10.彼方の落とし子
人生が、平穏に始まること。それがどれだけ幸運で、幸せなことなのか、思い知らされる。
目が覚めた時、僕は広い平原にいた。
ただ青い空と、緑が目に優しい。
少し背の高い芝は、僕の足をやわらかにくすぐってくる。風はそよそよと涼しく、空気は綺麗で美味しい。なんて楽園のような、天国のような場所なんだろう。
でも、どうして僕がこんなところにいるのか、わからなかった。
直前の僕は、お世辞にも元気だったとは言えなくて。小児科病棟で、他の患者の子たちと一緒にしりとりをして遊んでいた。活発に動けなくて、ベッドから降りられない子たちは、おしゃべりが大好きだ。幼い知識からなんとか色んな言葉を搾り出して、全ての感情を言葉に乗せて喋る。頭を使いながらずっと続けられるしりとりは、僕のいた病室ではよく遊ばれていた。
難しい病名はわからなかったし、どこも怪我してない、欠けてない僕のどこが悪いのかよくわからなかったけど、僕は身体がダメだったらしい。
大人たちはいつも笑顔で接してくれていたけど、離れた場所で悲しそうな顔でお医者さんと話していたのを見たことがある。何度も。
「中学生にはなれないでしょう」それが僕が明確な終わりを認識した、いつも優しいお医者さんの一言だった。
お母さんはよく泣いたし、お父さん早く謝った。
僕はそれを全部受け止めて、笑顔を返していた。
だから今日も、点滴の雫を眺めながら眠ることになると思っていたのに。
あ、僕は天国に来たのかしら。
数分考えて、出てきた答えはそれだった。だって僕は立ったことがないし、こんなにしゃんと背筋を伸ばしたことがない。病院の壁に描かれた、イラストの芝生しか知らない。
天国はこんな自由なところだったんだ!
嬉しくなった僕は初めてスキップしながら、草原を探検した。
自然の中を、機械も何もつけないで駆け回れるのはとても楽しい。夢みたいだ、もしかしたら夢かもしれないけど。
そして僕は、視界の先に誰かがいるのを見つけた。
綺麗な丸い帽子を被った人と、カッコいい鎧を着た人だ。ハロウィンみたいな格好をしているけど、僕は気にしなかった。毎日がハロウィンならきっと楽しい。
「こんにちは! おにーさん、おねーさっ゛!?」
体に走ったのは強い痛みだった。
何が起こったんだろう。転んでしまったのだろうか。
僕は地面に尻餅をついていて、何故か右肩が燃えるように熱くて痛かった。
発作とはまた違う、怪我をした時みたいな激痛に泣きながら、僕は彼らに助けを求めた。
「痛い! 助けて! なにが起こったの」
そう言い終わらないうちに、また痛みに襲われた。今度は顔だった。
原因はさっきと違ってすぐにわかった。目の前のお兄さんがその手に持った剣で切り裂いてきたのだ。その目は何故か歓びに満ちていた。
どうして僕が切られなきゃいけないの。酷いよ、助けてよ。
隣にいたお姉さんに助けてもらおうと視線を変えた。でも、そこにいたのはお兄さんと全く同じ目をしたお姉さんだった。
また頭に頭が走る。腕にも走る。
切られた鋭い衝撃が、燃える火のまとわりつくような熱が、僕に襲いかかる。
この人たちは僕を殺す気なんだって、死んでから気づいた。
「なんだ、銀河の角落とさなかったな」
*
目が覚めた。
悪い夢を見ていたようだった。なんていう悪夢だ。まるで現実のような痛みと、恐怖だった。怖かった、死んでなくてよかった。あれだけうるさかった心臓はなんともなかったみたいに正しい脈拍を刻んでいる。
僕がいたのは平原ではなく洞窟だった。
暗い、石に囲まれた狭い空間。どこからかピチョピチョと水音も聞こえる。点滴のことを思い出す。やはり僕にはなんのチューブも付いていなかった。
洞窟の中は暗かったけど、キラキラ光る苔や宝石が足場を照らしてくれていた。
自分の姿はよく見えないけど、ガタガタした石の地面はちゃんと見えて、僕はヒョイヒョイと段差を飛び越えて探検を始めた。
もうさっきの怖さは褪せていた。目の前の綺麗な景色にワクワクが止まらない。
また目の前に人が見えた。ちょっと警戒したけど、頭に動物の耳が生えた人じゃない人だった。今度は1人みたいだし、お話ししてくれるかな。
僕はなるべくフレンドリーに話しかけた。
「あーあ、ドロップしたらオークションに出そうと思ったのに」
*
次は森の中だった。
「あー! 激強武器作れるチャンスだったのに!!」
次は湖の近くだった。
「ドロ強の倍率もっと上げるか」
次は村が近かった。
「経験値は普通なんだよな、コイツ」
次は迷路だった。
「おっ【失われた
次は花畑だった。
「角角角角角」
いつしか僕は他人を信じなくなった。
*
今日も僕は生き返った。
きっとここが地獄なんだろうと確信していた。神様は僕が嫌いなんだろうか、それとも病室で静かにしていなかったのが悪くて、閻魔さまに怒られてしまったのだろうか。
お母さんとお父さんは迎えに来てくれないんだろうか。
何度目か忘れた草原を、彷徨いながら虚に考えていた。
「……随分と酷い顔をした幻棲生物ですね」
バッと後ろを振り返った。周りは警戒してた筈なのに、人の気配を感じたらすぐに逃げようと準備してたのに。気づかなかった。
僕はすっかり怯えた小魚になっていたのだ。
「エネミーモブというのは一律の行動をしてきた筈ですが……向かっても来ないし、バグですかね?」
すぐに逃げようと思ったのだが、なんだかこの人、様子がおかしい。
僕を見てるのに目が嬉しそうでもなんでもないし、興味が無さそう。
すぐに攻撃してきたり、仲間を呼んだりしない。なにか道具みたいなのも使わないし、写真を撮るみたいな動作もしない。ただ、ジッと突っ立っている。
ほとんど白色の薄い緑の髪の、眼鏡をかけた男の人。
病院の先生みたいに落ち着いてて、穏やかな雰囲気がする。
それと同時に、僕に対して特に執着してない、ただの見物みたいな態度。
この人なら話してくれるかもしれない。そう感じた。
ただの勘で、これも僕を油断させるための手口かもしれないけど、僕は最後のチャンスにすることにした。
この人に殺されたら、僕はもう本当に何も信じない。僕だって殺され続けるのは嫌だ。これからは反撃だって我慢しない。
ジッとこっちを見てくる男の人に、しっかり決意をして、僕は口を開いた。
「こんにちは!」
「はい、こんにちは」
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