。

 解呪できる術師を探すしか……

 だが間に合うのか?

 衰弱しているヴィリには、もう時間がない。

 ヴィリは高齢だが、優秀な治癒師だ。

 ここで失うのは、かなりまずい。

 どうしたら……


「……それでは、エルフのお兄さん。これを、お爺さんに飲ませてあげてくださいね」


「え? ──ッ! これは……ま、まさか」


 客人の前でぼんやりしてしまうなんて……私も疲れているのだろうか。

 そう思いつつ夕星ゆうづつ殿から受け取ったものは、細い小瓶に入った魔法薬。

 しかし私の知っている魔法薬ではない。

 ──否。

 実物を見たのは初めてだが、噂には聞いていた。

 いわく、星のような魔法薬を作る天才薬師がいると。

 その魔法薬は見た目の美しさのみならず、効果も素晴らしいと評判だ。

 その者が現在、この国を拠点にしていることは知っていたが、まさか。


「ほ、星売りの魔女……」


 思わずそう、の者の通り名を口にすると、彼女は嬉しそうに笑った。


「よくお分かりで。そう名乗った覚えはないのだけれど、いつの間にかその名で呼ばれるようになっていたのですよね」


「もしや、この魔法薬で解呪ができるのですか!?」


「できませんよ」


 即答された。できないらしい。

 いや、早とちりして気落ちするのは失礼だ。


 手渡された小瓶の中で煌めく、無数の星たち。

 瓶を手にしただけでわかる。

 この魔法薬は、既存の方法で作成したのでは、まずあり得ないほどの魔力を秘めていた。

 これほどのものを提供していただける、それだけで充分ありがたい。

 ここへ夕星ゆうづつ殿を導いてくださった女王陛下にも、改めて感謝しなくては。


「魔法薬での解呪は研究中ですが、進捗はいまいちです。正直なところ、自分で解呪してしまったほうが早いのよね」


「そうなのですか……は、え? 解呪? 自分で……?」


 夕星殿は、ついっと透けた人差し指を思わせ振りに動かす。

 つられて示された方に目を向けると、そこにはヴィリが。

 先程まで荒い呼吸でうなされていた彼が、今は穏やかに眠っていた。


「呪いは解いておきました。あとはお渡しした体力回復の魔法薬を飲ませて、三日は安静にさせてください。体力は回復しても、精神的な疲労は治せないので」


 この日、北の辺境砦は数週間ぶりに活気を取り戻した。




「居心地はいかがですか、夕星ゆうづつ殿」


 あれから三日。

 ヴィリは今日から前線に復帰していた。

 おっとりしていて、たまにお茶目なところもあるヴィリは、仲間内でとても慕われている。

 ヴィリの解呪が間に合っていなければ、戦線維持は不可能だっただろう。

 仲間一人に戦況が左右されてしまうのは危険だが、ヴィリの人望はそれだけ厚かったのだ。

 

「悪くはないですよ。広いし、調合器具も良いものが揃っています。置いてあった素材はほとんどが劣化していますが、使えないほどではありません。漂う魔力もほどよく澄んでいて……まぁ聖域に近いので、悪霊の私は居るだけで体力を消費しますが、この程度なら許容できます」


 ……最後のは初耳ですが?

 夕星殿、ここで三日過ごしていますよね?

 その間、ずっと体力をすり減らしながら魔法薬を作成していたのですか。

 そもそも、


「……夕星殿は、悪霊だったのですか?」


 そのわりには特有の禍々しいオーラがでていませんが。


「ええ、悪霊だったのですよ。ちなみに、例のオーラは隠しています。ここぞという場面で出したほうが、説得力がありますから」


 あの禍々しいオーラで何を説得するというのか。


「他の部屋をご用意しましょうか?」


「いえいえ。ご迷惑でなければ、このままで。使い勝手がよいので、体力が減っていくことには目を瞑ります。私には手製の魔法薬がありますから、それで定期的に回復すれば支障はありません」


 体力が徐々に減っていくことよりも手軽さを選びますか。

 もう少し自らを顧みてもよい気はしますが、夕星殿の魔法薬を頼りにしている我々としては出来上がりが早いのは大変ありがたい。


「では、このまま世界樹の子株を拠点にしていただくということで、よろしいですか?」


「もちろんです。子株とはいえ世界樹に住めるなんて、滅多にない贅沢だもの──そういえば、そろそろ素材の在庫が心許ないので採取をお願いしますね、エルフのお兄さん」


「わかりました。手の空いている者で集めてきましょう……ちなみに、私の名前はアロイスです」


 どうやら夕星殿は、人の名前を覚えるのが苦手らしい。あるいは覚える気がないのかもしれない。


 まだ出会って三日だが、確信していることがある。

 それは、夕星殿が人を振り回す才能をお持ちであるということ。

 しかし不思議と、悪い気はしない。


 このあと夕星殿は一ヶ月ほど北の辺境砦に滞在し、いつの間にか増えていた彼女の信奉者と高品質な魔法薬を置いて、次の場所へと去っていった。

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