装飾隠者の忌々しきは記憶の彼方
善光大正
第1話
不貞腐れた夕方十七時のバスの車内。時代錯誤なジュークボックスから歌謡曲らしき歌がうっすらと響いていた。そもそもバスの中にジュークボックスなんてものは無い。斜め前に目をやると、梅干しのようなしわしわの婆さんが座っていて、そこから音は発せられていた。ほかに乗客は誰もいない。静寂の中で響き渡る聴き慣れない歌謡曲、窓から見える影だけになった真っ黒な住宅街に不気味さを感じながら、次の住まいとなる候補地へ赴いていた。
もう降りる駅まで数分もない。窓から見えるオレンジと黒だけの景色の中で"それ"は我が物顔でそこに在った。シルエットだけでわかる。おそらくあれが今日見に行く予定の物件だ。
昔、立川に住んでいた頃、ほとんどが二階建ての住宅にリニューアルされているのに、一軒だけ平屋の住宅が近くにあった。そこには外壁にエキゾチックなお面がずらーっとぶら下がり、昼夜問わず明かりが灯ることを見たことがなかった。暗黙の了解なのか、否が応でも目立つその建物に誰も触れず、疑問と気味悪さが残る中、無視して生活しているうちにそれも慣れてしまった過去がある。――ただ、今日のはそれとは一線を画す。
目の前にはシルエットなどではなく全面黒塗りのサグラダファミリアがあった。
近くのタイムズに停められたセダンから、七三スキンフェードでガタイの良い男が出てきてはこちらへ近づいてきた。
「はじめまして、内見でご予約の渡邉さんでお間違いないですか?」
そう私に呼びかけた男は、近くで見てもシルエット通り真っ黒い影のようであった。
「はい、そうです。」
「本日はよろしくお願い致します。では早速ですが、内見始めてしまいましょうか? でも実物見て驚きましたでしょう。立地も相まって異世界から来た感じですよねえ?」
「そうですね。ちなみに、ここセコム入ってるんですか?」
「そうですね、今のオーナーの方が次の入居者の方が入居されるまで付けているだけなので、別に無理に加入しないといけないってことは無いですよ。そこは全然気にしないでください。」
建物に入るまでに敷地をしばらく歩かなくてはいけないという経験が、旅館か料亭ぐらいでしかない。これが自宅で起こるようになると考えると感慨深い。と言ってもまだ入居を決めたわけではないが――。
「この門の装飾、凄いでしょう? これ昔はこの装飾自体が鍵の役目があって、これが門のセキュリティになってたんですよ。」
そこには阿吽の両方のような憤怒の表情を浮かべた爺のような黄金の装飾が施されていた。玄関となる門なので嫌でも無視はできない。
「昔はってことは今は普通に鍵で開ける感じですかね?」
「いえ、今は開放状態となっています。オーナーの方より入居者の方が決まれば鍵の交換工事を無償で受けられる運びとなってまして、その場合はこの装飾は撤去となってしまいますね。」
「なるほど……。装飾を残すことはできないんですかね?」
「そうですね、装飾と言うよりシリンダーと同じ扱いになりますので、これごと鍵交換となりますね。」
「そうですか……(なぜ既に工事しておかなかったのか。……あ、だからセコム入ってるのか。)」
「……では、中入りますか?」
「……はい。」
*
門以上の衝撃はなかった。どこかの自治体が地方創生のために税金で建てた誰も来ないテーマパークのような、閑散とした雰囲気が室内に漂っていた。それだけに広さは十分感じられた。また、外から見たシルエットの尖っている部分がずっと気になっていたが、どうやら単なる飾りで、室内は普通の天井であった。さらに3階建てのように思えたが、天井が高いだけの2階建てだった。
「もう一度、玄関の門をじっくり見ても良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ。」
そこには鬼でも何でもない普通の爺の歪んだ顔の装飾が、そのままの表情であった。何を想って家主はこれを施したのだろうか……。
「ここ赤坂ですよね?」
「はい、私も赤坂支店より来ております。やっぱ時空歪んじゃいますよね笑?」
「……一体、どんな方がこれを建てられたんですか?」
「あ、それ聞いちゃいます笑?」
その時、常に笑顔が張り付いている男だったが、夕闇にその顔が浮かんだ時、悪魔が現れたように思えた。異様に白い歯、柔道をしていたのか、尖った耳。色黒。決してそれが例えなどではないことがわかるのは、その先の出来事である。
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