【KAC20242】ナイケン・ハンコ・バトル

こむぎこ

ナイケン・ハンコ・バトル

 1LDK。学校までそう遠くもなく、築年数もそう古くもない。


 なによりも、家賃がとても安い。


「お金がとても心配だったので……この家賃で借りられると聞いて、ほっとしています」


 奨学金も借りていて、なかなかお金の問題が難しいと思っていたけれど、ここならばなんとかなりそうだった。

 

「さ、印鑑持ってるなら早く決めちまいな。こういうのは決断のはやさがモノをいうんだよ」


 テーブルに座って、大家のおばあさんが、言い放つ。


 契約書にざっと目を通す。署名はいらず、印鑑だけでいいそうだ。そのほかに不審な点も特にない。

 

 しいて言えば、少しだけ大家さんが豪気すぎるきらいはありそうだけれど、この力強さは、けして嫌いではない。


「はい、ここでよろしくお願いします」


 すっと差し出された朱肉をつけ、契約書に印鑑を押した。






 


 目の前に何かが横切ったかと思うと、こん、と音がする。

 

「ここはあたしのへや、かえって」


 静かな声が、響いた。遅れて、現実の認識が追いつく。


 


 そして、今や、そのナイフは、次はお前の首から先も落としてやろうか、と言わんばかりに僕に向けられていた。


 いっぱく遅れて、大家さんの声も響く。


「勝手に入ってくるんじゃないよ、このバカタレが!!」


「あたしが、かりるって、いった」


「いくら孫でもアンタに貸せるもんかい!!

 アンタがここを拠点にしたら何がおきるかわかったもんじゃない!!」


 そう言う大家さんに対して、にこりと笑って、彼女は言葉を放つ。


「でも、すき、みせた」


 そういうや否や、今僕が完成させようとしていた、その契約書に、彼女自身の印鑑を押そうとして、





 


 懐に隠し持っていたナイフで、彼女に対抗したのだった。

 そして、流れるように彼女の喉元を狙うが、それは彼女のナイフにはじかれる。


 キン、と何度か刃を交え、決定打にならないうちに契約書をもって、距離をとる。


「やるな」

 

 口から言葉がこぼれ出ていた。


「あなたも、できるひと。でも、もう、はんこない。それから、にげばも、ない」


 じりじりと、部屋の角へと追い込まれる。テーブルが邪魔で、逃げ場が制限されていく。


 お互いが、お互いの呼吸を読み始めた。隙を探して、契約書をうばおうとしているのがわかる。


 ならば、とナイフを、まっすぐに彼女に向かって投擲し、床に倒れこむ。


 彼女は驚いてよけるが、もう遅い。




 なぜなら、床には、先ほど切り落とされた、朱肉にまみれた、印鑑の先端部分が転がっているのだから。


 ぽん、と印鑑を押す音が、この勝負の行方を決めたのであった。






 そのあとのことはそう特筆すべきことでもなく、契約は円満に成立し、少女はこの部屋を一旦諦め。


 暗殺術専門学校からほどほどに遠く、暗殺者にとって絶好の位置にアパートを持った、一人のおばあさんの苦悩は、まだまだ続くのだった。

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【KAC20242】ナイケン・ハンコ・バトル こむぎこ @komugikomugira

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