【KAC20242】その物件は売約済みですか?

尾岡れき@猫部

「その物件は売約済みですか?」


「アブラカダブラ! あなたの夢の宮殿、探すお手伝い、お任せください! 【TAJI-MAジーマHOUSEハウス】の藍沢あいざわですっ!」


 うわぁぁぁっ、恥ずかしい。電話に出ながら、悶絶してしまう。もともとは田島不動産という、どの街にもよくある地域密着型不動産ショップだった。僕のアオハル時代からのお付き合いである。大学時代は、ココから一人暮らし用のアパートを借りたのだ。それも良い想い出でだった。


(結局、何もない青春だったけどね!)


 愚痴ってもしかたない。

 そう、話は田島不動産のことである。二代目が承継してから、大きくイメージチェンジすることになる。


 社名も【TAJI-MAジーマHOUSEハウス】に改名。


 現社長は顔が濃いので、外人さんと間違われやすいが、れっきとした日本人。よく中東の人と間違われることから、思いついたらしい。


 アラブの人と見紛う衣服ガラベイヤ帽子タギーヤを身につけているので、来店したお客様は一瞬、店を間違ったのかと、目をパチクリさせるのが常で。


 ちなみに僕らはスーツでのご対応。そこは安心していただけたら。

 それは、さておき。この電話がすべての始まりだった。 



「あの……すいません……」


 その声を聞いた瞬間、僕は心臓が止まるかと思った。もう10年以上も前に引っ越しをしていったあの子に、そっくりだと思ってしまって。


 フリーズしてしまったんだ。


 自己主張の少ない子だった。

 教室の隅で、ずっと本を読んでいて。


 でも、あの子が笑うと本当に可愛くて。

 口ずさむボカロが、実は誰よりも上手で。誰も気づいていないと、さりげなく口ずさむ名曲に、つい耳を傾けて。気づけば、君のことが好きになっていた。


 でも現実は残酷で。物語なら伏線があるけれど。何の伏線もなく、夏休みが明けてたら、君はもう転校した後だった。


「……あ、あの……。直接――」

「物件ですか? 内見をご希望ということでよろしかったでしょうか?」


 合点がいく。ホームページに掲載していた物件を思い浮かべながら、確認のため端末を操作する。どれもファミリー向けだ。まぁ、そりゃそうか。お互い、良い年だな。いつまでも初恋に囚われているのは、僕ばかり。


「お客様のお名前をお聞きして、よろしいですか?」

「あ……」


 息を飲む。どことなく、しょんぼりとしたように感じた、でも僕が想像する彼女なら、人見知り。言葉を紡ぐのに、時間がかかる。


「あ、あの……。黃櫻きざくらで、す――」


 黃櫻八重きざくらやえ。偶然の一致か、神様の気まぐれか。僕が未だに、忘れられないでいた初恋の子――その人の名前だった。





■■■





 まぎれもなく本人だった。

 苦々しい感情が、こみ上げてくる。


 彼女だけならまだしも、彼氏も一緒。二人が寄り添う姿を見る度に、割れたガラス片で手を傷つけるような。そんな痛覚が僕を苛ます。


「……これが最後の物件です」


 い、胃が痛い。

 妙な空気感なのだ。物件をご所望の割には、黃櫻さんはまるで興味がなさそうで。なぜか、時々、僕ばかりをチラチラ見る。


 それにフィアンセとの距離感も、妙だった。普通のカップルだったら、新居を前にはしゃぐのが常。それなのに、この二人は妙に冷め切っていた。


「チッ。とっととキメてしまえって」


 彼は苛立っていた。そんな言い方をしなくてもと、つい思ってしまう。


「……そんな、簡単には無理だよ……」


 しゅんと、俯く黃櫻さん。

 僕はチラッと彼女を見る。


 キレイになったなって思う。当時は【地味コ】とバカにされていた黃櫻さんだった。でも、彼女の醸し出す大人の空気に、憧れを感じていた僕だった。


 妙に騒がない。

 はやし立てない。

 人を小馬鹿にしない。


 でも、ふと笑んだ表情が――綻ばせたその唇の端が。本当に、花が咲いたようで。いつか、僕が笑わせたい、そう思っていたのに。でも結局、それは叶わなくて。


「じれったい!」

「そんな風に言わないでよ」


「ダメなら、もう縁がないってコトだろ?」

「そ……そんなことないもん……」


 俯く彼女を見ていられない。

 思わず、首を振る。


 顧客の家族関係に、首を突っ込むのは間違っている。でも、正直見ていられないと思ってしまう。彼女は、笑ったら本当に愛らしく、微笑んでくれる。でも、今の黃櫻さんは、まるで真逆で。何かに耐えるようにただ、唇を噛む。


(僕なら――)


 そんな顔をさせない。

 もっと彼女を笑わせてあげるのに。


 つい、そんなことを思ってしまう。


 でも……僕の初恋はもう終わった。

 気付いたら、もう遅かった。

 そして、今日まで惰性で生きてきた。僕は本当にバカだ、って思ってしまう。思考を切り替える。何を言ってももう遅い。すでに終わってしまったことなんだ。


「お客様、本日の結論でなくても大丈夫です。また弊社にご連絡をいただけましたら、いつでも対応を――」

「あの!」


 あのいつも落ち着いていた彼女が、思い詰めたように僕を見る。その目が、感情で揺れているのが、見えて――戸惑ってしまう。


「売約済みですか?」

……それは、ポンコツすぎだろ――」


 彼が頭を抱えていた。


「へ……?」


 思考が追いつかないが、なんとか答えることはできた。


「い、いえ……。どの物件もお問い合わせをいただいていますが、まだ成約には――」

「そうじゃなくて!」


 前のめりに声を荒げる彼女に、目が点になる。


「藍沢君は、売約済みですか!」


 ふるふる瞳を感情で揺らして。見るからに、涙目で。

 黃櫻さんは、あらん限りの声で、そう叫んでいた。







■■■






 内見のモデルルームで、僕は紅茶を淹れる。フィアンセと思いこんでいた弟君は

『後は若い二人に任せますね』

 そう微笑んで、退席していった。



 ――すいさん、憶えてませんか? 公園で姉貴と一緒に遊んでもらいましたよね? 俺、旋風つむじです。黃櫻旋風。お久しぶりです。


 彼がニッと笑む顔を、もう一度思い出しながら。

 無理ゲーにも程がある。憶えているワケがないじゃないか。だって僕らが中学2年生の時、彼は小学校3年生だったのだから。


「あ、あの……。こっちに戻ってきていたの?」


 沈黙を破るように、僕は声を絞り出した。


「うん。藍沢君に会えるかなって思って。でも、誰とも連絡がつかなくて――」

「え? でも黃櫻さん、うちの会社に直接、電話を……?」

「うん」


 コクンと黃櫻さんが頷く。


「テレビの情報番組に、藍沢君が出演しているのを見て――」


 黃櫻さんの言葉に、僕は血の気が引く。

 ローカル情報番組に、社長とともに出演したのだ。


 アラブの正装を身に纏って『アブラカダブラ! あなたの夢の宮殿、探すお手伝いお任せください! 【TAJI-MAジーマHOUSEハウス】です!』


 そうハモった後、3分の枠で住宅についてのQ&Aに答える。それがお仕事だった。


(……ウソでしょ? あれを見らてれていたの?)


 うちの親も毎回録画しているが、あれは僕にとって黒歴史――現在進行形で、毎週積み上げられているワケだけれど。


(え……? え? これって……? え?)


 思考が追いつかない。


「やっと見つけたんだもん。意気地なしな自分がずっとキライだったけれど……今度こそちゃんと言うから」


 黃櫻さんが、拳を固める。

 それって――。


 思考を巡らす。

 黃櫻さんは、最初に電話でなんて言っていた?



 ――直接……。

 これは、直接、会いたいってこと? イヤイヤ、それは流石に自惚れすぎでしょ?


 ――チッ。とっととキメてしまえよ。

 あの時の苛立つ、旋風つむじ君の声。キメるって、そういうことじゃないよね?


 ――じれったい!

 これって……やっぱり、そういうこと?






■■■







「彗君ッ!」


 名前で呼ばれた。

 初めて、呼ばれた。


「……あ、あの。八重さん?」


 初めて、名前で呼んだ。

 ドキドキする。


 胸が痛い。

 鼓動が止まらない。


 でも、八重さんが転校していなくなったあの日に比べたら、全然、たいしたことないって思ってしまう。



 カーテンが揺れる。


 春が近いとはいえ。

 陽が落ちるのは、まだまだ早い。


 黄昏時、影法師。

 影がのびて。


 冷めた紅茶が、僕らを写す。



 重なった影。

 どこか遠くで、スマートフォンの電子音を耳にしながら。


 何回目だろう?

 何度目だろう?




 





「売約済みだからね?」


 八重さん、そんな笑い方もするんだね。

 つい頬が緩んで。




 カーテンが風で揺れて。

 そんな僕らを包み隠した。

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