幽霊よりも怖いものは……
真狩海斗
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大通りに面したマンション。その5階の窓からは、市街がよく見渡せた。
見下ろして俺は頷く。予定通り。
間もなく始まるパレードも綺麗に拝めるだろう。
双眼鏡と"アレ"が必要だった。寝室まで取りに戻ったところで、何かが落ちていることに気づく。
落ちていたのは、髪の毛だった。ただし、確実に自分以外の誰かの髪。はあ、と何度目かの溜め息が出る。
なんだ。また幽霊の仕業か。
👻👓
不動産屋から奇妙な電話がかかってきたのは、1ヶ月ほど前のことだった。
「すみません。今、お時間大丈夫でしょうか?
以前、家賃が安くなる件について、お話させていただいたの覚えておられますか?」
「あー」記憶を辿ってみると、思い当たるものがあった。たしか家賃が5分の1になるとか。にわかには信じがたい話だった。
「その関係で。今からご自宅に『内見』に行かせて頂こうと思いまして。もう部屋の前にきてます」
信じがたい話は続くものだ。
ご自宅に『内見』?何を言っているんだ?
「あの、何か間違ってませんか?俺、今ここに住んでますけど」
キッパリと否定された。
「いやいや、『内見』です。今から。幽霊と一緒に」
👻👓
「いやー、すみません。突然きたのに。
電話から数分も経たないうちに、目の前では不動産屋がペコペコと頭を下げていた。髪は七三にキッチリと固められ、微動だにしていなかった。会釈が落ち着き、ようやく顔を見ることができた。
口角がギュインと無理やり上げられたような、張り付いた笑顔。
その瞬間、やけに嫌な予感がしたのを覚えている。幽霊のせいだろうか。死が近くにあるような感覚。背筋が寒くなった。
「入れないと警察呼ぶなんて言われたら、入れるしかないでしょう。それより幽霊って」
警察なんかに押し入られては大迷惑だ。そのために、幽霊の内見なんて得体の知れない事態を招く羽目になってしまった。
「そんなに心配する必要はありませんよ。全然大人しいですから。幽霊なんて、警察に比べたら全然怖くないですよ」
何が可笑しいのだろうか。不動産屋は笑い続けていた。ケタケタケタ。
👻👓
随分と長く笑っていたものだ。ようやく落ち着き、書面を示された。契約書。俺は色のついた部分を読み上げた。
「『告知事項追加の場合について』?」
「はい。訳アリ物件て安いじゃないですか。要はそれですよね。で、今回はこれから幽霊が住むことになるんでってことです」
「はあ」元々、幽霊が住んでいる事故物件ならわかるが、これから住みますなんて馬鹿げた話聞いたことがなかった。
「言いたいことはわかります。本来は、空いている部屋や元々住んでいた部屋にいてもらうのが筋なんですよ」
「本来も何も───」そこまで反論したところで遮られた。
「これまでの死者みんなあの世に行ってるわけで、もう向こうも満員なんですよね。
現世に追い返される幽霊も増えてきて、そうなると必然的に住宅も足りなくなるわけです。
そこで閃きました。幽霊とシェアハウスして貰えばいいじゃないか、と」
そうでしょう、とでも言いたげな得意顔だった。何がだ。
「ちょっと言ってる意味が、よく分からないんですが」
そうこぼしたが、不動産屋の説明は止まらなかった。
「あと、最近では、幽霊たちの中でも『ずっと同じ場所に住まなければならないのは人権侵害だ』なんて意見もあって。引越しブームなんだそうです。元々が人間なのだと考えると、納得ではありますよね。
安心してください。これ、国の事業でもあるので。補助金とか色々出てるんですよね」
「うーん」何も頭に入ってこなかった。
「おとなしいもんですよ。ほら、今だって。天井を歩いてる」
指さされた方を向くが、そこには何もいなかった。俺が見えないのが可笑しいのだろうか。不動産屋はニタニタと笑っていた。
ニタニタ笑いを止めると、不動産屋が俺の目を見て、穏やかに告げた。
「幽霊と暮らすのも案外悪くないものだと思いますよ。
それに、いずれは自分や自分の家族も死んで幽霊になるのですから。
そんなに邪険にしては可哀想ですよ。助け合いってやつです」
気づけば、契約書にサインをしていた。
👻🔫
そして、現在に至る。落ちていた髪は、金髪の長髪だった。白人女性の幽霊が住みにくるものなんだな。メリーさんだったりして。そんなことを思い、すっかり寂しくなった頭を触る。
幽霊とは1ヶ月ほど暮らしたが、本当におとなしいものだった。
たしかに不自然な出来事はあった。髪以外にも、時折物音がしたり、物の置き場が変わっていたり、たまに視線を感じたり。だが、その程度でしかなかった。
元々が人間だと考えれば、それが普通なのかも知れない。悪意を持って人を傷つけようとするような人間は少ない。そんな人間に比べたら、幽霊の方がよほど安全だろう。
むしろ、誰かがいるということは安心をもたらしていた。ずっと孤独に生きてきた俺にとって不思議な感覚でもあった。
それに、幽霊が実在すると分かったことは一種の救いでもある。もしかしたら、両親に会えるかも知れない。そう思うことができた。
時折、虚空に話しかけたり、ご飯を置いておいたりすることもあった。返事はなかったが、どこか満たされるものがあった。
👻🔫
「この部屋とも、今日でお別れだな」
ひとり呟き、寝室に向かう。
寝室のベッドの下。その床板を外し、"アレ"を取り出す。
細く長い先端が特徴的で、その全体が怪しく黒光りしている。レミントンM700。狙撃銃だ。
窓から身を乗り出し、狙撃銃を構える。双眼鏡を覗くと、パレードが順調に進んでいるのが見えた。同盟国の大統領の外遊パレード。
今から俺は世界最大の権力者を殺す。
悪意を持って人を傷つける人間に比べたら、幽霊の方がよほど安全だろう。例えば、俺のような。
引き金に添えた指に力がこもった。
👻🔫
別に大統領に何か恨みがあったわけでもない。政治的・思想的な信条があるわけでもなかった。
自分の力で、世界に混乱を引き起こしてみたかった。それだけだった。
世界中のメディアで報じられる自分の姿を思い浮かべる。
あの男は誰だ?何者だ?
俺に関する憶測は次第に加熱し、やがては実像を超えた巨大な虚像が創り上げられる。壊れゆく世界の始まりの大罪人として歴史に名を残す。それを俺は幽霊となって観測し続ける。
家族も友人もいなければ、趣味もない自分にとって、いつしか、それが生き甲斐となっていた。
この部屋を選んだのも、大統領暗殺が理由だった。来日パレードの報道以来、『内見』を重ね、最も狙撃に適した部屋を選んだ。
暗殺を計画してからは、大統領のニュースを見るのが可笑しくて仕方がなかった。俺に命を握られているとも知らずに、アホヅラで綺麗事を熱弁している。間抜けとしか言いようがない。俺が成り上がる贄としての役割を十二分に果たしてくれそうだった。
双眼鏡の中では、大統領が白い歯を見せていた。大統領も死ねば幽霊になるのだろうか。想像すると笑ってしまった。もし俺のところにきたら。良いお菓子でも出してやろう。
👻🔫
そろそろ頃合いか。双眼鏡を下ろし、狙撃銃を構え直す。窓台のそばに設置したテーブルに乗り込み、うつ伏せとなる。そして、両肘を立て、狙撃銃を固定した。
タイミングを測る。パレードの進度を予測し、カウントダウンを始める。10……9……。
👻🔫
突如、玄関の方から、爆発音が聞こえた。
一体何が起きた?続けて、ドタドタと荒っぽい足音が響く。何かが迫っていた。
幽霊か?なぜ?だが、振り返る暇はない。
俺は、歴史に名を残さなければならないのだ。スコープの中では、大統領が群衆へ手を振っていた。顔が徐々にこちらに向く。すべてがスローモーションに感じる。大統領と目が合った、気がした。
今だ。撃て。
慌てて、引き金を引く。
👻🔫
一瞬の静寂。大統領が眩しそうに目を細める。右手をゆらりゆらりと左右に振った。その動きに呼応するかように、群衆が腕を高く上げる。口を大きく開けて歓声を飛ばす。興奮で涙を流す者もいた。
涙は、重力に従って、落ちる。その透明の雫は、陽光でキラキラと反射し、栄光のパレードの様子を映し出す。そして地面に触れ、パンと割れた。
時間が、元の速度に戻ってゆく。
👻🔫
銃弾は発射されなかった。そして、右腕が酷く熱くなっている。激しく灼けていた。狙撃銃の銃身が破裂している。どうやら暴発したらしい。どうして?激痛と混乱で頭が回らない。
直後、脚を猛然と掴まれ、床へと強引に引き摺り下ろされる。
破管した狙撃銃が、ゆっくりと、窓から落ちていった。
👻☠️
外国人なのだろう。屈強な男に、腕を
俺の困惑を察したのだろう。金髪美女の向こうから、答えが返ってきた。
「彼らは、大統領の護衛です」
人を小馬鹿にした調子の声。しかし、その声には、聞き覚えがあった。
👻☠️
不動産屋だった。不動産屋はニヤケ面を保ったまま、こちらに近づいてくる。俺の目と鼻の先でしゃがむと、ポケットから何かを取り出した。
「こういうものです」
不動産屋が取り出したのは、警察手帳だった。
「ね。幽霊なんかより警察の方が怖かったでしょう」
👻☠️
「暗殺可能な部屋はいくつかありましてね。そのすべての住人のもとに『内見』に行かせていただいたのですが。
貴方が一番愚鈍でした。おかげで、随分と遊ばせてもらいましたよ」
監視され、命を握られているとも知らずに、暗殺計画を練る哀れな無能の姿は、さぞ滑稽に映ったろう。それも幽霊シェアハウスなんてホラを信じる大間抜けときた。舐めプを楽しんだに違いない。
不動産屋は大口を開けて笑っていた。護衛の2人も笑っている。
不動産屋、屈強な男、金髪美女の笑い声が、狭い部屋に不快に反響する。
ケタケタケタ。
ケタケタケタ。
ケタケタケタ。
👻☠️
「全部、嘘だったのか」
無力感に打ちひしがれた俺が、ようやく絞り出せた言葉だった。
幽霊なんていなかった。俺の部屋に警察が入り込んだり、護衛が細工をしたりしても、俺が違和感を持たないようにするための、でっち上げの嘘。
じゃあ、父さんと母さんには。
「全部が嘘かは分かりませんよ。
幽霊がいるかどうかは私自身知らないので。
ご自身で確かめていただければ、すぐに分かるんじゃないでしょうか」
不動産屋が冷たく返す。その目には暗い光が宿っていた。
「俺は、歴史に名を───」そこまで言ったところで口を塞がれた。黒い袋が、俺の頭に被せられる。
「あなたの名前なんて、誰も知りませんよ」
視界は完全な闇となった。
闇の中、俺の頭には、あの耳障りな笑い声だけが響き続けていた。
幽霊よりも怖いものは…… 真狩海斗 @nejimaga
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