3)試し書きの火曜日〈3〉

 御幸に連れられ和都たちがやってきたのは、特別教科棟の西棟二階にある、教材室だった。

「あー、教材室か」

 特別教科棟・西棟は本校舎の西側通用口を出て、渡り廊下をまっすぐ進んだ先にある四階建の建物で、一〜二階は化学室や生物室などの理化学系教室、三〜四階には美術室や音楽室などの芸術科目の教室がある。

 出入り口を入ってすぐ右手側に階段があり、教材室は二階に上がってすぐ目の前の部屋だ。

 教材室のドアを開けて中に入ると、左右を天井まで埋める大きな棚にあり、たくさんのダンボール箱が積んである。普段の授業で使わない教材は基本的には各教科の準備室に置かれているが、それ以外に共通するペンやチョークといった教材の予備品などを収容する場所だ。

 他にも、持ち主不明の忘れ物など、保管場所に困るものもひとまずここにまとめられている。

「ここは基本的に鍵がかかってないので、西棟が開いてれば誰でも入れます」

 ダンボール箱やプラのケースがずらりと並ぶ棚のその奥。その部屋唯一の窓の脇にロッカーがあった。これが問題となるロッカーらしい。

「これが『エンジェル様』の現れるロッカー、ねぇ」

 どこからどう見ても、何の変哲もない、掃除用具などをいれるような、クリーム色のロッカーだ。

 手前に引いて扉を開けると、内側はグレーで、上部にはハンガー等をかける棒が渡してあり、持ち主不明のジャージが数着かかっている。下の方に視線を向けると、膝くらいの位置に天板が置いてあった。どうもここに例の質問を書いた紙と、返答を書いてもらうためのペンを置くらしい。

「ど、どうですか?」

 まじまじとロッカーを観察する仁科に、御幸がどこか鼻息荒く聞いてくる。

「どうって?」

「その、悪霊の気配がするぅとか!」

「うーん、全然。相模は?」

 仁科の隣で一緒にロッカーの中を確認していた和都も首を横に振った。

「おれも、よく分かんない」

「まじかぁ」

 御幸が残念そうにガックリと肩を落とす。

 あまりに分かりやすいがっかり加減に、和都はなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

「んー、でも正直、学校内ではあんまりお化けとかに遭遇しないんだよね」

「そうだよなぁ。見かけても、図書室の女の幽霊くらいだし……」

「図書室に幽霊いるのぉ?!」

 和都と仁科の言葉に、御幸が勢いよく顔を上げる。

「あ、うん……。郷土資料とかの棚の近くに、髪の長い女の人が立ってて」

「まじかぁ! この学校って七不思議系の話、まったく聞かないからさぁ。えー『エンジェル様』の件片付いたら調べたいな……」

 妙にテンションの上がった御幸が、そそくさと手帳を取り出してメモを始めた。

 今回の件が片付いたら、今度は図書室の幽霊についてあれこれ聞かれるのだろうか。和都がそんなことを考えていると、春日が何かに気付いたように言った。

「和都お前、図書室行く時に必ず俺を連れて行くの、もしかしてその幽霊がいるからか?」

「……だって、急に動いたら怖いじゃん」

「なるほど」

 春日がどこか合点のいった顔をして頷く。

 幽霊が視えるからと言って、怖いものが平気なわけではない。

「とりあえず、ものは試しでやってみるか!」

 メモを終えた御幸が、よし、と手を叩いた。

「紙に質問を書けばいいんだっけ?」

「そう。んで、聞き込みをした感じだと、紙は教材室に置いてあるコピー用紙と、ペンを使うのがいいんだって」

 そう言いながら、御幸は出入り口のすぐ近くにある棚へ足を向ける。そこには予備のコピー用紙や、たくさんのペン類を入れたプラスチックのカゴがあった。

「ここにあるものじゃないとダメなの?」

「うん、そのほうが返事をもらえる確率が上がるんだとさ」

「へー」

「なんか、教材室に置いてあるペンの中に『当たり』のペンがあるらしいんだ」

 御幸はそういうと、棚に置かれていたペン類の入ったカゴを取り出して、床に置く。カゴの側面には『忘れ物・ペン類』とラベルがされている。

「『当たり』のペン?」

「そう。そのペンで書くと、必ず返事を書いてもらえるんだって」

 和都はカゴの中に入った様々なペンをじっと見つめた。

 校内で見つかった忘れ物などは、職員室前の掲示板に一〜二週間ほど張り出される。それでも持ち主の見つからないものなどは、こうして教材室などに保管し、まだ使える場合は再利用されることが多い。

 なので、このカゴのなかのサインペンやボールペンも、基本的に誰かが使っていた忘れ物のはずだ。

 基本的に黒色のペンが多い中、和都は一本だけ気になるペンを取り上げる。

「このペン……」

「えっもしかして、そのペンが『当たり』?」

「なんか、これだけ変な色してる」

 そう言う和都の左目の、黒目の部分が金色に光り輝いていた。細い六つの瞳孔は、まるで花びらのように広がっている。

「相模お前、左目が……」

「えっ」

 御幸に言われ、驚く和都の顔を仁科が横から覗き込んだ。

 その瞳には見覚えがある。和都にかつて取り憑いていた、元狛犬・バクのものとそっくりだ。

 和都から離れる際に残ってしまった、バクの能力の一欠片。霊力を持たずに生まれた彼に、人ではないものを視る力と、あらゆるものを惹き寄せる不思議な力を与えている源だ。

「……どうやら、意識して視ようとすると、光っちゃうみたいだね」

「ええー、うそぉ……」

「すげぇ! カッケー!」

 嫌そうに眉を下げる和都と対照的に、御幸は羨ましそうに声を上げる。

 普段からなるべく目立ちたくないという彼は嫌だろうなぁ、と思いながら、仁科は和都の持っていたペンを横から取り上げた。

 ペンそのものに変わったところは何もない。購買にでも売っていそうな、どこにでもあるサインペンだ。

「……相模には妙な色に視えてる感じか。どんな色に視えてる?」

「ええと、黒のサインペンなのに、全体的に赤いモヤっとしたのが張り付いてる感じ……に視えてます」

「なるほど。俺には赤い糸みたいなのが、ぐるぐる巻きにされてるように視えてる。やっぱちょっと解像度が下がった感じだね」

「そうですね」

 狛犬騒動の際、和都は仁科や安曇神社から分けてもらった膨大な霊力を一度失っており、視える力はかなり弱くなっている。再び仁科から分けてもらってはいるものの、まだ視える状態に多少の差異はあるようだ。

「そんなわけで、多分これで書くと『エンジェル様』が出てきてくれると思うよ」

 仁科はそう言って『当たり』と思われるサインペンを御幸に渡す。

「おんなじように視えてるわけじゃないんですか?」

「うん。ちょっと色々あって、相模は今、俺よりちゃんと視えない状態でね」

「へー」

 御幸は仁科から受け取ったサインペンをマジマジと見つめた。どこからどう見ても、ただの黒いサインペンである。これ一つでそれぞれ違うものに見えているというのも、不思議な話だ。

「まぁそのうち、おんなじくらいには回復すると思うけどね」

「回復するんですか、これ」

 眉を下げたままこちらを見る和都の頭を、仁科はいつものように優しく撫でる。

「今は霊力チカラが足りてない状態だからね。前くらいに戻ったら回復するんじゃないかなーとは思ってるけど」

「そっかぁ」

「……なんかこう、あれだな。師匠と弟子、みたいだな?」

 和都と仁科の会話を横で聞いていた御幸が、どこか楽しげにそう言った。

「ええ……」

 御幸の様子に和都が困惑していると、ドアの近くで見守っていた春日が珍しく鼻で笑う。

「……仁科先生が師匠か」

「そこ、笑うんじゃないよっ」

「すみません、似合わなすぎて」

 ムッとして仁科が言うも、春日はまったく反省などしていないようだった。

「しっかし、なんて書いたもんかなぁ」

 ひとまず試してみようというものの、肝心の『エンジェル様』への質問が思いつかない。

「やっぱ『明日の運勢』とか?」

「それだとだいたい悪いこと起きるからなぁ」

「うーん……」

 下手な質問をすると、こちらでも回避の出来ない災厄に見舞われる可能性が高いので、書く内容は慎重に選ぶ必要がある。

「結果がわかりやすくて、こっちに危害が及ばない質問、か」

 四人でうーんと頭を悩ませていると、御幸が「あっ」と声を上げた。

「『明日の天気』なら、どうだ?」

「ああ、確かに。それなら分かりやすそうだな」

「天気予報だと『晴れ』になってるね」

 和都がスマホを取り出して確認すると、天気予報のアプリ上では今日も明日も雲マークすらない快晴となっている。

「よし、じゃあ『明日の天気』を聞いてみよう」

 そう言うと、御幸はコピー用紙を短冊状に切り、『明日の天気は?』とその真ん中に書いた。

「あ、一応他のペンで、相模たちも書いてみてくれよ」

「そうだな」

 和都と春日もコピー用紙の余った部分を短冊状に切り、それぞれ違うペンで同じように書く。

 そしてそれを奥に佇むロッカーの、天板の上に三枚並べ、使ったペンをそれぞれの紙の上に置いた。

「よし、とりあえずこれで。もう遅いし、明日どうなってるか、だな!」

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