250km/hの恋

未亡人製造機

250km/hの恋

 佐竹康晃が下駄箱の前で靴を履き替えている。玄関には彼以外の生徒はいない。こんな絶好の機会はなかなかない。私は意を決し彼の前に姿を現した。

「あの、佐竹くん」

「あっ東山さん。どうしたの?」

「うーん、えーっと」

 あらかじめ練習はしておいたはずだが、いざ本番となるとその成果が発揮できないものだ。私は言葉に詰まってしまって、本題に切り出せなかった。早くしなければ他の生徒が来てしまうというのに。

「あの、前から気になってて・・・。私、佐竹君のことが好きだから、付き合ってください・・・」

 ノートに書いて覚えた台詞はすっかり忘れてしまい、即興の告白になってしまった。最悪だ。こんなので彼が了承してくれる訳がない。

「なんで?」

「え?」

 予想外の反応だった。はいかいいえで答えてもらえると思っていた。〝なんで〟とはなんだ?なんで付き合わなくてはいけないのかという意味だろうか。

「なんでっていうのは、なんで?」

「ああ、ごめん、なんで好きなのか理由が聞きたくて」

 彼は告白に一切動じる様子がない。

 考えたこともなかった。私は理由もなく彼のことが好きだった。だけど今は理由を求められている。ここで納得のいく説明ができれば告白を了承してもらえるかもしれない。私は必死に頭を働かせて彼の魅力を言語化しようと試みた。

「あー、えーっと、足が速いから」

 私はふと彼が陸上の大会で優勝して表彰されたことを思い出し、咄嗟にそれを口に出した。我ながら酷い答えだ。小学生にも通じないだろう。

「そっか・・・ごめん。実はさ、俺もう速く走れないんだよ。怪我しちゃって」

「そんな、別に私は、佐竹君が速く走れなくたって好きだから」

 しまった。適当な返事をしたせいで、彼を傷つけてしまった。なんとかして弁解しなければならないのに、私は彼と目を合わせることもできず、たた沈黙が続いた。

 二人が下駄箱の前で立ち尽くしていると、廊下を歩いて玄関に向かって来る生徒たちの声が聞こえてきた。

「あの、ここで話すのもなんだしさ、今日は一緒に帰ろう」

 私がそう言って先に玄関を出ると、彼は何も言わずに駐輪場までついてきてくれた。私は急いで自分の自転車を取りに行き、片手でヘルメットの紐を直しながら彼の自転車のが置いてある場所へ駆けつけた。

「そんなに急がなくていいよ」

 彼は自転車に取り付けられたワイヤーロックを解除しながらそう言った。私は良くないと思いつつも、自然とその番号に目がいってしまう。四桁の番号が“0958”で止まり、カチッという音がしてロックが外れる。

「東山さん。俺まだ返事してなかったよね」

「うん、どうなの?」

「俺もう陸上はできないけど、東山さんがそれでもいいなら、俺と付き合って欲しい」

「本当に!?やった!これからよろしく。嬉しい!」

 私達二人は並んで自転車に乗って帰った。友達に見られるのが嫌だったので、遠回りしていつもと違う通りに出た。

「あの、怪我ってそんなに酷いの?もう走れないって。心配だし、よかったら、聞かせて」

「うん、先月病院で診てもらって分かった。もう前みたいなタイムは出せない。まあ、今こうやって自転車を漕ぐことができてるように、生活に支障はないんだけど」

「それは、良くないけど・・・良かった」

 通りは人も車もほとんど通らず、虫の声も聞こえない。会話が途切れてしまえば心臓の音が相手に聞こえるほどの沈黙が流れるだろう。私はなんとか会話を盛り上げようと頑張った。

「足が速いってどんな感じなの?私は遅いほうだから分かんなくて」

「最高だよ、先頭に立ったときにしか見えない景色があって。周りに誰もいなくなって静かになるんだ。だけど自分が速くなればなるほど、その景色を見れる時間は短くなっちゃうんだ」

 そう語る彼の顔はいきいきとしていた。

「そういえばさ、さっき私、あんなこと言っちゃったけど、別に足が速いから佐竹君のことが好きなんじゃないよ。もちろん走る姿も恰好いいけど・・・」

「分かってるよ、難しい質問だったよね、なんで好きかなんて」

「そう、好きなのに理由なんてなくって、理由もなく好きなの」

「なんか素敵だね」

 私が彼の横顔に見惚れていると、こちらに気づいた彼と目が合った。あわてて視線を戻すと、車止めのポールが目の前に迫って来ていて、躱しきれずに転倒した。

「大丈夫?」

「うん、心配いらないよ。ごめんね」

 私は恥ずかしくて、彼が差し伸べてくれた手を取ることができなかった。せっかく手をつなぐことができる機会を逃してしまったことを後になって悔いた。

 それから私は失敗を取り返そうと頑張ったのだが、ことごとく空回り、結局会話を盛り上げることができずに、いつの間にか自分の家の前まで来てしまった。

「あの、今日はありがとう。なんか、私うまくいかなかったけど、佐竹君は楽しかった?」

「うん、楽しかったよ。東山さんのこといろいろ知れて」

「本当に?」

「うん、今日一緒に帰ってて思ったんだ。100メートル走で先頭を走るのも良いけど、東山さんと並んで自転車を漕ぐのも良いなって」

「じゃあ、明日も一緒に帰ろうよ」

「もちろん。これからは二人で一緒に帰ろう」


 ~百年後~


「さあ、今年もこの時期がやってきました。マン島TTレース。昨年ついに、大会の累計死者が一万人を越えた本大会。世界で一番危険なレースと聞いて、世界中のスピード狂たちが名乗りをあげました。本日の目玉はそう、サイドカーレース。サイドカーレースと言ったらマン島TTであります。おい、てめえら!!自慢のマシンの調子はどんなもんだ!?」

 ブルルルン、バロロ、ゴオオオオオ!

司会に捲し立てられ、マシンたちは鼻息を荒くしている。待ちきれないといった様子だ。

「そして今年の注目タッグもやはりこの二人!本大会のサイドカーレース部門では、七十年連続優勝!ヤスアキ・サタケ、アンド、ミユ・サタケ!もはやその走りは芸術の域だ!」

 二人が乗るマシンは、日本の自動車技術の結晶と称される最高の機体だ。彼がドライバーを務め、私が側車で身を乗り出してバランスをとるパッセンジャーを務める。

「バアさん、今年も獲りにいくぞ!」

「まったく、こんなレースで勝って何になるんだい?賞金も大して出ないってのに」

「金なんざどうでもいい、欲しいのは世界一のキチガイの称号さ!」

「まったく、呆れたもんだよ」

「そら行くぞ。覚悟決めろ!」

「とっくにできてるよ」

 私は彼を乗せたマシンを手で押し、スピードに乗って来たところで、サイドカーに飛び乗った。

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