第28話 独り善がりの革命 


 道明寺輝彦はカルト宗教・八百の会二十四代目教祖であり、先祖の例に漏れず、終わりのない永遠をこよなく愛する者だった。その権力は組織内では絶対的であり、彼は幾人もの女性信者と関係を持ち、子供を生ませた。理由は一つ、自身の後釜、つまりバックアップのためである。東条真菜子もその一人であった。


 道明寺は子供達を学校に通わせず、アジトに閉じ込めて、日々「永遠」の美しさを説いて彼らを洗脳の渦に巻き込んでいた。人魚の肉こそが我らを楽園に送る鍵であると。捌かれた人魚の死体を見せて、鼻息を荒くさせた。


 道明寺は跡継ぎを不老不死化が成功した子供から選ぶことにしていた。不老不死は、ただ一度人魚の肉を食すだけでは手にできない。幼い頃から長年に渡って、その肉を食べて順応させねばならない。まあ、それも不安定な順応であり、漸く不老不死を手にしたと思った先祖達もある日、その効能が切れて突然死していた。子供達は父、いや教祖の愛とその座を求めて人魚の生肉を我慢して食い散らかした。ただ、真菜子一人を除いて。


 真菜子は地に生まれ落ちる前に、仁を叩き込まれたような子だった。彼女は、美しく無垢な人魚達がどうして惨たらしく人にかみ砕かれなければならないのか理解できなかった。人生という牢獄から出られない永遠の何が美しいのか、ちっともわからなかった。


 故に真菜子はどれだけ迫られても、頑なに人魚の肉を食さなかった。どれだけ暴力や罵詈雑言を受けても、それは絶対であった。組織の信条に応えられない故、真菜子は兄弟達の中からも孤立した。


 誰にも見向きもされない毎日。真菜子は父親の説教から逃れて、一人でアジトを放浪するようになった。兎に角、血の繋がった者全員から逃れたかったのだ。ときには屋根の上、ときにはゴミ箱の中。延々と居場所を探し続けた。そこで、彼女はある日地下へ続く扉を見つけた。


 その軋む戸を開けば、埃っぽく、潮の匂いがする部屋が広がっていた。薄暗いそこを進むと、奥には泥にまみれた海水が詰まった水槽があった。近づけば、中にはどこか虚空を見つめて漂う一匹の人魚がいた。


 美しい人魚であった。如何やら少年の人魚らしく、耽美な中性的な顔、薄い胸板から下は橙色の尾がひらめいていた。真菜子は思わず、その人外離れした美貌に一目ぼれした。はじめは、軽い挨拶から始まった。


 名前はなに?どこから来たの?少年は憂いを帯びた目で異国の言葉を話した。真菜子にはなに一つ分からなかったが、彼女は家族以外の者と話せて大満足だった。それから彼女は毎日、少年の元へ訪れるようになった。言葉の通じない、違う種族同士だが、それでも二人は一緒にいるだけで幸せだった。互いの言葉を教え合い、互いの知らないことを教えあう。名前はもう思い出せないが、真菜子は少年のことを、血の繋がりに囚われず、家族と認識するようになった。


 ある日から、真菜子は少年を外に連れ出してやりたくなった。こんな狭い密室ではなく、大空の陽の目を浴びせてやりたくなった。そこで彼女はある日、ある程度日本語がわかるようになった彼に、一緒に逃げようと持ち掛けた。彼は互いの身の安全を考えて躊躇したが、必死の説得の末に了承した。


 アジトからの脱走の道具や手筈が整った夜。真菜子は珍しく家族の晩餐に呼び出された。広い食堂には信者、そして兄弟達が勢ぞろいしていた。道明寺も一番中央の席に座っており、真菜子の姿を捉えた途端、酒が入ったグラスを掲げて不気味にも歓迎した。


 周りを見渡してみれば、あれだけ自分を邪険に扱ってきた兄弟、信者達もにこやかな笑顔を浮かべている。真菜子は背筋を震わせながら、信者の一人である乙部に椅子を引かれて座らされた。乙部は次に、彼女の前にクローシュが被った皿を運んできた。


 クローシュが取られると、そこには鯉のムニエルがあった。真菜子は警戒したが、子供達が常に食しているのは人魚の生肉であったので取り敢えず口を付けることにした。


 美味しい。一口食べてみれば、ほのかな甘みと潮風の香りが飛び込んでくる。真菜子は夢中になって料理を平らげた。どうやら今晩はフルコース料理らしく、ムニエルの次はスープ、豚の骨付き肉、ソーセージなどが運ばれてきて、彼女は家族に見守られながら食した。


 道明寺はそこで真菜子の席まで足を運び、彼女の肩を優しく抱いた。


「美味しいかい?我が娘」


「はい、お父さま。とっても」


「ははは、安心しなさい、まだメインディッシュが残っている。さぁ、嚙みしめなさい」


 道明寺がそう言うと、乙部は一際大きなクローシュが被せられた皿を運んできた。今度はどんな御馳走なんだろう。真菜子が目を輝かせていると、蓋がぱっと取られた。


「は、え、ええ……○×?」


 メインディッシュは、一目ぼれしたあの子。人魚のあの子。白い皿には少年の白い顔が載っていた。その目は閉じられ、口を真一文字に結ばれて言葉は一生紡がれない。顔から下はない。その代わりラディッシュのような真っ赤なスープが滴っている。そのとき、真菜子は恐ろしい事実に気づいた。


「い、今まで私が食べたのは?」


 真菜子の言葉に、道明寺が答えた。


「ああ、お前が愛していたものさ」


 その後のことはよく覚えていない。ただ、真菜子は全てを吐き出してぶちまけた。それを家族がせせら笑い、道明寺からは「もう戻れない」という笑みが向けられたことはしっかりと思い出せる。


 彼女はもう二度と、あの橙色の尾も見れないし、真っ白な面持ちで日の光を見ることもできなくなった。


 ※


「あれから、私は自分を家族と同じ罪人と認めて、人魚の肉を食らうようになりました。神というものは残酷で、兄弟の中だけで不老不死が顕現したのは私だけでした。現に、私は十五の時から成長が止まって、どんなに負傷をしても元通りの体に戻ってしまいます。不老不死になった私は教祖となり、沢山の人魚を殺してきました。私は、私はもう許されない身なんです。汚れた身なんです。大好きだったあの子を食べた私は、普通なんかになれない」


 真菜子は格子に背を預けて、がくがくと震えた。その様子を茉莉とアッカは神妙な面持ちで見つめて、何か言おうとしても口に出せなかった。


 当然のことである。目の敵にしていた人間に、これほどまでに悍ましい過去があったとすれば誰もが接し方に困窮するだろう。


 何もできない彼女達に、真菜子は続けた。


「和泉さんは私の中の光だった。私は、諜報活動のためにモノノケ課に潜入したんです。そこであの人に出会った。あの人、とっても優しい人で、モノノケにもそれを隠さなかった。命を賭して部下を守る人でね、私も何度も助けられた。そして、私は彼を愛するようになってしまったの。愛する彼を生かしたい、それが罪深い自分を正当化する理由になってしまった。だから、私は人魚の肉から、一度飲むだけで不老不死になれる薬を作ろうとした。もう、今更止められない。誰も救えないですよ」


 そう言うと真菜子は格子に項垂れた。茉莉は今まで黙って、彼女の独白を聞いていたが、途端に首を振った。


「違う」


「はぁ?なにが?」


「救えない、なんて大間違いです」


 茉莉は一心に真菜子を見つめた。


「あなたは、救わなくちゃいけないんです。ナギサちゃんはまだ生きてるし、不老不死の薬は完成していない。十分、引き返せますよ」


「無理ですよ、愛する人魚を食べた私には」


「その人魚君だって、こんなこと望んでないはずです!」


 茉莉は格子を掴んで叫んだ。その威勢に、真菜子は圧倒された。


「さっきから聞いてれば、罪深い罪深いって。罪人なら、償うことが役目じゃないですか?人魚君のためにも、これ以上人魚の犠牲を出さないことが正解でしょう?それに、和泉さんがいつ不老不死になりたいなんて言いましたか?それって、あなたの独り善がりなんじゃないですか!?」 


 茉莉が限界まで声を荒げた。血圧が昇って、頭をくらくらする。しかし、これだけはどうしても言わなければならなかった。真菜子の思想は何もかも大間違いであると。


 気づけば茉莉はアッカに縋りつかれて、制止されていた。そこでハッとした、今にも手を下してくるだろう敵になんて煽りをしてしまったのだと。茉莉は急に恐ろしくなり、アッカを抱きかかえて後ずさった。


 しかし予想とは大外れであり、真菜子はキョトンとすると次の瞬間には腹を抱えて

笑い出した。


「あはははははは!ガキに説教される日が来るなんて、バッカだなぁ私……。償う、かぁ。考えたこともなかったな」


 真菜子は笑うのを止めると、立ち上がった。そして胸元から、鍵束を取り出して地下牢の扉をゆっくりと開錠した。突然の行動に、茉莉達は訝しんだが、真菜子は彼女達に向かって微笑んだ。それは憑き物が取れたかのような安らかなものだった。


「ありがとう、四辻さん。今なら、戻れそうな気がする。今までずっと独り善がりな自分に酔っていたって、やっと気付けた。今なら、あの子に償えそう」


 そう言うと、真菜子は茉莉に手を差し伸べた。


「行きましょう。ナギサさんの場所は知っています。まだ間に合う、彼らの凶行を止めないと。」


 真菜子の言葉に、茉莉は頷いてその手を取った。


「マスターを撃ったこと、ナギサちゃん達にしたこと、私はまだ許していません。けど、状況が少しでも良くなるなら……。」


 茉莉は次に、不安そうなアッカに目配せした。彼女も覚悟は決まったようで、茉莉の服の裾を強く掴んだ。


「行こう」


 茉莉の言葉を引き金に、三人は地下牢から駆け出した。



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