物件をお探しなら幸福不動産へ!
桔梗 浬
決められないのには、理由がある
「ねぇ、今日も来てるわよ。金曜日の彼女っ」
「あ、僕…八代さんちの管理物件の掃除を頼まれてたんです。行ってきます!」
僕は慌て事務所を出る。
そうなのだ、彼女が僕の勤めるここ、幸福不動産に物件を探しに来てから、もう3ヶ月がたとうとしていた。毎週金曜日、決まって16時に彼女は姿を現す。その不思議な行動パターン以外、彼女はいたって普通の女性だ。
確か…名前は『一条 麗香』と最初に教えてくれた。僕の初めてのお客様なのでよく覚えてる。だからこそ、彼女の希望通りの物件を探したい! そう思っていた。
でも、どんなに希望にマッチングした物件を提示しても、最終契約に至らないのだ。俺の探し方が悪いんだろうか…。会わせる顔がない…。
掃除をそこそこに事務所に戻ってくると、彼女は既にいなかった。内見に出掛けたのかとも思ったけど、先輩たちも事務所にいる。あれ? 今日は間取りすら気に入らなかったってことだったんだろうか?
「中野くん、お帰り」
「ただいま戻りました。あの…神戸さん、彼女…契約どうでしたか?」
「それがねぇ~、内見予約は入ったんだけど…『中野さんに案内して欲しい』って」
「ぼ、僕ですか?」
ふふっ、気に入られたわね、なんて神戸さんにからかわれ…、その日から僕は何となく彼女が気になり始めてしまった。
この後何件か物件を案内するも、彼女はYesと言わなかった。
「こちら人気の物件で、キッチンもアイランドキッチンで日当たり良好です!」
「そうですね…」
「物件はナマモノですから、早い者勝ちですよ」
「そうね…、でも別のところも見てみたいの」
何が気に入らないのだろう…。
彼女はベランダから外を眺め、こう呟いた。
「お帰りなさい…」
「えっ?」
「いえ…、ごめんなさい。行きましょう」
今回も彼女が契約することはなく、数週間が過ぎた。
「金曜日の彼女、今日も来なかったわね」
「そうですね。良い物件に出会えてれば良いんですが」
それからも僕は彼女のために物件を探していた。彼女が心から喜んでもらえる物件を。いつ彼女が来店しても案内が出きるように、地図も頭に叩き込んだ。
それからしばらくして、久しぶりに彼女が僕の目の前に現れた。
「すみません。部屋を…」
「いらっしゃいませ。お待ちしていました!」
僕は彼女に間取り図を見てもらう。少し痩せた彼女が、僕の選んだ物件から1つ選んだ場所に彼女を案内する。いつものことなのに、僕は彼女にまた会えたことが嬉しかった。
「どうですか?」
「すごく、すごく素敵です…」
彼女はゆっくりと部屋の中を見てまわる。愛おしそうにキッチンに手を添えながら。
「あの…いかがですか?」
「ごめんなさい…」
あぁ、今回もダメだった。僕のイチオシの物件だったのに、これ以上のものはなかなか出会えないだろう。
「申し訳ございません。お客様の要望が叶う物件をご案内できなくて…」
「違うんです。中野さんは悪くないんです」
「でも…」
「私、彼と住む部屋を探していたんです。でも…もういいんです。もう必要がなくなってしまって」
彼女は消え入りそうな声でそう呟く。
「ごめんなさい。もう戻りましょう。今日で最後にします。いろいろありがとうございました」
「一条さん…」
彼女は目に涙を浮かべている。何があったのか想像するのは簡単だった。
「一条さん、あの…僕でよかったら」
「えっ?」
僕は何を言ってるんだ。彼女も困ってるじゃないか!
でもこのまま彼女を帰したら、一生後悔する! 彼女がこの世から消えてしまうんじゃないかとさえ思っていた。
「貴方のことをもっと教えてください」
「中野さん…」
彼女は驚いた顔で僕を見ている。
僕はいつも彼女が言っていた言葉を思い出した。そして玄関まで戻りこう言った。
「ただいま」
彼女は涙を流し、驚いた顔をしている。今ならわかる。彼女は彼が帰ってくるイメージを作っていたんだと。でもそのイメージは形になることがなかった。だから部屋を決めることができなかったんだ、と。
「ただいま」
僕はもう一度言う。
そんな僕を見て彼女は涙をぼろぼろ流す。そしていつものあの言葉を、僕に贈ってくれた。
「お帰り…なさい」
END
物件をお探しなら幸福不動産へ! 桔梗 浬 @hareruya0126
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