アポカリプスを越えて いつの時代も親なんて

和泉茉樹

親の心、子知らず

 ベガ夫人が移民船に強引に増設された新規エリアの住宅紹介所を訪れた時、ちょうど利用者もおらず、若く見える男性がひとりきりで窓口で端末を操作しているところだった。

 無言で入室したベガ夫人にハッとした様子で男性は顔を上げる。つるりとした顔をしていて、よく見てみると二十歳そこそこにしか見えない。ベガ婦人は自分の年齢のことを考え、変に寂しくなった。自分が二十歳の頃は仕事ばかりしていて、若さの大切さを理解していなかった。

「どうぞ、奥様、席へ」

 さっと男性が立ち上がりながら椅子を示すのに、ベガ婦人は一度頷いて見せ、彼とカウンターを挟んだ椅子に腰を落ち着けた。

「お探しはどのようなお部屋ですか?」

 自分も席に落ち着き、端末を脇へ退けた男性が素早くペンとメモを手に取った。実に古風なことである。

 ともかくベガ婦人は要望を口にした。世間話をしに来たわけではない。

「子どもを育てながら生活したいの。私と、子どもの二人での生活になると思う」

 すぐには何も言わずに、男性はメモにペンを走らせた。

「お子さんは、その、あとどれくらいで?」

 言葉と同時にちらりと、男性の視線がベガ夫人の腰のあたりに向いた。すでに膨らみがある。ベガ夫人には妊娠していることを隠す気は無かった。

「あと三ヶ月というところかしら」

「母子保全区画を利用されないのですか?」

 そのつもりです、とベガ婦人ははっきりと答えた。


       ◆


 宇宙移民船で人類が遥かな宇宙に飛び出したのは百年以上前のこと。長い長い旅の末、移民船の一部が地球へ帰り着いたのはほんの十五年前にすぎない。西暦二二六九年のことになる。

 長い旅の間に移民船の中では保守管理を行う技術者だけが世代を経てきた。総勢で数百に過ぎず、移民船一隻に収められた数千の冷凍睡眠状態の人々を生活させる余地は移民船には物質的になかったし、そもそも想定されてない。

 母子保全区画は宇宙を旅する段階でも存在し、移民船の基礎要素の一つだった。

 妊婦を地球と同じ重力下に置かれた環境で生活させることでイレギュラーな事態を避けよう、というのがその目的である。妊娠が発覚してから女性はその区画で生活し、出産し、数年の間、育児も行うことになるのだ。

 移民船には地球と同等の重力を再現した区画が十分にあるので、生まれた子供は宇宙生まれの宇宙育ちでも地球生まれの人間を逸脱する体格になったりすることはなかった。移民船の技術者たちは暗黙の了解として、宇宙で人生を始め、やがて終える人間に、地球人らしさを求めた。あるいはそれは、眠り続ける無数の同乗者たちから見れば宇宙人である自分の子孫や、あるいは自分自身が、奇異の目で見られないように願ったからかもしれない。

 移民船が地球に帰還した時、移民船の技術者たちは思わぬ事態に直面した。地球の文明は滅びるか大幅に後退し、ゲノムハザードと名付けられることになる遺伝子編集の暴走により、荒廃した無法地帯と化していた。

 故郷はもはやただ受け入れてくれる土地ではなく、逆に、未開の地であり、開拓する必要が生じていた。移民船は全部で三隻で戻ってきたが、活動している技術者は三隻合わせても千人にも満たない。これではとてもではないが、地球への降下作戦も些細な調査という意味でしか行えない。

 移民船の管理者たちは協議した末に、移民船をいつまでも地球の周りを周回させながら、資材を用意して移民船の生活区画の拡張を始めた。まずは生活する場を作り、次に移民の一部を目覚めさせる。そうやって人口を増やそうと決めたわけである。

 食糧の問題があったが、移民船はもともと、いずれ辿り着いた環境でしばらくは生きていくことを前提にして物資を莫大に搭載していたので、当面は問題ないと判断された。

 こうして西暦二二七七年に初めての地球降下が行われるまでの間に移民船では人口が増え続け、移民船も変化していった。

 そして西暦二〇八二年、改暦されて解放歴二年を迎えた今、母子保全区画は移民船の中で巨大化し、もはや区画というよりも地区となり、ある種のコミュニティに変化していた。


      ◆


「ご婦人、保全区画の方が設備も物資も整っていますし、医療や育児の専門家も大勢います」

「マリアよ」

 ベガ夫人が名乗ると、男性は「失礼しました」とちょっと狼狽えたようだが、着ている服の胸ポケットから端末を取り出すと、素早く電子名刺を提示した。ベガ夫人も端末を取り出し、それを受け取る。男性の名前はアンディとなっていた。

「アンディさん、私は保全区画で子どもを育てたくないの」

「そういう方はいらっしゃいますが、しかし、シングルマザーというのは何かとご不便があるのでは」

「そのご不便がない物件を探して欲しいのよ」

 むぅ、とアンディが小さな唸り声を漏らし、端末を手元へ引き寄せた。彼の両手がすぐに操作を始めるが、しばらくは二人の間に沈黙が降りた。

「マリアさん、その、ご予算は?」

「いくらでも」

「いくらでも?」

「それなりの蓄えがあります。これでも技術者家系です」

 なるほど、と口にして、アンディは端末操作に集中し始めた。

 技術者家系とはそのままの意味で、移民船が地球を離れた時から、冷凍睡眠を経ることなく、世代を重ねて移民船を維持してきた一族のことである。本来的には特権階級ではないはずだったが、移民の一部が目覚めた時、格差が生じていた。

 技術者家系のものが技術者職を独占することになり、覚醒組と呼ばれる目覚めたばかりの移民たちは、移民船の運営に食い込むのは至難なのが現実だった。

 それがいつの間にか富の差にもなっている。移民船の中では貧富など本来はなかったのに、地球へ戻り、そこで人口を増やしたことで、移民船はある種の一般的な社会になったのである。宇宙を旅している時のような、ちょっと大きな家族、というようなまとまりは消滅していた。

「マリアさん、ヒットした物件が二つあります。こちらです」

 アンディが端末をベガ夫人に提示した。ベガ夫人は目を走らせ始めた。

「どちらも地球重力を再現した区画で、ご希望に添えるかと思います。すぐそばに食料と衣料品の配給所があります。一方は医療施設も近いですが、もう一方は少し離れています。家賃の差はしかし、単純な区画の新しさ、古さから来るものです」

 そう、とかすれるような声で答えてから、ベガ夫人は端末を指差した。

「この古い方の物件でいいわ。すぐに内見に行ける?」

「行けますよ」

「ここには今、あなた一人みたいだけど?」

「札をひっくり返すだけです」

 アンディはそう言って立ち上がると、出入り口の半透明の扉に引っかかっていた札をひっくり返した。札は「営業中」から「留守」になったことになる。

「行きましょう、マリアさん」

「施錠しなくていいの?」

「留守と札が出ているのに入る人はめったにいませんし、入ったところで誰もいないのは一目瞭然です。貴重品というほどのものもありません」

 ベガ夫人は首を左右に振った。技術者として移民船の改良や改善に苦心して長い時間をかけてきたベガ夫人としては、こんな素朴で、アナログな方法で施設が運用されるのは想定外だった。電子キーの工夫も、不在時の連絡手法の構築も、何もかも無駄なようだった。

 アンディとともに通路を出たベガ夫人は念のために問いかけてみた。

「まさか徒歩で行くわけではないわよね?」

「もちろんです。モノレールを使います。どうして徒歩だと?」

「あまりにアナログだからかしらね」

 アンディにはベガ夫人の冗談は通じなかったが、ベガ夫人はそのことは流してモノレールの停留所へ歩き出した。アンディがすぐに横に並び、そして少し先に立った。

 ベガ夫人はその様子にお腹の中の子の父親のことを考えたが、すぐに後悔して考えることを中断した。考えても仕方がないことなのだ。

 無言で歩く間、ベガ夫人はアンディが何か世間話でもしてくれれば、と思ったが、青年は全く無言だった。


       ◆


 こちらですね、とアンディが扉の一つで立ち止まった。通路も地球重力のそれになっている。ベガ夫人としても慣れている感触である。これまでの母子保全区画と変わらないように感じる。

 アンディが端末で扉のロックを解除すると、扉がかすかにノイズを発しながら開いた。

 二人で中に入ると、備え付けの家具はあるがどこか虚ろな空気がそこにあった。

「生活物資は私費で購入もできますし、配給品で揃えることもできますよ」

「ええ、わかっているわ」

 アンディの型通りの言葉に反射的に答えながら、ベガ夫人は窓モニターを操作していた。今まで壁と同色だった窓が、明るい色に変わる。仮想の景色が浮かび上がり、今は草原と青い空だった。操作端末を弄ると海辺や山の中などが表示されたが、旧式のせいであまりバリエーションはなかった。

 窓モニターを離れ、ベガ夫人は他の部屋を確認し、バスとトイレも確認した。母親と子供二人で住むには部屋は多かったし、広かった。アンディは黙って部屋の隅に立っている。

 ベガ夫人は彼の前に立つと「契約しましょう」とあっさりと言った。アンディは笑顔を作ろうとしたようだが、少しひきつっていた。

「ここで契約もできますが、他の手続きはどうなさいますか?」

「自分でやれます。ご心配なく」

 頷いたアンディが端末を示すと、ベガ夫人もすぐに端末を見せた。情報がやりとりされ、契約が結ばれ、幾つかの情報が然るべき部署へ転送された。

「では、これで終わりです。ご利用ありがとうございました」

 律儀にアンディが頭を下げ、ベガ夫人も礼をした。

「こちらこそ、ありがとうね。助かったわ」

 いえ、とアンディは会釈し、「どちらへお帰りになりますか?」と言葉にした。リップサービス、愛想だろうことは如実だった。

 何か理由をつけてアンディを一人で帰しても良かったはずなのに、ベガ夫人は彼に声をかけていた。

「私が一人で子どもを育てることを、おかしいと思わない?」

 その問いかけに、アンディはちょっとだけ苦笑いした。

「そういう方がいてもおかしくはありません」

「父親がいないのもおかしくはない?」

「他人様の事情に踏み込む気はありません」

 ちょっとだけアンディの口調が砕けたのに、ベガ夫人も興が乗ってきた。

「でも気になるでしょう?」

「技術者階級の余裕、で済むことですよ」

「あなた、アンディさん、ご両親は? あなたは第何世代?」

 今度ははっきりとアンディの顔に苦笑いが浮かんだ。

「僕は第一世代、覚醒組ですよ。両親はまだ眠っています」

「あなたは何歳で眠ったの?」

「十六歳です」

「俗に言う、最年少組、ね。恵まれた世代、ということかしら」

 ですね、と今度は少しだけ、アンディも明るい表情に変わった。

「僕は昔の地球、本当の地球を知っていますからね。その点ではマリアさんより、その、知識があるかもしれません。もう地球がないなんて信じられないですが」

「私は情報の上でしか地球を知らないわ。あなたと私では、総合すればどちらが恵まれているかは微妙ね」

 まさに、とアンディも頷く。

 ベガ夫人は、視線をまだ草原と空を映している窓モニターの方に向けた。

「私は自分の子供を、普通の子にしたい。それだけよ」

「保全区画にいたり、ご主人がいることで、普通にならないとも思えませんが」

「技術者階級の夫婦の間で何不自由なく過ごすのは、必ずしも有利とはならないはずよ。親のエゴだとしても、私は充足より不足の中で育てたい。まぁ、あの人が私との関係を終わらせたのは、また別の理由だけど」

 移民船ではカップルの離別にはかなり神経質になっている。カップル解消後の生活に困らないように様々なフォローがあるが、それが逆にカップルの解消を促しているのではないかと議論の対象になる程だ。

「ご主人と別れた理由をお聞きするつもりはありませんが」

 横目でベガ夫人が伺うと、アンディも窓モニターの方を見ていた。

「お子さんは苦労するでしょうね。きっと、あなたの想像以上に」

 それでもね、とベガ夫人が答えた。

「どんな時代でも、誰もが苦労するものよ。親にできるのは、手助けすることだけ。代わりに生きてあげることは、できないんですから。みんな、身勝手なものね」

 そうですね、と答えるアンディの言葉の気のなさに、ベガ夫人も気持ちを切り替えた。ここで若者を相手に持論を展開しても意味はない。

 行きましょう、とベガ夫人は歩き出した。それにアンディがついていく。

 扉が閉まると、無人の室内では自動で窓モニターの電源が切れた。



(了)

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