灰色の街、奈落の少女
楸
第1話
◇
雨が止むことはなかった。この街は雲によって病み続けている。太陽という存在は秘匿のように扱われているこの街では、常となっている雨こそが太陽の象徴ということができた。大概の人間は傘を持って歩いているが、宗教じみた団体は雨粒の一つ一つさえも神のご加護というように雨に打たれ続けていた。信仰深いと考えることもできるが、その思想は白痴のようにも感じてしまう。人の思想の自由を笑うことは罪のようにも感じるが、雨粒の一つが誰かを救うことにつながることはない。
この雨粒の冷たさによって人の熱は奪われ続けている。人を殺すような雨なのだ。それならば、そこにきっと神はいない。
街の中心にそびえ立つ噴水はいよいよ溢れそうだった。雨が止まないから仕方がない。水道から循環され噴出される水の勢いは日に日に強くなっているような気がする。それがきれいな外観だったならよかったが、雨の汚れを強く引き受けたそれらは泥水と変わりないように感じる。
それでも地面へと溢れさせない彼の姿はどこか紳士的だ。
今日の気温は一桁だった。毎日、二桁か一桁を行き来していて、今日はその中でも冷たいと感じる日だ。だが、どれだけ寒かろうとも雨が転じて雪に変わることはない。人の熱は奪うが、凍てつかせるほどにはなり得ない。
つまりは、この街に季節は存在しない。一年は一年という期間で回るだけであり、それらはやはり風景のような、そんな傍観としかできない世界が広がっている。春も夏も秋も冬も存在しない。変化はなく、誰もが変化を望むことはない。気温の変化に一喜一憂を覚えることはなく、誰もが傘か合羽をかぶることによって雨という存在を享受する。それらの毎日が変わることはない。
教会塔の時計の針は雨によって錆びて腐食している。元の色は何色だったのかはわからないものの、黒ずんでしまった時計の針は見やすい。
だが、時の流れにはぐれてしまった時計は動き出すことはない。きっと、歯車でさえも錆びついてしまったのだ。動き出すことはいつまでもないのだろう。
高くそびえ立つそれらを見て、やはりこの街はどこまでも灰色だと感じてしまう。
黒にも白にもつけない灰色。
風景としかなり得ない、どうしようもない灰色だけ。
そんな道を人は歩いていく。
ぬかるんでいく地面に足跡をつけていくのだ。
◇
教会横にある図書館に人が来ることはなかった。文章を読むような人間が少ないということもあるが、借りることはあっても湿気って読みづらいこの街ではどこまでも需要が存在しない。それでも物好きというよりかは本好きの民は必ず存在しており、どれだけ利益が少なくとも毎日運営されている姿勢に対して、私は敬礼をしたくなる。それらを読み込む人間に対しても、読み込む人間を支援するような人間に対しても。
今、歩いている私の前の人間が左の方に曲がっていった。図書館前で雨傘を傾けて、少しだけ水滴が溜まったものを振り払うようにしている。それを傍目に見送りながら私は歩みを続ける。私の目的地はここではなかった。
目的地は、目印としてこの街の中心にある汚れた噴水。私が神として進行してもいいと考えている噴水に向かって私は歩き続けている。
平坦な道、くぼむ場所があるたびに水たまりが私の足音とともに弾けていく。長靴だから心配はない、そう思っていたけれど、はねた水滴はどうしようもなく私の服を濡らしていく。黒地のスカートは更に深い黒色の水玉を作り出していく。整った円形であればいいのだが、楕円とも言えない微妙な形のそれはどうしても汚れとしか見えない。結局は自業自得だから文句を言う相手も存在しない。
噴水の前までたどり着いて、そこに待ち人がいるかどうかを探す。
市街の名物である噴水の近くにとどまるような人間はそこまで存在しない。日中の間、何をやっているのか不詳の老爺とか、遠くの国からやってきたような青年、もしくは噴水の前でぼうっと眺めている少年。つまりは私を含めれば四人ほどの人間が周囲にいるわけなのだが、依頼人の情報は男ということしか聞いていない。だから、私以外の三人の誰が私を待っているのか、私は誰を待っているのか判別することは難しかった。
キョロキョロと挙動不審な動きをしながら傘をくるくると回す。幼い頃から染み付いてしまった悪癖。あまり良くないことだとはわかっている。傘を振り回せば、どうしたって回転する傘が水滴を周囲に飛ばしていく。目線の高低差は関係なく、そのどれもが人に対して迷惑を重ねていく。
でも、いいじゃないか。周囲に人は少ない。距離感の近い人間もいない。だから私は静かにキョロキョロと傘を振り回すのだ。
「──イア、さんでしょうか」
そうして勢いよく傘を回転させたときに、その声は聞こえてきた。声がかかってきたときには勢いを殺すことはできなくて、急ブレーキをかけてしまったそれは、更に良くないことに声の方へと雨粒をちらしていく。きっと回転させた時点でどうやっても声の方に雨粒は向かっていっただろうけれど、少しばかりの罪悪感を重ねて、私は声の方へと視線を向けながら、慌てて謝罪を繰り返した。
彼は、大丈夫、大丈夫です、と平然を装いながら、改めて私の声を呟く。
「イアさん……、でよろしいでしょうか」
私は、その言葉に頷いた。
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