オールグリーン

如月姫蝶

オールグリーン

 他所者が渡来したことに、人間が気づかなかったわけではありません。

 けれど、人間が発見したのは、焼け焦げた船の残骸だけ。乗組員がいたとしても、その体は燃え尽きたと思われたのですよ——


 黄ばんだような照明に、レトロな内装が浮かび上がる。そして、内装に同化したような初老のマスターが、静かに食器を磨いている。

 この喫茶店は、街の喧騒から、通り二つ分くらい奥まっており、全く流行っていない。

 だから、僕たちが痴話喧嘩をするにはちょうど良かった。僕は、恋人の浮気を詰った。

「酷いよ、シンヤ! 僕が何をしたっていうんだ!」

「あのさあ、何もしなさすぎなんだよ。寝ても立ってもワンパターンで……最初はそれも可愛いと思えたけど、もう飽きた。別れてくれ、マオ。俺はもう、あの部屋には戻らないからな!」

 シンヤは、それだけ捲し立てると、僕を置き去りにして、店から出て行ってしまった。

 酷いよ、シンヤ……こんなの、痴話喧嘩ですらない。一方的な死刑宣告じゃないか……

 僕は、中学生になる頃には、自分が同性しか好きになれないことに気づいて、それ相応の遊びを覚えてきた。けれど、真剣に恋して、同棲までしたのは、シンヤが初めてだったのに……


「首尾はどうだ?」

「ダメだ。今日も何軒か内見したんだが……どうも、セキュリティが気に食わなくてな」


 やがて、僕は我に返った。

 いくら流行っていない喫茶店だからって、客が皆無というはずもなく。

 いつの間にやら、通路を挟んだ斜め前のテーブル席に、若い男の二人連れが座っていた。

 若いといっても、ちょうどシンヤと同じくらいで、僕よりは年上だろう。

 一人は茶髪、もう一人は金髪で、二人とも、筋骨隆々とした見事なガタイをしていた。

 ついつい目を引かれてしまったが、どうやら彼らは、僕たち……かつての僕たちのような、恋人同士というわけではないらしい。仕事仲間といったところだろうか?


「やっても、やっても、セキュリティに阻まれる。タイムリミットが迫ってるってのによ!」

 金髪の男の前には、涼やかな緑色の、メロンクリームソーダが置かれていた。

 彼は、あからさまにイラついた様子で、てっぺんに盛られたアイスクリームを、スプーンで乱暴に突き崩したのである。


 僕の脳裏が、ビリリと痺れた。

 もしかして、この二人は……

 漏れ聞こえてくる二人の会話は、住宅の内見に関するもののようである。けれど、「セキュリティに阻まれる」などとという言い回しが引っ掛かった。

 実は、首都圏の端くれであるこの辺りで、近頃、強盗事件が多発しており、悉く未解決なのだ。標的の多くは裕福な独居老人で、住宅に押し入られて、下手すれば殺されてしまうのだ。

 公開された防犯カメラの映像を見る機会があったけれど、そこに映し出されていたのは、覆面をしたガタイの良い男たちだった。

 もしかして、この二人は、強盗団の一味で、狙った住宅を「下見」することを「内見」と言い換えているんじゃないだろうか?


 二人は、程なく席を立ち、店を出て行った。

 僕は、彼らの跡をつける決心をした。自分のことを、無価値な人間などとは思いたくなかったのだ。

 シンヤに捨てられてできた心の空洞を、メラメラと燃え立つような正義感が温めてくれた。

 大急ぎでレジで会計を済ませた時、マスターが何か呟いたけれど、僕はそれを聞き取れないまま、店を後にしたのだった……


 二人と一人が立ち去って、店内には、マスターだけが残された。

 初老の彼は、再び静かに食器を磨き始めた。

 そして、どれほどの時間が経ったろう。けたたましいパトカーのサイレンが、屋外から聞こえてきた。

 それは、店から程近い公園の辺りで止まったようだ。

 マスターは、口髭の下に細やかな笑みを浮かべて、「オールグリーン」と呟いた。

 それは、マオが二人組を追って店を出る際にも、彼が口にした言葉だった。


 その夜、公園で、二人の若い男性が倒れているのが発見された。

 目立った外傷はなかったものの、意識は朦朧としており、自分の名前すら答えられぬ有り様だったので、病院へ搬送されることになった。

 警察は、この二人を疑ったが、世間を騒がす強盗殺人事件とは無関係であろうと結論した。

 事件現場の遺留物と、二人のDNAが一致しなかったからである。

 ただ、二人の身元を洗う過程で、実は、彼らは二人して難病の患者であるにも関わらず、過去十年にわたって医療機関を利用していなかったことが判明して、警察を驚かせた。しかし、当人たちが揃って記憶喪失を主張したため、この謎が解明されることはなかった。


 ドアベルが鳴り、店に姿を現したのは、マオだ。

 マオは、「こんにちは」と会釈して、マスターと会話しやすいカウンター席に着いた。

 さすがは流行らない喫茶店だけあって、店内には、マオとマスターの二人きりだった。

「ご注文は?」

「メロンクリームソーダにしますよ、今回は」

 マオは、濡れたような瞳と唇で、悪戯っぽく微笑んだ。

「新しい暮らしはいかがですか?」

 マオが、この店でシンヤに別れを告げられ、二人組の男を見咎めてから、一カ月近くが経っていた。彼は、カウンターに頬杖をついた。

「僕は、子供の頃、UFOに憧れていました。まさか、こんなことになるなんて、思ってもみなかったけど」

 マスターは頷いた。


 移民船がこの星に不時着したのは、ずいぶんと昔のことです。

 他所者が渡来したことに、人間が気づかなかったわけではありません。

 けれど、人間が発見したのは、焼け焦げた船の残骸だけ。乗組員がいたとしても、その体は燃え尽きたと思われたのですよ。

 確かに、乗組員は火に焼かれました。けれど、生命体の核に相当する部分は死滅せず、人間に寄生することによって生き永らえました。

 とはいえ、寄生して十年も経つと、拒絶反応に悩まされてしまうため、別の宿主に乗り換えなければなりません。そのうえ、人体の免疫には個体差があって、そもそも、宿主に適した人間は数少ないのです。

 あなたには、とても感謝していますよ。


 マスターは、穏やかな声で、お伽話でも語るかのように言った。


「ねえ、前の宿主だった二人は、どうなったの?」

「あれ以来、難病の治療を真面目に受けているらしいですよ。宿主として過ごした十年間は、その対価として、持病が進行せず健康体さながらの生活を送れたわけですが。記憶喪失のふりをしているのも、まさか、宇宙人に体を許していたなんて、白状するわけにもいかないからでしょう」

 メロンクリームソーダを目の前に置かれて、マオは、クスクスと笑みを零した。

「僕ならいっそ、どれだけ幸せか、大声で叫んでしまいそうだけど」

 マオは知っている。宇宙人の核とは、ちょうどソーダのような緑色をした、粘液質のスライムのような存在であることを。

 あの夜、マオは、二人の男たちにかわるがわる「内見」を許した。二人ともから「最高だ」と絶賛されて、天にも昇るような心地だったのだ。

「僕はとっても幸せだよ。この体を、彼らのシェアハウスみたいに役立てることができて。僕には持病なんてないけれど、この先十年、もう淋しくなんてないんだから」

「我が同胞のことを、よろしくお願いしますよ、マオ。オールグリーン」

 マスターは言った。「遍く緑をオールグリーン」とは、そもそも、彼らにとって、「幸運を祈る」といった意味合いの言い回しなのだそうだ。

「オールグリーン、族長マスター

 マオは、頬を赤らめつつ応じた。


 マスターの目には見えていた。マオの体内で、同胞二名の核が、力強く脈動しているのが。

 因みに、マオは気づいていないようだが、その体内には、実は、致死的な病巣の萌芽も見て取れた。しかし、マスターは、涼しい顔をして、それについては、同胞たちの退去の期限が近づくまで口を噤んでおくことにした。

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