エンデ新聞社

 表通りに面した新事務所。

 黒革のチェアに深く腰を落とし、それなりの質のワインを傾けながら差し出された記事を精査する。


 どれどれ。


 徹底格付け! この串焼き屋が旨い!

 ウソかホントか。屋台で売られていた『聖女』の祝福水

 呪装で財を築いたブレンダ氏へのインタビュー


 ふぅむ。俺はワインをくると回しながら率直な見解を述べた。


「うーん……なんつーか、ぱっとしねぇなぁ。パンチ力が弱いというか、インパクトに欠けるっつーかね」


 市井の注目をガッとさらうような目玉記事が欲しいところだよな。『おおっ!?』となるような見出しがないと興味関心は薄れていっちまう。もしかしたら『もう買わなくていいかも』と見限られてしまう可能性もある。俺たちは常に購買者の期待を上回り続けなければならないのだ。


 俺の意見を聞いたアンジュがガキのようにぶー垂れる。


「えー? 串焼き屋の格付けは結構気合を入れたんですよ? お金は自分たちで払ってあちこち食べ比べしたから自信だってありますし」


「食い物の記事はド定番ではあるが、目玉になるかって言われるとどうもな〜」


「でもわたしたちが紹介したお店は結構人気出てるみたいですよ? 記事がウケてる証拠じゃないですか」


「王道も過ぎればマンネリになるってわけよ。今は良くても明日にはどうなってるかわからんぞ。愛想尽かされてから焦ったように手を変え品を変え、ってやったって時すでに遅しってな。そこら辺の塩梅ってのはまだ分からんかね〜」


 俺はやれやれと頭を振った。口を尖らせたアンジュが不貞腐れたように言う。


「じゃあどんな内容を載せればいいんですかー」


「スキャンダル。不祥事ってやつだな。公正だと思われていたあの組織が実は……!? ってな見出しで釣れば売上は今の倍はイケるね」


 人が興味関心を惹かれるのは何と言っても後ろ暗い部分だ。酒場にたむろしてる野郎どもの会話を聞いてりゃ嫌でもわかる。

 どこぞの誰かが幸せになった、なんて話で盛り上がってるやつなんて居やしねぇ。盛り上がるのは下世話や醜聞と相場が決まっている。この街の馬鹿どもは処刑を娯楽として愉しんでやがるからな。こちらもそのレベルまで知性を落としてやる必要がある。ニーズってやつね。


「対象は、そうだな……やっぱ冒険者ギルドだろうな」


 エンデの要。国の心臓。それが冒険者ギルドである。

 高潔な豪傑が所属している組織が、裏では冷血な蛮族のような所業をしていた……そんな記事をドンと一筆したためれば話題を掻っ攫うことができるだろう。


 綺麗事だけじゃ組織ってのは回らねぇからな。現場の判断で秘密裏に法を破るのはごくありふれたことである。

 敏腕、ってのは法を遵守することでも、させることでもない。破った上で最大限の効率を叩き出し、かつそれを咎められないような環境を整えることだ。


 ハッパや毒の流通はその典型と言っていい。ハッパは無闇矢鱈に規制するよりも計画的に流通させた方が治安の悪化を防げる。毒は魔物を相手取るにあたって強力な手札になるし、使いようによっては傷や精神を癒やす薬にもなる。

 それらを法に則ってガチガチに規制したら効率はガタ落ちも良いところだ。ルーブスの野郎はそういう部分でのバランス感覚に優れている。故にギルドマスターの椅子に長いこと腰を据えていられるのだろう。


 だがしかし、完全にミスをしないなんてことは有り得ない。絶対になんかしらのポカをやらかしているはずだ。ただ、隠蔽や事後処理に抜かりがないので醜聞が広まらないというだけで。


 だったらそれを暴いてやろうじゃないか。これは隠蔽体質を是とする冒険者ギルドにメスを入れる正義の行いである。不祥事が発覚したルーブス殿は各所から非難を浴びるかもしれないが、それも組織の頭を張る者の役目の一つ。ここらでちょいとあの野郎にお勉強してもらうってのも悪くない案なんじゃないかね?


 そう提案したところ、アンジュが眉をへにゃっと曲げた。


「フォル……ナンディさん、その……またですか?」


 なんだよって。


「この前処刑されたスライの餌に毒を仕込んだ犯罪者って、あれ……ナンディさんですよね? また……ですか?」


「アンジュよ。なぁアンジュよ。あれは違うんだって。スライとかいう畜生が思いの外クソだったから少し後れを取っただけだ」


「ほどほどでやめておけばいいのに……」


「アンジュ。リスクを恐れて保身に走った時点でそこら辺に居るその他大勢の仲間入りだぞ。成功者ってのはな、ここぞという場面での博打に勝ってきた者たちを指す言葉なんだよ。俺はここを勝負の際と見定めた。俺を信じろ」


「…………そうですか。じゃあもうわたしは何も言わないです」


 アンジュの了承を得たところで明日の記事を改稿するべく作業室へ赴く。長机をドンと配置した部屋ではガキどもが黙々と、しかし慌ただしく作業に従事していた。金の暖かさを覚えちまったガキどもは既にお仕事の虜である。よきかな。


「おいお前らー。調査班から冒険者ギルドについて何か不祥事の報告が上がってたりしないか? 知られればちょっとした火種になるくらいのやつな。目をつけられる厄ネタの一歩手前くらいのやつがあれば完璧だ」


 俺の言葉を聞いたガキどもが作業の手を止め、一斉に俺の顔を見て、そして眉をへにゃっと曲げた。


「オッサン……またなのか?」


「そのってやつやめろ。いいから答えろって。ルーブス殿がドジ踏んだって話は上がってないか?」


「今んとこねーな。それよりオッサン、【転写イミテート】の上達法を教えてくれよ。新聞を作る数が多くなってきてさすがにキツいっつーかさ……」


 作業量が増える一方のため辛くなったのか、ツナが泣き言を漏らす。仕方ねぇなあ。

 長机に近付き、五指を開いて転写対象の紙に添える。


「コツは、そうだな。程よく泥濘ぬかるんだ地面に足跡を刻みつけるような感じだ」


転写イミテート】。滲み出した魔力が紙の表面を撫ぜる。紙に溶け込んだインクの情報を保存していく。文字の羅列と緩い雰囲気の絵が仄かな光を放つ。すっと手を持ち上げれば紙に書かれてる文字の形をした光が追従した。コピー完了。


「踏み付けるんじゃなく、刻みつける、だ。分かるか? 無駄に泥を散らすな。優しく添えてから、押し込め」


 俺は積み上がった紙の束に手のひらを添え、そしてグッと押し付けた。光が紙の束へと吸い込まれていく。ほい、いっちょ上がり。


「すげぇ……紙束全部に転写されてる……!」

「これ、少しの滲みもないよ」

「頭おかしいけど魔法の腕は本物なんだよなぁ」


 ちょいと補助魔法を披露してやるだけでこのはしゃぎようである。まだまだガキンチョだな。だからこそ扱いやすい。


 お前らは俺に金を貢ぎ続ける財布になるんだ。そのうち俺のアドバイスがなくても新聞社は回るようになるだろう。そうすりゃ労せず金が湧いてくる仕組みの出来上がりって寸法よ。やはりビジネスってのはこうでなくっちゃな。


「戻ったよー!」

「ネタを仕入れてきたぞー」


 そうこうしていると調査班のガキが無事に帰還したようだ。いいタイミングである。なにやら良質なネタでも仕入れたのか、アホみたいな笑顔を浮かべているガキにずいと詰め寄る。


「よぉお前ら。帰ってきて早々で悪いんだが、次のネタは冒険者ギルドの不祥事を暴こうと思ってる。足と耳を使えるやつらで組んで張り込み調査を頼むわ」


 俺がそう言うと調査班のガキどもは眉をへにゃっと曲げた。


「またなんですか?」


「それはもういいっつの。いいか? あくまで冒険者ギルドの評判に傷がつく程度でいいんだ。ルーブスの野郎の胃にダメージを与えられるようなネタがベストだな。『遍在』のネタでもいいぞ」


 この新聞社は表向きガキが経営していることになっている。ナンディは窓口兼防波堤だ。

 ガキどもが小金を稼いでいると知ったら良からぬことを考えるクソが湧く。そいつらを牽制するのが俺の役目ということになっているのだ。


 つまりガキどもが多少やんちゃな記事を書いたところで俺はシラを切れる。ガキどもが勝手にやりました、という言い訳が成り立つってわけだ。


 ガキの保護を声高に主張する冒険者ギルドはそれ以上の手出しができない。くくっ……我ながらベストポジョンに収まったな。転写魔法は剣よりも強し。ご自慢のグレーの髪を白髪しらがに染め上げてやるぜ、ルーブスさんよ。


「ルーブスって……確かギルドマスターの名前ですよね? ぼくこの前ちょっとした噂を聞きましたよ」


「でかしたっ! そりゃどんな情報だ? いつ誰がどこで話してたのかもセットで教えろッ!」


 ちょうど欲しい情報を持ち帰ってきたのは【聴覚透徹ヒアクリア】を使えるガキだ。お手柄である。内容次第によっちゃうまい串焼きを奢ってやってもいい。俺は懐が広い男。成果には報酬を返すのである。


「えっと、あれは二日前だったかな……スラム手前あたりの路地裏で、強そうな冒険者の人たちが言ってたんだ。『ギルドマスターの竜殺しを盗んだやつは見つかったか』って。なんか危険そうな話題だったから報告しなかったんだけど……」


「……はぁ。いやそれ、危険でもなんでもねぇよ。竜殺しってのは……酒のことだ」


 屠龍酒ドラグ・スレイ。別名、竜殺し。

 その酒精の強さは竜すら酔わせるという商売文句からつけられた名前だ。希少な素材を使っているため値段は張るが、飲んだら後悔するとまで言われるほどにキツいらしいので買おうとも思わなかった一品である。

 あの野郎はそんな酒を嗜んでやがったのか。飲むとぶっ倒れるように寝れるっていう噂だし、もしかしたらストレスに耐えかねて手を出したのかね。


「お酒、でしたか」


「あぁ。あとお前、危険そうだったから報告しなかったって考えはやめろ。危険だと思ったなら即共有するんだよ。記事にする、しないは別としてな。本当にやばそうだと思ったらまず俺を通せ。いいな?」


「っ、はい」


 不注意なガキに釘を刺し終えたところで頭を捻る。

 ギルドマスター秘蔵の酒が盗まれた。字面だけ見ればアホらしい事件だが……本当にそれで終わる事件なのか?


 やつはギルドで寝泊まりしていると聞く。つまり秘蔵の酒もギルドに保管してあるはず。冒険者ギルドに盗みに入れる猛者なんているのか……? 魔物の巣に裸一貫で飛び込むようなもんだぞ。愉快な自殺をしにいくようなもんだ。『遍在』ですら厳しいと思うがな。それこそギルドがもぬけの殻にでもなっていないと――


「……あぁ、竜騒動の時か!」


 練達が揃って出払っていたあの瞬間にコソ泥の被害に遭ったってわけか。なるほどね。くくっ、こりゃあいい気味だ……。


「うわぁ悪い顔してる」


「まさか、これ記事にするつもりですか……?」


「いや、しない」


 こんな愉快な事件を周囲に知らせるなんて勿体ない。周囲が知らないからこそ出来ることもある。待ってろよルーブス殿よ。俺は短剣で首を掻き斬った。


「それ俺たちの前でやるんじゃねェよ! 自室でやれ!」


 ▷


 王都の高級酒屋で高い金を払って屠龍酒ドラグ・スレイを二本仕入れた俺はギルドに併設された酒場でつまみを嗜みながら機を伺っていた。早く顔を出さねぇかなぁ、ギルドマスターさんよ。


「あんた……この前のアレはどういうことなの? ねぇ。私のことを馬鹿にしてそんなに楽しかったのかしら? ん?」


 隣にはなにやら苛立った様子の黒ローブが座っている。この前のスピカ騒動の折、討伐に行くという約束をすっぽかしたのがお気に召さないらしく、杖の先端で俺の頭をコツコツと叩く嫌がらせを仕掛けてきていた。やめろや。少しは俺みたいにおおらかな心を持てよ。


「わーったからそれやめろ。あの時は知人との約束があるって言ってただろ? 俺はそれをすっぽかすのはよくないと思って帰っただけだっての」


「ならそれを一言いいなさいよ!」


 黒ローブを適当にあしらいながらその時を待つ。そして機が訪れた。部屋の奥の扉が開き、ルーブスが姿を覗かせる。ここだな。俺は床に置いていた背嚢から屠龍酒ドラグ・スレイの瓶を取り出した。


「わーったわーった! じゃあ酒でも奢ってやるよ! これ知ってるか? 屠龍酒ドラグ・スレイっつー高ぇ逸品だぞ。なんか格安で売ってたから買っちまったんだよなー!」


 俺の言葉にルーブスがピクリと反応したのを横目に捉えつつ酒をグラスに注ぐ。っ……お……飲んでもいないのに鼻に来るなこりゃ。商品名に偽りなしってところか。


「ちょ……なにその酒……うっ、匂いだけで酔いそう……」


「素人め。通はこれをグイッといくもんなんだぜ?」


「うぇぇ……」


 強化した耳がギルドマスター殿の足音を捉える。こちらへと近寄って来ているな。俺が盗人なのでは、と疑っているのだろう。

 甘いね。既に手筈は整えている。運び屋フィーブルに化けた俺は王都で買った屠龍酒ドラグ・スレイをエンデの検問に通していた。そいつから買ったのだと証言すれば俺の無罪は確定する。もし今この場で俺に難癖をつけようもんなら無罪を主張した後、向こう一週間はネチネチと弄り倒してやるからな?


 だが、まずはルーブス殿の苦い顔をアテに一杯やらせてもらうとしようか。

 大好きなお高い酒をパクられたばっかりなのに、要警戒の人間がその銘柄の酒を目の前で気持ちよく飲み散らかしていたら……ギルドマスター殿はどんな顔をしてくれるのかね。想像するだけで酒が旨くなる。俺はクイッとグラスを傾けた。


「ン゛ン゛ン゜ッ゜ッ゜!!?」


 頭蓋を破城鎚でブチ抜かれたような衝撃が走り抜ける。俺は机に突っ伏した。な、なんだこれは……? 酒の名を借りた猛毒じゃないのか……? おッ……世界が、回る……。


「!? なっ、なに!? ちょ、アンタ大丈夫なの!? ねぇ!」


「へ…………へい、きりゃぁよ」


「目の焦点が……合ってない……! 誰か! 解毒魔法の使い手を呼んで! 鉄級のエイトが倒れたっ!」


「おぉげしゃらなぁ……こ、これぁ……ぃぃーんらょぉ……ら? るぅぶすろのぉ……」


 俺は強がった。ルーブスが苦虫を噛み潰したような顔をする光景を見たかったのだ。力任せに引き裂いた紙のように視界が千切れていく。その片隅で、心底理解不能といったふうな表情を浮かべたルーブスがポツリと呟いた。


「君は……一体何がしたいんだ……? 鉄級のエイト……」


 俺の意識はそこで途切れた。

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